小泉首相の靖国参拝について、各紙とも社説を掲げているが、賛成しているのは産経新聞ぐらい。
ひとりよがりの小泉首相靖国参拝(日経新聞 8/16)
[首相靖国参拝]「心の問題」だけではすまない(読売新聞 8/16)
社説:8・15首相参拝 こんな騒ぎはもうたくさん(毎日新聞 8/16)
これで終わりにしたい 首相 終戦の日に靖国参拝(東京新聞 8/16)
日経新聞は「ひとりよがり」と厳しい批判。「首相の説明が論理的でなく、説得力に乏しいから靖国参拝に対する内外の批判は沈静化するどころか、年々強まる一方だった」という指摘は至当というべき。
読売新聞も、「『心の問題』と言うだけでは、問題は解決しない」「靖国神社に『犯罪人』が合祀されているとの認識なら、そこに参拝するということに、矛盾があるのではないか」と疑問と批判を呈している。
毎日新聞の「こんな騒ぎはもうたくさん」「中国や韓国への面当てでは」というのは、多くの国民の気持ちじゃないでしょうか。首相の「思考停止」「初めの一歩から間違っていた」という東京新聞の指摘もその通りだと思う。
社説1 ひとりよがりの小泉首相靖国参拝
[日経新聞 8/16]小泉純一郎首相が8月15日に靖国神社を参拝した。退任間際の参拝であり、その影響は限定的と見られるが、無謀な戦争を引き起こして日本を国家滅亡の瀬戸際まで追い込んだ戦争指導者を合祀(ごうし)する靖国神社への首相参拝は内外の理解を得るのが難しい。この問題をこれ以上政治問題化、外交問題化させないようにすることが次期首相に課せられた責任である。
わたしたちはかねて、A級戦犯を合祀する靖国神社に国を代表する立場にある首相が参拝するのは好ましくないと主張してきた。その理由は(1)A級戦犯合祀に違和感を抱く遺族、国民が少なくない(2)首相の靖国参拝は日本がかつての戦争のけじめをあいまいにした印象を与え、外交上得策でない――からである。
残念ながら、小泉首相はこうした批判に論理的で明快な反論ができないまま毎年、日時や方式を変えて場当たり的な参拝を繰り返してきた。首相の説明が論理的でなく、説得力に乏しいから靖国参拝に対する内外の批判は沈静化するどころか、年々強まる一方だった。
首相の誤算はA級戦犯合祀問題を甘く見ていたことである。昭和天皇がA級戦犯を合祀した靖国神社を批判し、参拝を取りやめた経緯が富田朝彦元宮内庁長官の残したメモによって明らかになった。こうした靖国をめぐる歴史的経緯・積み重ねを無視して「公約実行」をたてに強引に靖国神社を参拝しても国民の支持と共感は広がらない。
戦没英霊に哀悼と感謝の誠をささげるのは当然のことである。天皇や首相がわだかまりなく靖国神社を参拝できる環境整備に努めるのが政治家の責任である。小泉首相にそうした真剣な努力の形跡がないのが残念である。小泉首相の参拝はテレビカメラの前で「どうだ、中国の言いなりにならないぞ」と大見えをきる政治ショーのようにも見える。
次期首相の最有力候補である安倍晋三官房長官は靖国問題について(1)戦没者の方々に対する哀悼と感謝の強い気持ちは持ち続けたい(2)靖国神社に行くか行かないかは一切申し上げるつもりはない(3)この問題を政治問題、外交問題としてこれ以上拡大させるべきではない――との考えを示している。あいまいさを残しているが、小泉首相の硬直した対応よりは柔軟とみることができる。
靖国問題が障害になって日中、日韓の首脳対話が途切れているのは異常である。双方の努力によって一刻も早くこの異常状態が解消されることを切に望みたい。
[首相靖国参拝]「心の問題」だけではすまない
[2006年8月16日1時41分 読売新聞]「8月15日を避けても批判、反発は変わらない。いつ行っても同じだ。ならば今日は適切な日ではないか」
小泉首相が15日、靖国神社に参拝した。5年前の自民党総裁選での公約を“最後の参拝”で果たした形だ。中曽根首相の参拝以来、21年ぶりの8月15日参拝である。
小泉首相の最初の参拝は、対外関係に配慮して8月13日に繰り上げ、その後も年1回の参拝は8月15日を外した。◆中国の批判にも矛盾◆
しかし、中国の姿勢は厳しくなるばかりだった。「いつ行っても同じ」というのは、過去5回の靖国参拝を踏まえた率直な感想なのだろう。
