西洋音楽史を新書1冊にまとめたお手軽な本――と思って読み始めたのですが、読んでしまってから、「しまったなぁ〜」と後悔。と言っても、中味がハズレだということではなく、中味が大当たりだからこそ「しまったなぁ〜」と思うのです。
まえがきで、著者は、いわゆる「クラシック音楽」は、この本が扱う「西洋芸術音楽」と同じではないと断っています。つまり、西洋芸術音楽は1000年以上の歴史を持つが、そのうち、18世紀(バロック後期)から20世紀初頭までのわずか200年間ほどの音楽にすぎないのです。実際、本書では、9世紀、フランク王国の誕生あたりから叙述が始まっていますが、こうなると、堀米庸三先生じゃないけれど、「ヨーロッパとは何か」という根源的な問題にまで行き着いてしまいそうです。
で、こんなふうに言われてしまうと、ふだん古典派だのロマン派だの、まして後期ロマン派だのと細かく区別だてして、あっちがいい、こっちがいいのと言い合っているのが、とてもスケールの小さい話に思えてしまいます。だから、「しまったなぁ〜」というのです。(^_^;)
なるほどと思ったのは、バロックのなかでのバッハの位置づけ。バッハは、実はバロックらしからぬ作曲家だというのです。バロック=バッハ=宗教音楽とフーガ、というとらえ方では、バロック音楽はつかめないという解説を読んで、なんとなく、初めてバロックへのとっかかりができたかなという感じです。
しかし、いわゆる「名作」なるものが、実は、19世紀になって「後世に残すべき名作を選定する」という「批評」文化の誕生によって初めて誕生したこと、それがやがて「後世に残すべき名演を選定する」ということになってきて、いまや名作&名演探しも行き着くところに行き着きつつある、と言われると、なるほどサブタイトルにあるとおり、「『クラシック』の黄昏」を感じざるをえません。
ほかにも、「目を閉じて粛々と名曲に聴き入る」という、日本でもおなじみの演奏会のスタイル。これも、やっぱり19世紀のドイツで――フランスの娯楽的な音楽にたいする対抗のなかで成立した、といわれると、ベートーベン、ブラームス、ブルックナー、マーラーなどの交響曲をしかめっ面して聴いて悦に入っていたのが恥ずかしくなるばかりです。こうしたドイツ音楽に音楽の普遍性を感じる「感性」というもの自体が、歴史的につくられてきたものだということです。
じゃあ、クラシック音楽って何よ? と言いたくなるのですが、それでもやっぱりマーラーやブルックナーの響きが耳に心地よく聞こえてくるのは、どうしたらよいんでしょうねぇ…。
ちなみに著者は、生物学者・岡田節人さんの御子息だそうです。
【書誌情報】著者:岡田暁生(おかだ あけお、1960年生まれ、京大人文研助教授)/書名:西洋音楽史 「クラシック」の黄昏/出版社:中央公論新社(中公新書1816)/出版年:2005年10月/定価:本体780円+税/ISBN4-12-101816-8
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