防衛庁を「省」に昇格させる法案の国会提出について、地方紙の社説を眺めてみました。
「防衛庁が内閣府の外局にとどまっていることが歯止めになっている」「昇格、独立すれば、いつしかこの重しが外れてしまわないか」(西日本新聞)、「憲法に基づく『専守防衛』の理念から、大きく逸脱する恐れはないのか」(中国新聞)などの指摘が共通しています。琉球新報は、野中広務元自民党幹事長の「省にすることで単独行動権を持とうというのは恐ろしい考え方で、非常に危険な法案だ」という発言を紹介しています。
同時に、与党内の思惑から会期末に突然法案提出したことに関連して、「政権維持を優先させ、国民への説明責任を放棄するような政治姿勢で、果たして文民統制が堅持できるのだろうか」(西日本新聞)、「党利を絡めた防衛論議など、はなから国民は信用できない」(北海道新聞)という指摘は、ことの本質を突いていると思います。
- 何を目指すか説明尽くせ 防衛「省」昇格(西日本新聞)
- 【防衛省法案】「庁」には意味がある(高知新聞)
- 「防衛省」閣議決定 任務の中身が問われる(中国新聞)
- 「防衛省」閣議決定・軍備増強、単独行動懸念する(琉球新報)
- [「防衛省」法案]なぜいま「昇格」なのか(沖縄タイムス)
- 「防衛省」法案*自衛隊に懸念が膨らむ(北海道新聞)
- 防衛省法案/なぜこの時期に提出なのか(河北新報)
- 防衛「省」昇格 専守防衛が揺らがないか(信濃毎日新聞)
何を目指すか説明尽くせ 防衛「省」昇格
[2006/06/10付 西日本新聞朝刊]なぜ、いま「昇格」させる必要があるのだろうか。
政府は防衛庁の「省」昇格法案を閣議決定し、国会に提出した。
「防衛省」への昇格は防衛庁や自民党国防族議員の積年の「悲願」である。さかのぼれば1964年の池田勇人内閣時にも昇格法案を閣議決定しているが、池田首相辞任で国会提出は見送られた。
42年を経て、政府による初めての昇格法案提出である。しかし、国会の会期末は18日に迫り、政府・与党は継続審議にし、秋の臨時国会での成立を目指す方針という。
小泉純一郎首相は「長年の懸案。(昇格は)当然だ」と強調するが、防衛省昇格は単なる看板の掛け替えに終わらない。国の基軸にかかわる重要な問題だ。
法案は防衛庁を内閣府の外局から独立させて昇格させるとともに、自衛隊海外活動を本来任務に格上げするのが柱だ。
すでに自衛隊は世界有数の軍事組織になっているが、軍備には抑制的で自衛隊の行動も閣議決定が前提である。
防衛庁が内閣府の外局にとどまっていることが歯止めになっているからだ。
昇格、独立すれば、いつしかこの重しが外れてしまわないか。もっとも懸念されるのがこの点だ。
法案にはこれまで通り首相が自衛隊の最高指揮権を握り、文民統制(シビリアンコントロール)など防衛政策の基本的な枠組みを維持すると規定されている。
だが、私たちが危惧(きぐ)を抱かざるを得ないのは文民統制の重い責任を担う政治のありようなのだ。
終盤国会に駆け込みで昇格法案を提出し、「ポスト小泉」政権で年内成立を急ぐのは、来年の参院選を控え、昇格慎重論が根強い与党・公明党に配慮して懸案の早期処理を図る必要があるからだ。
政権維持を優先させ、国民への説明責任を放棄するような政治姿勢で、果たして文民統制が堅持できるのだろうか。
昇格法案は防衛施設庁の官製談合事件発覚で2月、国会提出見送りが決定された。だが、防衛庁の内部調査は終了していない。この段階での国会提出はどう考えても筋が通らない。
何より在日米軍再編で自衛隊と米軍の一体化が一段と進むことや、自民党の新憲法草案に「自衛軍」保持が明記されていることなどを考えれば、防衛省昇格も同じ文脈にあると考えざるを得ない。
昇格で予算要求などの事務手続き簡素化や緊急事態の対処迅速化という利点もあろう。だが、憲法とともに国の基軸となった文民統制がなし崩しにならないかとの不安はつきまとう。
政府・与党は防衛省昇格で何を目指すのか、国の将来像を示す中で国民に明確に説明する責任を果たすべきだ。
文民統制は軍部が暴走した先の戦争の反省から平和憲法を掲げた国の知恵だ。
政治はいま一度、肝に銘じるべきだ。
