先日の歴史教科書シンポジウムの討論のときに、琉球大学教授の高嶋伸欣さんが、日本の対アジア観という大事な問題に関連して、小西四郎著『開国と攘夷』(中央公論社版日本の歴史<19>、親本は1966年刊)を紹介されていました。ちょうど中公文庫で改版新刊が出たとろだったので、早速読み始めました。
高嶋氏が紹介していたのは、幕末に、日本がアメリカやイギリス、フランスなどに開国をせまられたとき、列強の植民地にならずにすんだのはなぜかという問題。この問題は、しばしばインドや中国が「遅れていた」のにたいし、日本は「進んでいた」から植民地化の危機を乗り越え、アジアで唯一独立をたもち、「近代化」にも成功した、というふうに論じられるのですが、高嶋氏は、そういう独りよがりな見方でよいのか、そういうところこそ、アジアが日本の歴史認識の問題としていちばん注目するところだというのです。
実際にどうだったかといえば、ペリーが来航した1853年は、ちょうど中国では「太平天国」軍が南京を占領した年で、翌年から翌々年にかけてが「太平天国の乱」はもっとも盛んな時期を迎えていました。また、幕府がハリスとの通商条約締結交渉をやっていた1857年には、インドでセポイの反乱が起きて、イギリスは相当手こずっていました(セポイの反乱は1857年4月?59年7月)。日本の「植民地化の危機」問題は、こうした民衆反乱と密接に関連していたのです。
すなわち、ちょうど日本が開国しようとしていた時期は、列強がアジア諸民族の反乱に手を取られていたために一時的に外圧が軽減されていたということ、また、列強がこうした反乱との対決という教訓から列強は日本には武力強圧方針をとらなかったこと。こういうふうにアジアに視野を広げて見ると、日本が植民地化されなかったのはアジア諸民族の反乱があったからこそ。そこに、アジアと日本の繋がりを見ることができます。
高嶋氏は、こういう視点が日本でなかなか一般に広がらないのには、歴史教科書の問題もあると指摘されていたのですが、同時に、そういう視点がすでに1966年に刊行された小西四郎氏の『開国と攘夷』では指摘されている、そのことに改めて驚かざるをえない、というのがシンポジウムでの高嶋氏の発言の趣旨でした。
ということで、早速読み始めてみると、なるほどそのことは、新しい中公文庫版の117?122ページに詳しく書かれています。中学か高校の日本史の授業で、このことを教えてもらった記憶があったのですが、そのネタ本はここにあったのか、なんて言ってしまうと申し訳ないけれど、やっぱりそういうアジア的な広がりをもった歴史観が求められているのだというのは、本当にごもっともな話。
どうも、近現代に関しては、中公版「日本の歴史」は、第20巻の井上清『明治維新』から後しか読んでなかったようです。あらためて勉強し直しています。(^_^;)