明仁天皇、東南アジア訪問前に記者会見

明仁天皇が東南アジア諸国訪問を前に記者会見。

両陛下あす東アジアへ出発(朝日新聞)

記事は一部省略。

両陛下あす東アジアへ出発
[asahi.com 2006年06月07日00時05分]

 天皇、皇后両陛下は8日からのシンガポール、マレーシア、タイ訪問に先立って6日、宮内記者会や外国報道機関代表と会見した。両陛下は旧知の人々との再会や新たな出会いに期待を示し、天皇陛下は「歴史を理解し、その上に立って友好関係が築かれることが大切」などと語った。
 訪問の抱負などを問われ、天皇陛下は、70年に「何も無いジュロン地区にソテツの木を植えた」シンガポールについて、その後の発展ぶりに理解を深めたいと語った。
 タイについては、64年からのプミポン国王との交友を振り返り、「様々な苦労と努力を重ね、今のタイを築くのに大きく寄与なさった」と述べ、同国王の即位60年の祝典で「心から祝意をお伝えしたい」と語った。皇后さまも、64年にチェンマイに同行した機中で同国王がクラリネットでベニー・グッドマンの曲を演奏してくれた思い出などを挙げ、祝典に「心からの奉祝の意を込めて参列したい」と述べた。

   ◇

 記者会見の内容は次の通り

(中略)

 ――天皇陛下にうかがいます。両陛下は、即位されてから初めての外国訪問でタイなどの東南アジア諸国を訪問されました。東南アジア諸国は、日本と貿易・投資などを中心に密接な関係がありますが、先の大戦によって、日本に対する複雑な思いも残る地でもあります。戦後60年を経て再び訪問されることに、どんな思いがおありでしょうか。

 〈陛下〉戦後、日本は東南アジア諸国との友好関係を大切に育んできました。かつては経済協力が中心でしたが、近年では交流の分野が広がってきていることは非常にうれしいことです。この度、訪れるシンガポール、マレーシア、タイには大勢の在留邦人がおり、それぞれの国との協力関係の増進に努めていることは心強いことです。この度の訪問が日本とそれぞれの国との相互理解と、友好関係の増進に少しでも資するならば幸いに思います。先の大戦では日本人を含め、多くの人々の命が失われました。そのことは、かえすがえすも心の痛むことであります。私どもはこの歴史を決して忘れることなく、各国民が協力し合って、争いのない世界を築くために努力していかなければならないと思います。戦後60年を経、先の大戦を経験しない人々が多くなっている今日、このことが深く心にかかっています。

(中略)

 ――天皇陛下にお伺い致します。愛国心を促す方向で日本の教育基本法の改正が進められています。しかし、陛下が訪問されます国も含めました近隣諸国では、そういった動きが戦前の国家主義的な教育への転換になるのではと恐れられています。陛下もそうした見解に共感されますか。

 〈陛下〉教育基本法の改正は、現在国会で論議されている問題ですので、憲法上の私の立場からは、その内容について述べることは控えたいと思います。教育は国に発展や社会の安定にとって極めて重要であり、日本の発展も、人々が教育に非常な努力を払ってきたことに負うところが大きかったと思います。
 これからの日本の教育の在り方についても、関係者が十分に議論を尽くして、日本の人々が自分の国と自分の国の人々を大切にしながら世界の国の人々の幸せについても心を寄せていくように育っていくことを願っています。なお、戦前のような状況になるのではないかということですが、戦前と今日の状況では大きく異なっている面があります。その原因については歴史家に委ねられるべきことで、わたくしが言うことは控えますが、事実としては、昭和5年から11年、1930年から36年の6年間に要人に対する襲撃が相次ぎ、そのために内閣総理大臣、あるいはその経験者4人が亡くなり、さらに内閣総理大臣1人がかろうじて襲撃から助かるという、異常な事態が起こりました。帝国議会はその後も続きましたが、政党内閣はこの時期に終わりを告げました。そのような状況下では議員や国民が自由に発言することは、非常に難しかったと思います。先の大戦に先立ち、このような時代のあったことを多くの日本人が心にとどめ、そのようなことが二度と起こらないよう日本の今後の道を進めていくことを信じています。

 ――天皇陛下にお伺い致します。昨年、皇室典範に関する政府の有識者会議では、以下のような発言がありました。伝統は変動しないものではありません。「その時代で創意工夫しながら、大事な本質を維持しようとして格闘してきた結果が伝統なのではないかと考えられます。」この度訪問されますタイ王朝も長い伝統と歴史があります。日本の皇室の後継者について世間が語る中で、伝統の維持と時代の変化に伴う工夫につきまして、お考えをお聞かせいただけますか。

 〈陛下〉天皇の歴史は長く、それぞれの時代の天皇の在り方も様々です。しかし、他の国の同じような立場にある人と比べると政治へのかかわり方は少なかったと思います。天皇はそれぞれの時代の政治や社会の状況を受け入れながら、その状況の中で、国や人々のために務めを果たすよう努力してきたと思います。また、文化を大切にしてきました。このような姿が天皇の伝統的在り方と考えられます。明治22年、1889年に発布された、大日本帝国憲法は当時の欧州の憲法を研究したうえで、審議を重ね、制定されたものですが、運用面ではこの天皇の伝統的在り方は生かされていたと考えられます。大日本帝国憲法に代わって、戦後に公布された日本国憲法では、天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であるということ、また国政に関する権能を有しないということが規定されていますが、この規定も天皇の伝統的在り方に基づいたものと考えます。憲法に定められた国事行為のほかに、天皇の伝統的在り方にふさわしい公務をわたくしは務めていますが、これらの公務は戦後に始められたものが多く、平成になってから始められたものも少なくありません。社会が変化している今日、新たな社会の要請にこたえていくことは大切なことと考えています。

 ――東南アジアの指導者の人たちが日本と東アジアの関係を懸念する中、両陛下が平和をアピールする歴史的な訪問と期待していますが、ご訪問の意義について付け加えることがあればお聞かせください。

 〈陛下〉きょうお話ししたことで、平和を願う気持ちとか、そういうものは、だいたい尽くしていると私は考えます。やはり、これまでの歴史というものを、十分に理解し、そのうえに立って友好関係が築かれていくということが大切なことではないかと思っています。

(以下略)

教育基本法について質問したのは、海外メディアの特派員のようです。

あくまで資料、記録と言うことで、今回はノーコメントにしておきます。

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