小泉首相は参拝後、靖国をめぐる問題とされている点について、真っ先に、中国の批判に言及した。
靖国神社に、いわゆるA級戦犯が合祀(ごうし)されたのは、1978年秋のことだ。翌79年春にそのことが明らかになった後も、当時の大平首相、続く鈴木首相は、従来通り靖国神社への参拝を続けた。
それが問題になるどころか、大平首相や鈴木首相は当時中国を訪問して、熱烈な歓迎を受けている。中国首脳の訪日も続いた。
中国が抗議を始めるのは、85年8月15日に、中曽根首相が公式参拝の形で靖国神社に参拝して以降のことだ。整合性がないのは確かだろう。
その後、中国は歴史問題を様々な局面で日本に対する外交カードとして使うようになった。
「中国や韓国の意見を聞けばアジア外交がうまくいく」とする一部の議論についても、首相は「私は必ずしもそうではないと思う」と疑問を呈した。
ところが、今後のアジア外交の展開の中で対中外交をどのように構築していくべきかについて、首相は説明しなかった。「心の問題」と言うだけでは、問題は解決しない。
靖国神社参拝を総裁選の公約に掲げた際に、どのような見通しや戦略があったのだろうか。
次に小泉首相は、「特定の人のために参拝しているのではない。戦没者全体に対して哀悼の念を表するために参拝している」と述べている。◆A級戦犯をどう見るか◆
「A級戦犯」のために参拝しているのではない、という意味だろう。
だが、小泉首相は、「A級戦犯」について「戦争犯罪人であるという認識をしている」と国会で答弁している。歴代首相になかった「認識」表明である。
靖国神社に「犯罪人」が合祀されているとの認識なら、そこに参拝するということに、矛盾があるのではないか。そもそも「A級戦犯」とは何なのか。これまで、首相が意を尽くして体系的に説明することもなかった。
三番目に小泉首相は、靖国参拝と憲法の政教分離原則との関係に問題がないことについて、「私は伊勢神宮にも毎年参拝」していることを挙げた。
クリスチャンの鳩山一郎首相や大平正芳首相、さらに社会党の村山富市首相も神道の形式に従って伊勢神宮に参拝しているのに、憲法違反云々(うんぬん)の観点から政治問題化したことはない。その点は小泉首相の言う通りである。◆追悼のあり方の議論を◆
この夏は、例年にも増して、靖国問題にからむ議論がかまびすしい。一つには自民党総裁選の焦点のひとつとなっているからだ。
ポスト小泉の最有力候補と目されている安倍官房長官は、「A級戦犯も含めて、先の大戦の評価は国会等で答弁している通りで、歴史家の判断に任せたいと思っている」と語っている。
自らの参拝については、今後一切言及しないことを表明した。中国、韓国の反発のためだけでなく、自民党内にも多様な考えがあるために政治問題化するのを避けるためだろう。
首相として靖国参拝しないと明言した谷垣財務相は、中国や韓国との関係を悪化させることは避けなければならない、との考えを示している。
麻生外相は、靖国神社が「任意解散」した後、「国立追悼施設靖国社」のような施設に改める構想を提示している。
加えて、富田朝彦元宮内庁長官のメモが発見され、昭和天皇の「心」が波紋を広げている。「A級戦犯」の合祀について、「私はあれ以来参拝していない」と語ったとされている。
天皇がすべての「A級戦犯」合祀に不快感を示していたか否かなど、発言の真意をめぐっては、様々な議論がある。
富田メモをめぐり、日本遺族会内部でも分祀論を容認する動きが出るなど、追悼のあり方をめぐる議論がさらに複雑化している。
やはり、国立追悼施設の建立、あるいは千鳥ヶ淵戦没者墓苑の拡充など、国としての新たな戦没者追悼の方法について検討していくべきではないか。
小泉首相が残した課題に、次期首相は取り組んでいかなければならない。国民的議論も、さらに深めていきたい。
社説:8・15首相参拝 こんな騒ぎはもうたくさん
[毎日新聞 2006年8月16日 0時02分]小泉純一郎首相が、終戦記念日の15日に靖国神社を参拝した。「8月15日にいかなる批判があろうとも必ず参拝する」という01年自民党総裁選の公約を実行したという。
だが、これまで公約実行を控えてきたのに、退陣前になって公約を振りかざして参拝したのは、首脳会談を拒否して首相のメンツをつぶした中国や韓国への面当てではないのか。靖国問題を語る首相発言のぶれの大きさを見れば、信念の貫徹というより、意地を張っただけにも見える。
