文春新書『歴史の嘘を見破る』(中嶋嶺雄編)のなかで、「中国に『対支21カ条要求は屈辱だ』と言われたら」という設問に、岡崎久彦氏が反論を書かれています。しかし、まったく反論になっておらず、いささか気の毒になってしまうほどです。(^_^;)
曰く――
ここで私に与えられた課題は、この要求〔対華21カ条要求〕に対する歴史的評価である。
その通り! しかし、その直後からもう調子が外れてきます。
歴史的評価といっても色々な物差しがある。
そうそう、色々な物差しがある、ある。
「あれは中国にとって屈辱的だったのではないか?」という質問は一番答え易い。
で、その答えは? というと
それは間違いなく屈辱的だった。
これでは反論どころか、中国側の「主張」(といっても、それは勝手に彼らがもちだしたものですが)を、まるっきり認めちゃってるじゃないですか。(失笑)
そこで岡崎氏は、反論の第2弾として、次の質問に移ってゆきます。
「あれは外交的に失敗ではなかったか?」という質問には、一般的には短期的長期的なあらゆる角度からの考察が必要であり、断定的な答えは出しにくいものである……
「色々な物差し」の次は、「短期的長期的なあらゆる角度からの考察」ですね。しかし、他の問題は「断定的な答えは出しにくい」としても、21カ条要求については、評価ははっきりしているというのです。
このケースに限っては、その当時から今に至るまで、幾多の史観の変遷を経つつも、それが拙劣であったことについては、全ての評価が一致している。
なるほど! 「対華21カ条要求」は、中国からみると「屈辱的」なもので、外交としては「拙劣」だった、と。ずいぶんと御立派な“反論”でねぇ? そこで、岡崎氏は、いよいよ最後の反論にすすんでゆきます。曰く、
戦後の史論の中には、これ〔21カ条要求〕が取り返しもつかない失敗となって、宿命的に支那事変、大東亜戦争に至ったというニュアンスで書かれたものも少なくない。しかし歴史の流れはしかく簡単ではない。
では、どう単純でないかと読んでみると、こう書かれています。
1925年(大正14年)に幣原外相が中国の外交自主権回復を協議する国際会議を提唱したときは、「対日感情は一変していた」。だから、「幣原外交がそのまま続いたという歴史上の仮定が許されれば、二十一か条要求などは昔話にすぎなくなっていたのである」「全ての発端を二十一か条要求に帰しうるような単純な話ではないのである」
なるほど、なるほど。21カ条要求が悪いのではなく、幣原外交がそのまま続かなかったのが悪いのだ。反論完了!
しかし、どちらにしても日本が悪いということには、岡崎氏は気がつかなかったようです。めでたし、めでたし。