張作霖爆殺事件について

8月11日に放映されたNHKスペシャル「満蒙開拓団はこうして送られた」を見ていたら、関東軍の東宮鉄男大尉の日記が紹介されていました。番組の中心は、満蒙開拓団を送り出す国策がどのように決定されていったかを追ったもので、番組の本筋とは関係ないのですが、張作霖爆殺事件後、東宮自身が、張作霖爆殺計画の実行犯であることを認める記述をしていたことが明らかにされていました。

張作霖爆殺事件は、1928年6月4日、北京から引き上げる張作霖が乗った列車が奉天駅近くで爆破され、張作霖が死亡した事件のこと。当時から、日本政府は、これが軍部の関与した事件であったことをつかんでいました。だからこそ、田中義一首相は、関係者の処分を天皇に上奏したのです。

番組で紹介された日記では、東宮は、まず28年4月17日に、「京奉線クロス遮断準備計画」を提出したと記しています。爆殺事件は、京奉線と南満州鉄道が立体交差する地点で起きたもので、この「遮断計画」が爆殺計画であることは明らかです。さらに事件直前には、いつ張作霖が引き上げてくるか分からず緊張したことや、東宮が現場を視察したことも記録されています ((なお、事件直前の5月28日から6月9日までのページは破られていて存在しないとのこと。))。

さらに、翌29年7月2日、田中内閣が総辞職 ((田中首相は、1年前の上奏にもかかわらず、軍部の圧力に屈し関係者の処分ができず、天皇には、調査したが関係者はいなかったと上奏した。そのため、天皇から前の上奏との食い違いを問われ、辞職した。))したとき、東宮は次のように書いています。

事件の最大責任者はもとより余一人にあり。ただ余が言を発すればことさらに重大を加う。……特に軽挙を慎まざるべからず。

東宮が実行犯であることは従前から知られていたことですが、それを本人がこのような形で生々しく記録していたことは知らなかったので、なかなか興味深く思いました。東宮日記は初めて公開された資料だと思いますが、ぜひとも全体の公開を期待します。

張作霖爆殺事件といえば、昨年出版されたユン・チアン『マオ』が次のように書いていたことが、大きく取り上げられました。

★張作霖爆殺は一般的には日本軍が実行したとされているが、ソ連情報機関の資料から最近明らかになったところによると、実際にはスターリンの命令にもとづいてナウム・エイティンゴン(のちにトロツキー暗殺に関与した人物)が計画し、日本軍の仕業に見せかけたものだという。(上、301ページ原注)

インターネットの世界でも、これでまるでこれまで隠されていた歴史の真相が明らかになったかのような書き込みを見かけますが、東宮の日記をみても、あらためて『マオ』の眉唾ぶりが分かると思います。

なお、『マオ』の記述と日本語訳の誤りについては、矢吹晋「『マオ』の真贋を読む」(原載、東方書店『東方』2006年5月号、28-31ページ)が詳しく批判しています。

「読売新聞」は、この本を書評欄で取り上げませんでした。その理由を、編集委員の布施裕之氏が明らかにしています。

(『マオ』が)歴史書として問題が多いのは、承知の上だ。実際、書評の選考から漏れたのもそれが主な理由だった。
 例えば、張作霖爆殺がソ連情報機関の仕業だったとするくだり。唯一の論拠としたロシアの歴史作家による推論は、「歴史はすべてソ連情報機関が作った」との宣伝臭が濃厚で、かなり怪しい。
 だが、初めからやや筆の走ったノンフィクションとして読むなら、これほど面白い本はない。(「読売新聞」8月14日「読書委員が選ぶ『夏の一冊』」

「筆の走ったノンフィクション」とは、ま、いわゆる「トンデモ」本の類ということでしょう。何にせよ、この点では、日経新聞や朝日新聞などより読売新聞の方が見識があった、ということでしょう。(^_^;)

