いまだにこんな男がいるとは… 金子雅臣『壊れる男たち』

金子雅臣『壊れる男たち』

金子雅臣『壊れる男たち――セクハラはなぜ繰り返されるのか』(岩波新書)を読んでみました。

三四郎日記のyojiro5さんが、筆坂本は「この本をあわせて読むと分かりやすいかも知れません」、と薦めておられますが、なるほどこの本を読んでみると、筆坂氏がただただセクハラについて開き直っているだけだということがよく分かります。

「仕事の話がある」と呼び出しておきながら、「俺のことが嫌いなのか」「もう、子どもじゃないんだから」と車の中でキスを迫る。「大人の付き合いも給料のうち」と言って、社長室に呼び出してスカートの中に手を入れる。派遣社員に「ミニスカートをはいてこい」と言い、セクハラで訴えられると、「相手は、派遣の人たちですよ」「正社員にしてやるといえばしっぽを振ってやってくるような連中」と平然と言ってのける。採用面接のときから目をつけ、食事に誘って、酒を飲ませ、酔わせたところで強引にホテルに連れ込む、等々…。

本書で取り上げられているのは、セクハラといっても、刑事事件にもなりかねないような深刻な事例ばかり。にもかかわらず、くだんの男性諸氏は、訴えられると、「誘ってきた」「合意の上」「相手も分かっていたはず」などと、勝手な(というか、まったく自分に都合のいい)申し立てをして、少しも悪びれない。「カラオケで、ちょっと腰に手をやったくらいで、なんで国会議員を辞めさせられなきゃいけなかったのか…」と開き直るのも、まったく同じことだというのがよく分かります。

なんで、こいつらは、こんなに分かってないんだ?! と、同性ながら呆れてしまう話ばかりです。

著者は、セクハラオヤジを3つのタイプに分類しています。

1つは、「絶えず女性に対して性的関心を向けることに慣れてしまっている」男たち。派手な服装や化粧をするのは男を誘うためだとか、性的にだらしない、セックスが好きだと勝手に思い込む。離婚した女性は、性的に満たされていない、だからいつでも誘いをかけてもいいと決めてかかったり、仕事上での女性の仕草を勝手にOKサインと理解したがる、等々。挙げ句の果てに、勝手に、「相手が誘っている」などと思い込んで、「据膳食わぬは男の恥」とばかりに、セクハラ行為におよぶ、というタイプ。

2つめは、「女性には仕事以前に、常に女らしさが求められる」という視点で、日常的に女性たちを見ている男性。職場では男が中心で、女性はあくまで補助的な立場でしかないと考えている訳で、露骨にセクハラにおよばなくても、何かあると「女のくせに」とか「女なんだから」と言い出すタイプ。仕事のあとは食事や酒につき合うもの、カラオケに行ったらデュエットして、腰に手を回すぐらいは当たり前、というのもこのタイプかも知れません。

3つめは、「女性は家庭を守って、子どもを育てるのがいちばん」「早くいい相手を見つけて、家庭に入るのが幸せの第一歩」「女があんなに働いたら、旦那が可哀想」などと、本気で思っているタイプ。下心がない分、始末に悪いと著者は書いています。

著者は、これらの違いは程度の差であって、多くの男性は、自分の第2か第3のタイプではあっても、第1のタイプではないと思い込んでいるけれども、実は、どれも「セクハラは男性問題だ」ということを理解していないという点では同じ、と指摘しています。さらに、男をセクハラに走らせる原因は、男たちが抱えた「危機感と閉塞感」だといいます。自らのストレスを、無意識に「職場の弱者」である女性たちに転嫁している、というわけです。

こういう状況に対し、著者は、「男というものは、性的にだらしなく理性のカケラもない動物であることを受け入れ、肯定するのかどうかからはじまる」「男性は自らの本能をコントロールできない、人間以下の獣であるというプライドを欠いた主張を認めるかどうかがスタートラインとなる」と主張しています(197ページ)。

職場のストレスがセクハラに走らせているとか、セクハラ男の場合、己のアホさ加減に気づくことができるかどうかが分かれ道になるとか、著者の主張は理解できなくはありません。しかし、若干の違和感を覚えるのも事実。たとえば、セクハラを生む要因としてあまり職場のストレスを強調すると、「職場でストレスがたまっていたからつい痴漢してしまいました…」という言い訳を許すことにもなりかねません。

また、すべての男性がみんな「理性のカケラもない獣だ」といわれると、僕なんかは“ちょっと違うんじゃないの?”と思ってしまうのも正直なところ。この結論では、「男はもともと全部壊れている」というフェミニズムの主張と変わらないことになってしまうのではないでしょうか。こうした「男の本能」なるものは、けっして生物学的な意味での本能などではなく、文化的に(つまり、男性中心主義的な文化の中で)男の意識の中に埋め込まれた「本能」にすぎない、ということを明確にすることがひつようではないでしょうか。でないと、結局は、「男の本能」の赴くままのセクハラを、本当の意味で批判することはできないと思うのですが、どうでしょう。

セクハラの原因としては、むしろ、エロビデオやポルノ小説、エロ漫画などが巷にあふれかえっていること、そういう中で現実と妄想の区別ができなくなってるバカ男が増えている、ということが考えられるのではないでしょうか。通勤電車の中で読む週刊誌にヘアヌードが載ってたり、青少年向け雑誌にポルノまがいの漫画が連載されていたり。こういう「男性中心主義の性表現」に寛容な日本の社会風土が、最近はちょっと行き過ぎてしまって、それこそ「壊れた男たち」を生み出していると思うのですが。

しかし、なんにせよ「セクハラは男性問題」、「“魔が差した”というのはまったくのウソ」という著者の主張に、僕は大賛成です。

【書誌情報】著者:金子雅臣/書名:壊れる男たち――セクハラはなぜ繰り返されるのか/出版社:岩波書店(岩波新書 新赤版996)/出版年:2006年2月/定価:本体740円+税/ISBN4-00-430996-4

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ところで、金子氏の本からは離れてしまいますが、「週刊朝日」の筆坂インタビュー(聞き手は、有田芳生氏)について、土佐高知さんが興味深い記事を書かれています。一読の価値あり。
土佐高知の雑記帳 有田芳生氏について

いまだにこんな男がいるとは… 金子雅臣『壊れる男たち』」への4件のフィードバック

  1. トラバ、ありがとうございます。
    ぜひ、読んでみたい本です。

    ご指摘の点、私も共感できる気がしますね。
    もちろん、著者はそれを「仕方ない」理由にするつもりはないと思いますが。

    やはり、あくまで社会的な背景から生まれるものだと思います。
    西村某の「…俺ら強姦魔」発言を思い出します。

  2. 記事を紹介していただき、ありがとうございますm(__)m

    金子雅臣『壊れる男たち』の感想、興味深く読ませていただきました。
    なんか自分の胸に手をあてて読まんといかんかな、と思ったりします。
    ぜひ読んでみたいと思います。

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