歴史教科書シンポジウムに参加してきました

今日は午後から、シンポジウム「歴史教科書いままでとこれから」に参加してきました。参加者は80名を超え、会場はいっぱいで熱気にあふれていました。

昨年は、「つくる会」の教科書採択をめぐって全国で大きな運動がおこなわれ、結果として、「つくる会」の歴史教科書の採択率は0.4%に終わるという成果をおさめました。同時に、その取り組みの中で、歴史教科書をめぐる問題は、「つくる会」の教科書の問題にとどまらないことも明らかになった、ということで、今回のシンポは、問題を深めつつ、継続的に議論をしてゆきたい、その手始めとして企画されたものです。

報告は以下の通り。

  • 教科書づくりの30年/下山繁雄(元教科書編集者)
  • 教科書問題のいまとこれからの課題/吉田典裕(出版労連)
  • 新中学校歴史教科書の比較検討/歴史学研究会・教科書ワーキンググループ
  • 社会科教科書の検定実態/西川正雄(社会科教科書懇談会)、石山久雄(歴史教育者協議会)

全体として、現在の教科書検定の実態が多面的に明らかにされたシンポだったと思います。

1989年の検定制度の変更についてマスメディアでは「簡素化」と言われたりしていますが、実態は「簡素化」などでなく、いっそう検定圧力が強まっていることがあらためて確認されたといえます。とくに、以前のいわゆる「改善意見」と「修正意見」が、それに従わないと不合格という「検定意見」に一本化されたこと、また従来の「条件付き合格」という枠組みがなくなり、文部科学省側がいつまでも意見をつけられるようになったことが、広域採択制度と相まって、教科書の寡占化をまねいており、第3位以下の教科書出版社にとっては経営的にも非常に厳しい状況を生んでいることが浮き彫りになりました。

採択制度の問題では、この間の「つくる会」教科書の採択をめぐって、教育委員会による採択が強調され、現場教員の意見の排除がすすめられたことも大きな問題として指摘され、地道であっても、教科書採択制度の問題を訴えていく必要があるとの意見も出されました。

後半1本目の報告は、歴史学研究会の若手が扶桑社教科書だけでなく他社の教科書を含め、教科書の記述を具体的に検証したもの。2001年版の「つくる会」教科書にはごく基本的な事実誤認がたくさんあったが、そこで批判・指摘された誤りの多くは今回は修正されていること(ただし、彼らの「歴史観」と相容れないところでは、そうした誤りの指摘が無視されているとの指摘もありました)、したがって、個々の記述の誤りにとどまらず、一面的な記述や当然書かれるべきことを欠落させた箇所など、「つくる会」教科書の提示する歴史像、歴史観にもふみこんで、報告がおこなわれました。

たとえば、鎌倉幕府の成立では、頼朝が「天皇を重んじる姿勢を変えなかった」というところから、一足飛びに、こうしあ考え方は「江戸幕府にいたる武家政治でも、基本的に受け継がれることになった」「武家政治は明治維新まで続いたが、その間、朝廷と幕府の関係はだいたい安定していた」という結論を下すとか、「武士道」をとりあげたコラム欄では、主君や藩にむけられた「忠義」が、幕末になって外国の圧力が高まると、「武士がもっていた忠義の観念は、藩のわくをこえて日本を守るという責任の意識と共通する面もあった」として、突如として、日本全体にむけられたものになってしまうというのです。また、1878年の府県会開設について、「国会に先立ち地方議会(府県会)が開設された。これは、国民に議会制度の経験を積ませることが目的だった」と書いていますが、政府が国会開設を決めたのは1881年。1878年段階で、国会開設に向けて「議会制度の経験を積ませること」を目的として地方議会がつくられた、などという珍説は、僕は聞いたことがありません。国会開設についても、「立憲政治は欧米以外には無理だと思われていた時代に」などという記述を書き込んで、アジア諸国のなかで日本だけが進んでいたかのような書き方になっていることには、会場から失笑ももれました。

西川先生の報告は、ご自身が体験された高校教科書の検定実態を紹介されたもの。アメリカのイラク攻撃にかんする部分で、2001年に検定合格した教科書の改訂として、イラクの新政権が「アメリカの支援なしには存立しがたい状況が続いている」と書いたところ「アメリカだけではない」との検定意見がつき、「アメリカなどの国際的支援なしには存立しがたい」に修正させられたことや、大量破壊兵器が見つからないことをブッシュ大統領も2004年10月には「認めざるを得なかった」としたら、「認めざるを得なかった」は主観的な文章だ、「認めた」に直せと指摘された、などなど。実に細かい意見がついたことを紹介されながら、西川氏は、検定制度そのものをなくすべきだと強調されました。

石山報告は、「歴史地理教育」昨年8月号に載ったものをベースにしながら、政府見解を書かせる検定に実態を告発するとともに、検定とは別に、申請段階で教科書会社みずからが侵略・加害の問題の記述を大幅に減らしたことが詳しく明らかにされました。

僕は、最初の元教科書編集者が、自らの体験をふり返って、編集者自身がもっと力量を付けないとダメだと厳しい自省の弁を述べられていたのが印象的でしたが、同時に、教科書会社が非常に苦しい立場に追い込まれている実態も明らかになって、あらためて現在の教科書検定の制度そのものに問題の根本があることが浮き彫りになったと思います。教科書問題というと、これまでは執筆と検定の問題ばかりが注目されていたけれど、採択制度、さらに価格の問題、供給制度にまでわたる全体を考えないといけないということがよく分かりました。

西川氏は、ほんらい教科書検定という制度そのものが必要ないものだということを強調されていましたが、検定制度そのものの問題を明らかにしつつ、したがって、検定制度そのものをなくすべきだということをきちんと主張しながら、同時に現在の検定、採択の問題点を具体的に告発・批判する、そういう両面の取り組みが求められると強く思いました。

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