先月の東響サントリー定期と同じプログラムとなりましたが、今日の新日本フィル定期の指揮は、ニュージーランド交響楽団音楽監督のジェームズ・シャッド。ヴァイオリンは渡辺玲子さん。
ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲第1番 イ短調 op.77
≪休憩≫
ショスタコーヴィチ:交響曲第7番 ハ長調 op.60 “レニングラード”
東響の定期はなかなか端正にまとめられていましたが、今日の演奏は、それよりはもうちょっとエネルギッシュな野太い感じ。これは、演奏の優劣というより、好みの問題でしょう。渡辺さんのヴァイオリンも力強く、どっしりした重みを感じさせました。
後半のレニングラードは、緊張感のあふれる演奏で、これまたなかなか聴き応えがありました。有名な“ちーちーんぷいぷい”はもちろんですが、そのあとも充実感たっぷりでした。第3楽章の弦も、力強さも重みもあるし、なおかつきれいにそろっていて、たっぷり堪能させていただきました。
指揮のジェームズ・シャッド氏は、こういう派手な音楽を、盛り上げるところは盛り上げるという感じで、なかなか芸達者だなぁと思いました。作品の思想性をどこまで理解して表現しているのかは、よく分かりませんでしたが、僕の印象としては、そういう難しい問題はとりあえず脇に置いて、ともかく演奏として聴かせるという感じでした。といっても、僕がそんな印象を持ったのは、「1991年暮れに消滅したソ連を歴史でしか知らぬ中学生が、吹奏楽でショスタコーヴィチの『祝典序曲』を吹き鳴らす時代である」という渡辺和氏のプログラムノーツに多分に挑発されたところがありますが…。(^_^;)
というのも、ショスタコーヴィチの作品の根底には、スターリン体制にたいする批判や抵抗があると僕は考えているからです。しかし同時に、人間や未来に対する大きな信頼があって、それがショスタコーヴィチの作品に二重の性格をささえていると思いますが、そういう太い信頼は、1917年のロシア革命の経験から生み出されたものだと思うのです。それだけに、その革命を圧殺していったスターリン体制にたいする深い憤りが作品に込められているように僕には感じられてなりません。ただし、はたして本当にそうかどうかはまったく自信がありませんが… (^_^;) でもそう思っている目から読むと、今日のライナーノーツは十分“挑発的”でありました。
ともかく演奏が終わったときはすでに9時半を回っていて、うちにたどり着いたのは11時過ぎ。さすがに疲れました。(^_^;)