追記:
上記エントリーを公開したところ、先輩のW辺氏から、産経新聞8月30日付の「正論」で、秦郁彦氏が「謀略史観に思う時代考証の大事さ」と題して同じ事を書いていることを教えていただきました。W辺さん、ありがとうございます。m(_’_)m

【正論】現代史家・秦郁彦 謀略史観に思う時代考証の大事さ
[産経新聞 2006年8月30日]

 ■通説定説の修正に潜む落とし穴

 ≪反証を挙げても納得せず≫
 新聞もテレビも毎年8月は第二次大戦絡みの話題で賑(にぎ)わうが、今年は小泉首相の靖国参拝問題の狂騒に押しやられてしまった観がある。
 その合間を縫って見た2本のNHK終戦番組(いずれもNHKスペシャル)に感銘した。1本は8月11日放映の「満蒙開拓団はこうして送られた」、もう1本は13日放映の「日中戦争」だが、第一級の新資料を探し出した取材班の力量に敬意を表したい。
 なかでも「満蒙開拓の父」と呼ばれた東宮鉄男大尉が、張作霖爆殺事件について記述した昭和3、4年の日記が明るみに出た意義は大きい。
 通説では、中華民国大元帥(元首)の座を去り、古巣の満州へ引き揚げる途上の特別列車を奉天(現在の瀋陽)郊外の皇姑屯で爆破した陰謀の首謀者は河本大作大佐(関東軍参謀)、実行者は東宮大尉とされてきた。そして河本の処罰をめぐって当時の田中義一首相が食言したため、昭和天皇の怒りを買い、1年後に内閣総辞職したことも『昭和天皇独白録』によって裏付けられた。通説というより定説といってもよい。
 ところが、数年前からロシアの歴史家プロポロフが旧KGBの文書に依拠したとして、爆殺はソ連工作員の仕業だと言い出し、ユン・チアンの『マオ』が、それを紹介して以来、わが国の歴史学者でも河本主犯説に疑問を付す人が出てきた。
 通説ないし定説に異議を唱える歴史家は、修正主義者と呼ばれるが、この種の「謀略史観」を奉じる人たちは概して頑固で、反証を挙げても納得しない場合が多い。河本=東宮主犯を裏付ける関連の記録や証言は数十種あるが、どれを示したらよいか思案しているところへ東宮日記が出現したわけである。
 昭和4年7月2日の日記は「(田中)内閣総辞職。事件の最大責任者はもとより余一人にあり」と記す。
(以下略)

追記その2:
東宮鉄男の日記を、今回公開する決意をされた御遺族の方が、ブログでその経緯と心境を書かれています。

御遺族にとってみれば、自分の父、祖父のことが番組で大きく取り上げられることは、大きな痛みをともなうことだと思います。しかし、もとより戦争は1人の個人が引き起こせるものではありません。国策の誤りが、大きな事件を引き起こすのです。だからこそ、そうした歴史の誤りを繰り返さないために、1つ1つの事実が掘り起こされ、検証されることが必要であり、歴史研究の意義もそこにあるのだと思います。その意味で、貴重な資料を公開された決断に、心からの敬意を表したいと思います。

張作霖爆殺事件について」への2件のフィードバック

  1. 検索していたらこちらに辿りつきました。
    この問題については、私もちょっと詳しく調べたことがありますので、御参考まで。

    http://www.geocities.jp/yu77799/nicchuusensou/chousakurin.html
    http://www.geocities.jp/yu77799/nicchuusensou/chousakurin2.html

    お読みいただければ、どうして「KGB陰謀説」がまともな歴史学の世界では
    相手にされていないのか、おわかりいただけると思います。

    秦氏の文は存じ上げませんでした。感謝します。

  2. 初めてコメントします。
    最近『マオ』を読み終えて、この本の張作霖爆殺事件に関する記述についての評価を検索していてたどりつりました。
    大変興味深く読ませていただきました。

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