仕事の関係でいろいろ探していたら、こんな記事を見つけました。「しんぶん赤旗」日曜版の2004年10月10日号に載ったものです。
記事全体は、「素粒子物理最前線」ということで、宇宙の誕生と物質・反物質の「対称性の破れ」を取り上げたものですが、そのなかで、京都大学の益川敏英氏(京大名誉教授)が、「小林・益川理論」を思いついた頃(1964年)の素粒子論をふり返って、こんなふうに述べられています。
――そのころの素粒子論をめぐる状況は?
益川 60年代と、70年代以後とでは、ものすごく変わりました。
60年代は、混沌(こんとん)としていて、いろんな考えが渦巻いていました。空想的な考え方を進めている大御所もいました。
クオークにたいしても、これが非常に神秘的だとする考え方がまん延していました。
それが、70年代には、相対論と量子力学に基礎をおいた理論「場の理論」が急速に主流になっていった時代でした。――その流れのなかで、クオークが6種類あるという小林・益川理論の予言が、次々に検証されました。
益川 74年に、4番目のクオークが発見されたのは衝撃的でした。それまでクオーク仮説反対派の人も、この段階で“改宗”しました。
でも、94年に6個目のトップクオークが見つかったときは、あるものがあったという感じでしたね。
[「しんぶん赤旗」日曜版 2004年10月10日号 19面]
60年代までは、クオークを「神秘的なもの」とする見方(つまり、クオークを単なる理論上の仮想と見なすような考え方、だと思うのですが)が大いにあった。それが、70年代に一掃されていったというお話です。
量子力学の素人向け解説書などを読むと、確率的存在とか、波と粒子の性質を併せ持つとか、「観測」問題などなど、「常識」では理解しがたい性質があれこれ紹介されていて、僕のような文科系人間は???の連続なのですが、そこから、唯物論・観念論という問題で、怪しげな理屈があれこれ振りまかれたりすることも少なくありません。それだけに、そうした「混沌」した状況は60年代までで、70年代以降はすっかり変わってしまったというお話は、なかなか興味があります。そういう角度から、クオーク研究の歴史を跡づけた文献(もちろん、素人で読めるもの)ってないですかねぇ…。(^_^;)