終戦記念日には、過去の戦争で命を失った死者を追悼し、未来の平和を祈る静寂がふさわしいのに、騒々しい対立の日となった。
終戦記念日に靖国参拝をした首相としては、21年前の中曽根康弘元首相がいる。この時は「公式参拝」の形式をとった。中国、韓国などから強い抗議が起き、外交関係が悪化したため、1度で中止したといういきさつがある。
この日に参拝すればやっかいな外交問題が再燃することを、小泉首相は承知していたはずだ。だからこそ、これまで首相は就任以来年1度の参拝を続けながら別の日を選んできた。「国内外の状況を真摯(しんし)に受け止めた」(01年の首相談話)からである。
それなのに、今年は「いつ行っても批判、反発がある」と、外交的な自制を放り出してしまった。
小泉首相は、一貫して「私的参拝」と位置づけ、戦没者への哀悼の気持ちをささげるという私的な感情によるものと強調してきた。しかし、すでに外交問題となっている以上、首相の私的感情ではすまない。
首相は日本国民を代表する立場にある。在職中の公私の区別は簡単に割り切れない。国内では、参拝と憲法の政教分離原則をめぐる見解の対立がある。神社に合祀(ごうし)されているA級戦犯の存在は、かつて日本軍が侵略した近隣国ではその国の国民感情を刺激する。
首相は、一つの問題だけを理由に首脳会談に応じない中国、韓国が悪いと主張している。では、たった一つの問題も解決できない首脳会談は開く意味があるか。詭弁(きべん)には詭弁で切り返されるだろう。
「私を批判する方は、つきつめれば中国、韓国が不快に思うことはやるなということだ」とも語っている。短絡した論だ。やるなら、近隣国から苦情がこないように、ということだ。近隣国との付き合いを放棄して首相はできない。
A級戦犯合祀については、その直後から昭和天皇の参拝が中断している。国民世論も割れている。「特定の人に対して参拝しているんじゃない」では割り切れない。
小泉首相は、近く後継者に首相の座を譲る。終戦記念日の首相参拝は、ポスト小泉政権への置きみやげとなった。
次の首相を争う自民党総裁選の候補者たちは、この置きみやげから逃げられない。国内でも、国際社会でも通用するきちんとした回答を用意しておくべきだ。来年もまたこんな騒ぎを繰り返すのは、もううんざりだ。
これで終わりにしたい 首相 終戦の日に靖国参拝
[東京新聞 2006年8月16日]静かに戦没者に思いをはせ、不戦を誓う日に、小泉首相が靖国神社に参拝した。何をむきになって騒ぎを、の感慨もある。次の首相には繰り返してほしくない。
平服の昨年とは違って、モーニング姿で昇殿して「内閣総理大臣」と記帳もしている。早くからこの日を“予告”しての参拝だった。
この何日か、テレビメディアを中心に盛り上げられた参拝騒ぎは、間もなく退陣する首相には、期待した通りだったかもしれない。
五年前「いかなる反対があっても必ず八月十五日に」と公言した勇ましさを、内外の視線を集めつつ実現できるのだから。首相にとっての有終の美とは、このことだった。■最初の一歩で間違った
就任以来の参拝は六度目になる。
二〇〇一年四月の自民党総裁選で参拝を公約し、その年の八月十三日に敢行した。十五日からの前倒しは周辺に説得されて、であった。
惜しかった、と今さらながら考える。政権を担当して参拝まで、三カ月半という日にちがあった。
せめて中国や韓国を訪ねて自らの深い思いを伝え、日本の国民向けに靖国問題を自分の代で決着させる意気込みを語っていれば、今とは違った別の展開があったはずである。
首相の参拝を批判する自民党の加藤紘一氏が言うように、多くのメディアを通じて靖国問題にこれほど国民の知識が深まったことはない。
昭和天皇がA級戦犯の合祀(ごうし)をきっかけに参拝を見合わすようになったこと、「英霊」の合祀には、名簿を提供するなど政府が関与していたこと、遺族の同意を求めることなく合祀されたケース…。
今回の参拝に際して首相は、靖国の抱える問題、たとえばA級戦犯がまつられていることに「それとこれとは別だ」と言っている。
論点をそらすしかないところに首相の「思考停止」を見る。やはり初めの一歩から間違っていたのだ。■次の首相も同じ轍を?