【防衛省法案】「庁」には意味がある
[高知新聞 2006年06月10日]政府は9日の閣議で防衛庁の「省」昇格法案を決定し、衆院に提出した。
今国会の会期切れは18日に迫っている。今秋の臨時国会以降での成立に本音があるとはいえ、国の安全保障政策の根幹にかかわる重要法案を、土壇場に提出するのは国会の軽視につながる。
保安庁の後身の防衛庁が、ずっと「庁」のままであったのは、平和憲法との調和に留意してきたからにほかならない。それがアジアの対日観にも寄与してきた。
十分な時代背景のあった環境庁の省昇格とは、問題の性質が異なる。慎重な審議が必要だ。
防衛施設庁を舞台にした官製談合事件の影響で、防衛省への昇格法案の今国会提出は一時、絶望視されていた。
それが終盤国会になって再浮上したのは、懸案を早期に決着させ、来夏の参院選への影響を極力避けたいとする与党側の判断が働いている。「国防省」「防衛国際平和省」などの案が出ていた昇格後の名称で、自民党と公明党が「防衛省」で折り合ったことも、動きを加速させた。
この問題で重視されるべきは与党側の思惑ではなく、一国の安全保障の在り方である。
防衛庁は1954年に設置されている。他の省庁名が変更されても、50年以上も同じ名称が使われているのは偶然ではない。
憲法の精神から、日本の防衛政策は「専守」が基本で自衛のための軍事力も必要最小限とされている。従って自衛隊は普通の軍隊ではない。多国籍軍が展開するイラクでも、自衛隊は他国のような治安維持活動は行っていない。
こうした制約もあって防衛庁は組織としては内閣府に属し、単独での予算要求権はない。軍部が暴走した戦前の反省に立って、文民統制が効きやすいシステムを採用した、と見ることもできる。
逆に言えば自由度の高まる省への昇格は、防衛関係者の悲願だった。額賀長官が閣議後、「歴史的な一過程」「自らの判断で予算、法案の提出権を持つようになる」と語ったのは、その心情を代弁している。
省昇格の動きは、在日米軍再編で加速する自衛隊と米軍の一体化、日米安保条約の見直しなどと呼応している。その向こうには憲法改正の論議があるかもしれない。
国民的な論議が欠かせないテーマだ。拙速は許されない。
「防衛省」閣議決定 任務の中身が問われる
[中国新聞 ’06/6/10]憲法に基づく「専守防衛」の理念から、大きく逸脱する恐れはないのか。そんな懸念がぬぐえない。政府はきのう、防衛庁の「省」昇格法案を閣議決定し、衆院に提出した。
国会の会期が残り十日を切る中で、重要法案が提出された。政府・与党側は継続審議にした上で、今秋に見込まれる臨時国会で一気に成立を目指す方針とされる。
法案は、防衛庁の名称を「防衛省」に変更すると明記。現行自衛隊法の「雑則」で規定されている(1)国際緊急援助活動(2)国連平和維持活動(PKO)(3)周辺事態法に基づく後方地域支援―など国際平和協力活動を「本来任務」に格上げする内容になっている。テロ対策特別措置法、イラク復興支援特別措置法に基づく活動も本来任務になる。
宮沢喜一元首相が一九九二年、PKOを目的に自衛隊の海外派遣に道を開いて十年余り。二〇〇三年には、イラク開戦に踏み切った米国の強い要請に基づき、自衛隊としては初めて、戦闘行為が続く地域へも隊員を派遣した。
平和憲法の精神を踏みにじる暴挙、とする野党などの反対に対し、小泉純一郎首相は「自衛隊が行く所は非戦闘地域」と答弁。「非戦闘地域」への派遣に限定したイラク特措法には抵触しない、と繰り返した。
今回の政府案では、自衛隊の「本来任務」は、大規模災害や本土防衛などに加え、海外での活動も格段に増えそうだ。
イラクのように、戦闘地域に近接した地域での活動が常態化すれば、不測の事態に巻き込まれる恐れも強まるはずだ。防衛省への昇格の必要性の是非も含め、国会での審議の徹底が欠かせない。
この法案では、防衛施設庁を〇七年度に廃止し、機能を「防衛省」に統合することも、付則に明記してある。施設庁の談合事件発覚を機に、防衛庁は組織を統合する方法で悲願の「防衛省」昇格を模索。ひんしゅくを買った時期もあった。
うみを出し切らないまま、組織を統合するだけでは、不正の温床は一掃できまい。ここにも、十分な目配りがいる。
