ケーテ・コルビッツ展

ケーテ・コルヴィッツ展(図録)

今日は、昼から町田の国際版画美術館に出かけて、ケーテ・コルビッツ展を見てきました。

ケーテ・コルビッツは1867年生まれのドイツの女性版画家です。歴史研究者には、石母田正氏『歴史と民族の発見』(東京大学出版会、1952年)の装丁でお馴染ですが、美術展で実物を見るのは初めて。やっぱり見逃すわけにはゆきません。

で、第一印象は“小さい!”というもの。とくに彼女が初めて広く認められることなった「織工の蜂起」なんて、A4ほどもないちっちゃな作品です。事実上最後の作品である「種を粉に挽いてはならない」でも、せいぜい画用紙程度。作品の圧倒的な存在感から、勝手にもっと大きなものを想像していました。

ケーテ・コルビッツの作品には、死のイメージがつきまとったものが多くあります。それは第1次世界大戦で息子をなくし、第2次世界大戦では孫をなくしたという彼女の体験と分かちがたく結び付いているのですが、それだけではなく、彼女が生きた時代には、飢えや病気、事故で子どもの命が簡単に失われていた、死はとても身近な出来事だったのだろうと思います。それは貧困ゆえのことであり、ケーテ・コルヴィッツは、創作活動を通して、そんな貧しい人々の側に立ち続けたわけです。

「ドイツの子等は飢えている!」(1923年)「戦死(1920年)

国際労働者救援会のポスターとして作成された「ドイツの子等は飢えている!」(1923年、)の、ボウルをもった子どもたちの見上げる顔。「戦死」(1920年、)の、子どもの戦死の知らせに天を仰いで泣く母親にすがる4人の子どもたちの表情。やっぱり実物を間近に見ると、伝わってくる迫力が違います。

「種を粉に挽いてはならない」(1941年)「母親たちの塔」(1937/38年)

しかし、ケーテ・コルヴィッツは、子どもたちの死を嘆き悲しむだけではなかった――。そこが、僕の好きな理由なんですが、たとえば「種を粉に挽いてはならない」(1941年、)の母親は、子どもたちを守るために毅然と顔を上げています。子どもたちも、母に守られて、その表情には明るささえ感じられるのではないでしょうか。ナチスの全面的な支配のもとでつくられた作品だということを思うと、その明るさはまぶしささえ感じてしまいます。同じモチーフは、彫像「母親たちの塔」(1937/38年、)にも見ることができるのではないでしょうか。

あと、彼女の描く母親の掌は、どれも、顔などと比べるとバランスを欠いているほど大きいのですが、その手が実に表情豊かなのも特徴です。嘆き悲しむ手、子どもを死なせてはなるものかと抱きしめる手、そして子どもを守る手…。労働者の家族ならではの、ごつごつとした、節くれ立った大きな母親の手がとても印象的でした。

ケーテ・コルヴィッツ展(町田市立国際版画美術館)

【美術展情報】名称:ケーテ・コルヴィッツ展 版画・素描・彫刻――平和な世界に祈りをこめて/会期:2006年4月15日?6月11日/会場:町田市立国際版画美術館/主催:町田市立国際版画美術館、読売新聞東京本社、美術館連絡協議会、東京ドイツ文化センター/後援:ドイツ連邦共和国大使館/協力;ルフトハンザドイツ航空、ifaドイツ対外文化交流研究所

この美術展は、昨年7月いらい、茨城県立つくば美術館、新潟県立近代美術館、姫路市立美術館、熊本県立美術館を巡回してきたものです。

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