二十一年前の終戦記念日に首相として公式参拝した、中曽根康弘氏のコメントが分かりやすい。
激しい反発を押して、本人は気分がよかろうが、と。自身は中国など近隣アジア諸国民の理解を得られなかったことを理由に、その時を最後に在任中の参拝をやめている。
次期首相の候補に、問うておきたい。小泉氏と中曽根氏のどちらの選択を、あなたは潔しとするか。
靖国をめぐって多くの問題のあることが、国民の知るところとなっている。新たに加わった懸念は、靖国参拝をもって首脳会談を拒否するのは論外だとする小泉論理が、国民の排外主義、狭量なナショナリズムを巧みにあおっていることである。
靖国神社はかつての軍国日本の精神的な柱であった。そして今も、あの戦争を自存自衛のためであったとする、一方的な史観に立つ。
特攻で散った若者たちを悼む心は多くの国民に共通する。いわゆる自虐史観を退けたい人もあれば、特攻を命じたり、あるいは無謀な戦争を指導した責任者とともに彼らがまつられることに、複雑な思いを持つ遺族もいる。そういう施設なのだ。
侵略された側の感情もある。自明のように中韓両国は反発し、これに国内から内政干渉排除論が出る。そんな悪循環が繰り返されてきた。
同じ轍(てつ)を踏むのか、ここで堂々巡りを脱するか。次の首相にかかる。
戦争犠牲者を哀悼し、政治の最高責任者が戦争の過ちをわびること自体に、異論のあろうはずはない。
問題はその場である。現在の靖国はふさわしくない。私たちはそう考えてきたし、書き続けている。
繰り返された首相の参拝は一方で、思いがけぬ副産物と戦後六十一年を象徴する戦争責任再論議の現象をもたらした。
副産物は時代が靖国に変容を求めたことである。非宗教法人化やA級戦犯分祀論、国立追悼施設の造営論が、いつにもまして語られる。
東条英機元首相らの合祀に「一宮司らの恣意(しい)」も取りざたされては、神社側も沈黙を許されまい。自ら変わらなければ、いずれ朽ちるのを覚悟してのこと、と取られよう。
戦後が還暦を過ぎて、戦争責任のぼかされた歴史の空白を埋めようとの動きが、学者やメディアの間でも再燃している。
閉ざされていた人たちの口から、「真相」がさらに漏れ出すのを期待する。思えば私たちは、あまりに多くを知らされずにきたのだから。
靖国問題をどう解決するか、そして戦争を見直す歴史認識が、好むと好まざるとにかかわらず、自民党総裁選の争点となった。次の政権を選ぶ意義の一つがここに見えている。■安倍氏に資質はあるか
最有力視される安倍晋三氏に明確な発言を求める。正式な出馬表明を目前にしてなお、首相参拝の論評を避けるようでは資質が疑われよう。
厳粛な戦没者追悼の思いが政治に妨げられてはいけない。首相参拝はこれでもう、終わりにしたい。
そして、前へ進もうではないか。小泉首相が日本武道館で述べた平和の誓いは、それでこそ意味を持つ。
何チャンネルだったか忘れてしまったが、報道番組で、ある解説者が「メディアが騒ぐだけ」とコメントしていたが、メディア自身が「メディアが騒ぐだけ」というようになっては、もはやメディアの“自殺行為”と言わざるをえない。
8月15日の夜になって、小泉の靖国参拝は、いよいよ新たな時代の始まりと自覚しました。それも真っ暗な時代。
平和憲法を変え、天皇の靖国への公式参拝を定式化するための新たな法律を作り、結局、太平洋戦争は侵略戦争ではないことを国家を挙げて主張しようとするものです。それ故、日の丸・君が代そして教育勅語を子供たちに教えることにより、庶民を国民にし、愛国心を持たせ、お上に楯突く庶民を排除することに成功する。
この第一歩が小泉靖国参拝です。
これに向けて、何があっても抵抗し続ける私の覚悟を決めた日でした。何があっても私のブログで言葉でも抵抗し続ける覚悟を込めた日でした。
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