政権与党の自民党は昨年、結党五十年を記念して「自衛軍の保持」を明示した新憲法草案をまとめた。今回の「防衛省」昇格案も、戦後体制の見直しの一環だろう。国民への真摯(しんし)な説明が、その前提になるのは言うまでもない。
「防衛省」閣議決定・軍備増強、単独行動懸念する
[琉球新報 2006-6-10 9:57:00]成立すれば「自らの判断で予算、法案の提案権を持つことになる」。額賀福志郎防衛庁長官の言葉だ。同長官はさらに「まさに歴史的な一過程だ」と強調した。何がそんなに長官の言葉に力を与えているかというと、防衛庁の「省」昇格法案だ。9日の閣議で政府が決定した。
だが、その発言の内容こそが実は最も懸念されることなのだ。
同法案は、現行自衛隊法の「雑則」で付随的任務として規定されている国連平和維持活動など国際平和協力活動を「本来任務」に格上げすることを内容とする。つまり、テロ対策特別措置法、イラク復興支援特別措置法に基づく活動も本来任務となる。
防衛庁は昨年11月、それまで内局の官僚(背広組)に限っていた長官の直接補佐を自衛官(制服組)にも認めた。戦後、日本で続いてきた官僚による文民統制(シビリアンコントロール)を揺るがせる重大な転換であった。文民統制は政治を軍事に優先させる原則の下、政治が軍を統制するシステムであり、「二度と戦争を起こさない」という国民の決意から導入された譲ることのできない一線だ。
野中広務元自民党幹事長は今年1月のTBS番組で、防衛庁の「省」昇格について「省にすることで単独行動権を持とうというのは恐ろしい考え方で、非常に危険な法案だ。内閣府の庁であることで、初めて首相のシビリアンコントロールが効く」と指摘した。その通りだ。
額賀長官の喜びの度合いと反比例するように、かつてのような軍備増強、軍隊暴走の危惧(きぐ)を抱かざるを得ない。一方で、中国、韓国、東南アジア諸国に不安を与えるという懸念もある。
小泉純一郎首相は「長年の懸案。なんで庁である必要があったのか。(省昇格は)当然だろう」と強調した。文民統制を軽視した発言ではないか。
さらに額賀長官の言う「歴史的な一過程」とは、文民統制を除去し単独行動権を得る体制への転換という意味ではないのか。疑念を抱かざるを得ない。国会での慎重審議を望む。
[「防衛省」法案]なぜいま「昇格」なのか
[沖縄タイムス 2006年6月10日朝刊]政府が防衛庁を「防衛省」に昇格させる法案を閣議決定し衆議院に提出した。防衛庁設置法、自衛隊法など関連法の改正を一括した案だ。
政府、与党は継続審議にした上で、今秋に開会される臨時国会で成立を目指すという。
公明党が了承したためだがなぜ会期末が迫ったこの時期に提出を急いだのか。疑問と言わざるを得ない。
法案は自衛隊法の「雑則」で規定されている(1)国際緊急援助活動(2)国連平和維持活動(PKO)(3)機雷等の除去(4)在外邦人等の輸送(5)周辺事態法に基づく後方地域支援―などを「本来任務」に格上げする意味を持つという。
だが私たちが検証すべきなのは、テロ対策特別措置法やイラク復興支援特別措置法に基づく活動をも「本来任務」とし、堂々と海外派遣できるようにしようとする動きではないか。
法案は日米同盟強化の中で米軍の軍事活動を後方支援しやすくし、米軍と一体化して行動できるようにするのが目的といっていい。
それはまた第九条を軸にした憲法改正論議とも無縁ではないはずだ。
公明党の神崎武法代表は了承に当たり「自衛隊の活動はあくまでも憲法第九条の枠内」とコメントしたが、自衛隊のイラクやインド洋への派遣が第九条との関連で批判され、違憲との指摘が国民の間にあることを忘れてはなるまい。
内閣府の外局として位置付けられている防衛庁は、形式的には内閣府の長である首相が主務大臣を務める。
そのために防衛庁長官は防衛政策に関する法案決定の閣議開催や予算要求などはできない。
これらの制約が文民統制を徹底させ、軍事大国化に進もうとする動きに歯止めをかけてきたことを私たちはきちんと検証しておく必要があろう。
公明党内に根強い「昇格は軍備増強につながるとの誤解を招く」という声は、国民が抱く「かつて歩んだ道」に向かう不安と重なる。
