夏休み前に出版された粟屋憲太郎『東京裁判への道』上・下(講談社選書メチエ)をようやく読み終えました。
本書のもとになったのは、『朝日ジャーナル』1984年10月12日号?1985年4月12日号の連載。東京裁判(正式には「極東国際軍事裁判」)を勉強するときの必読文献の1つで、大学院生の頃に一度図書館で全部コピーして読んだのですが、コピーがどこかへ行ってしまい、そのあともう1回全部コピーし直した記憶があります。しかし、それもいまはどこへ行ってしまったのか行方不明。(^_^;) 今回、大幅に加筆して単行本にまとめられたので、あらためて読んでみました。
この20年間というのは、東京裁判の研究が大きく進んだ時期と重なっています。そのため、現在の時点から連載当時の研究状況をふり返りつつ論述した部分や、逆に、連載後の研究で解明されたことの補足などがあり、若干、叙述の時間が前後するところがありますが、そのため、かえってこの20年間の研究史の発展があとづけられているところもあって、僕のような不勉強な人間にはとても役だちます。(^_^;)
膨大な尋問調書をつかって、上では、A級戦犯28人がどうやって選ばれたか、昭和天皇の「不起訴」がどうやって決まったか、などという東京裁判を準備する過程とともに、木戸幸一や田中隆吉が検察側の尋問に応じてどのように答えていったかが明らかにされています。下では、なぜ東京裁判に続く国際裁判が開かれず、A級戦犯容疑者が釈放されていったのか、日本軍の細菌戦、毒ガス戦をめぐる戦争犯罪がなぜ裁かれないことになったのか、などが追究されています。
あらためて読んでみて、印象に残ったのは、内大臣・木戸幸一のイメージがずいぶんと違ったなぁということ。暴走する軍部にたいし、宮廷グループはなんとか対米交渉を続けようとしたというイメージを何となく持っていたのですが、どこでそんなふうに思いこんでしまったのか。田中隆吉の木戸評として、こんなことが紹介されています。40年の全政党解消は、もともと陸軍が計画していたことだが、近衛と木戸が実行に移したこと、三国同盟について、昭和天皇は最初は反対していたが、木戸の強い影響力で裁可したこと、また木戸と財閥の関係、満州重工業開発会社の鮎川義介から岸信介を介して政治資金を受け取り、政党や右翼にばらまいたこと、木戸は太平洋戦争末期になってもドイツの戦力を信頼していたこと、などなど(上、230ページ)。やっぱり、ちゃんと勉強しないとダメですねぇ。(^_^;)
【書誌情報】書名:東京裁判への道/著者:粟屋憲太郎/出版社:講談社(選書メチエ367、368)/出版年:上=2006年7月、下=同8月/定価:上=本体1600円+税、下=本体1500円+税/上=ISBN4-06-258367-4、下=ISBN4-06-258368-2
さすが、読むのが早いですね(^^;;
私も関心があって読もうかと思っていた矢先。。。恐れ入りました_(. .)_
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東京裁判を批判するのであれば、そうした裁きを免れた問題(昭和天皇の戦争責任や731部隊の免責、朝鮮人強制連行や「従軍慰安婦」問題、毒ガス戦など)にもメスを入れないと、都合の良いところだけのつまみ食いに終わってしまいます
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そうした国際法の発展のなかで、東京裁判をとらえることも重要です(同、184ページ)。これなしに、「事後法だ」といって東京裁判を否定すれば、結局、現在、様々な形で確立してきた戦争犯罪を全部否定することになります
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わたしも、この意見に賛成だね。だから、読んでみたいと思ったんです。久々に頭を鍛えられる良書に巡り会えた気がしますね。