また日米同盟の強化に軸足を置くだけでは、中国や韓国など近隣諸国との関係をさらに悪化させ無用な摩擦を生むことにもなりかねない。
政府には、近隣諸国との関係をしっかりと改善していくことが求められているのであり、それができなければ、これまで築いてきた平和主義国家としての評価が水泡に帰す恐れがあることを認識すべきだろう。
「省」への昇格は単に権限が強まるだけの話ではない。だからこそ近隣諸国に与える影響を踏まえ、国会はもちろん全国民的論議が必要となる。
「防衛省」法案*自衛隊に懸念が膨らむ
[北海道新聞 2006年6月10日]組織の格が上がれば、自衛官の士気が高まる。国際的な体面もいい―。
防衛庁を「省」に昇格させる狙いの一面をありていに言えば、こういうことではないか。しかし、そこにはもっと重大な意図が透けて見える。
自民党は昨年の衆院選で「自衛軍」創設を公約に掲げた。当然ながら、軍隊の不保持をうたう憲法の改正が視野にある。
政府が閣議決定した防衛庁設置法などの改正案には、こうした改憲の動きと軌を一にした危うさが付きまとう。
改正案の柱が防衛庁の省昇格だが、そもそも庁のままで何か不都合はあるのだろうか。
防衛庁は内閣府の外局で、主任大臣は長官ではなく首相だ。府や省と違って単独では閣議の開催を求めることができず、予算要求や法案提出も首相を通さなければならない。
だが、現実には防衛庁がつくった予算案や法案を首相が拒否することはまずない。行政機関としての機能の実態は府省並みと言っていい。
省になっても、自衛隊の最高指揮官が首相であることは変わらないが、文民統制(シビリアンコントロール)を徹底するためにも、首相が主任大臣として直接指揮する外局のままであるべきだ。
政府内では、ただでさえ防衛庁の存在感が増している。在日米軍再編がその最たる例だ。日米協議や国内調整のさまざまな場面で主導権を握り、主張を押し通してきた。
米軍再編などを通じて進む日米の軍事的一体化は、自衛隊の戦力強化にもつながる。いま、防衛庁に必要なのは自制だろう。
一方で、歴史認識をめぐって関係が冷え込んでいる中国や韓国は、防衛省昇格を戦前回帰の一歩と見て、日本への警戒感をいっそう強めかねない。そうした国々の目にも配慮がほしい。
懸念はまだある。自衛隊の「付随的任務」である海外での活動が「本来任務」に格上げされることだ。現在は特別措置法で対応しているインド洋やイラクでの活動まで本来任務になる。
自民党が目指す海外派遣の恒久法制定への伏線だろうが、特措法には自衛隊の活動をその都度、慎重に検討する意義がある。その仕組みがなし崩しで空洞化する恐れはないだろうか。
見過ごせないのは、法改正に慎重だったのに容認に転じた公明党の姿勢だ。この問題を早く片付けて、来年の統一地方選や参院選への影響を避けようという思惑があるという。
今国会での成立が無理でも継続審議にと、自民党が会期終盤になって駆け込み提案を決めたのも、連立政権を組む公明党への配慮からだ。
党利を絡めた防衛論議など、はなから国民は信用できないだろう。
防衛省法案/なぜこの時期に提出なのか
[河北新報 2006年06月10日土曜日]政府は9日、長年の懸案だった防衛庁の「省」昇格実現に向けて、関連法案を閣議決定し国会に提出した。
昇格問題は国会審議の場に移ることになる。だが会期末を来週末に控え、最初から継続審議を前提にしている。
今国会は教育基本法改正案や国民投票法案、共謀罪を創設する組織犯罪処罰法改正案などの重要法案が継続審議となって、秋に予定される臨時国会に結論が先送りされる見通しだ。これにさらに防衛省法案も加わる。
小泉純一郎首相は、後継首相に処理を丸投げして退陣することになる。国の在り方に深くかかわり、国民の間でも意見が鋭く対立している重要法案に対する姿勢として、あまりにも無責任と言わざるを得ない。
防衛庁は現在、内閣府の外局に位置付けられている。長官は国務大臣だが、主務大臣は内閣府の長である首相が務める。
防衛省法案では、自衛隊の最高指揮監督権や防衛出動命令など内閣のトップとしての首相の権限は現行通りとし、米軍への物品提供など内閣府の長としての首相の権限を防衛相に移す。
また国連平和維持活動(PKO)協力法に基づく活動、国際緊急援助活動などの国際貢献活動を自衛隊の「本来任務」に格上げする。施行は公布から3カ月以内としている。
防衛省になれば、法案提出や幹部人事、予算要求などが内閣府を通さないで直接できることになる。
だが最も大きな狙いは庁から省に、長官から大臣にという「形」にこそあるだろう。
小泉首相が防衛省法案に対して「なんで庁である必要があったのか。当然だと思う」と述べ、安倍晋三官房長官が、諸外国と同様に防衛庁を省と位置付けることは「自然な流れだ」と言うのはそれを示している。
自衛隊は世界有数の装備を備え、防衛費もトップクラスにある。災害救助活動では国民から大きな信頼を得ている。国際貢献で海外にも派遣され、国際的な認知度も高まっている。
しかしそれでも、政府がこれまで法案を提出するに至らなかった歴史的経緯や背景も、十分考える必要がある。
なぜ今、法案を提出するのか。省になることによって、何がどう変わるのか、変わらないのか。憲法改正を先取りするものではないのか。国民の間にはさまざまな疑問、批判がある。首相はきちんと説明すべきだ。
公明党は従来、昇格問題に慎重な態度をとってきた。基本姿勢が変わったのかどうか、公明党にも十分な説明を求めたい。
先月合意した在日米軍再編協議の最終報告では、日米同盟関係を「新たな段階に入る」と明記した。自衛隊と在日米軍の軍事的一体化の加速が進められる。しかし新たな日米同盟関係の在り方、米の世界戦略の中で果たす自衛隊の役割に関しても、首相から明確な説明はない。
首相は今月末訪米し、ブッシュ大統領と首脳会談を予定している。防衛省昇格が日米軍事同盟強化に向けた「手土産」であってはなるまい。
社説=防衛「省」昇格 専守防衛が揺らがないか
[信濃毎日新聞 2006年6月10日]防衛庁を「省」に昇格させるための法案を、政府が閣議で決めて国会に提出した。なぜいま昇格させるのか、分かりにくい。通常国会の会期末ぎりぎりというタイミングにも疑問が残る。
昇格は防衛庁が長年、悲願にしてきた。1964年に閣議決定されたものの、国会の会期に余裕がなく提出は見送られている。2001年には旧保守党が議員立法で提出、衆院解散で廃案になった。
省への昇格には慎重に臨みたい。理由を3つ挙げる。第1は昇格させる必要性について、政府から納得いく説明がないことだ。
省になれば法案提出や幹部人事、予算要求など、内閣府を通さずにできるようになるという。しかしそれは事務手続き上のことである。自前でできるからといって、政策遂行がスピードアップしたり、防衛能力が向上するわけでもないだろう。
理由の第2は、政治の舞台で憲法見直し論議が進んでいることだ。自民党が昨年公表した新憲法草案には「自衛軍」を持つことが盛り込まれている。米政府高官からはしきりに、憲法を改正して集団的自衛権行使に道を開くべきだ、とのメッセージが送られてくる。
省昇格と改憲への動きがセットになって、専守防衛政策の足元を掘り崩さないか?。そんな心配が否定しきれない。
第3は法案提出のやり方だ。会期末までわずかの日取りしかない。小泉純一郎首相は9月の自民党総裁の任期切れとともに退任する姿勢でいる。この問題はポスト小泉の政権に引き継がれる。
省昇格のような大事な法案は、新しい総裁が選ばれた後、新首相、新内閣の責任において検討し、国民に問い掛けるのが筋である。駆け込み的に国会審議のテーブルに載せるようなテーマではない。
法案にはこのほか、自衛隊の「付随的任務」とされている国連平和維持活動(PKO)協力や国際緊急援助活動を、国土防衛に次ぐ「本来任務」に格上げすることが盛り込まれている。テロ対策特措法、イラク復興支援特措法に基づく活動も同じように、本来任務とする。
この通りに決まれば、自衛隊が国土を離れて活動する状況にさらに拍車が掛かるだろう。自衛隊の在り方にかかわる重要な変更である。国会での吟味が欠かせない。
防衛を担当する組織を「庁」にとどめてきたことは、対外的には、日本が軍事大国にならないとの意思を示す意味もあった。近隣国の疑心暗鬼を招きかねない行動は、避けるのが賢明だ。