今日は、読売日響マチネーシリーズで、午後から池袋の東京芸術劇場へ。先月の定演と同じゲンナジー・ロジェストヴェンスキーの指揮で、オール・ショスタコーヴィチ・プログラムです。
- ショスタコーヴィチ:交響曲第1番 ヘ短調 op.10
休憩 - ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲第1番 イ短調 op.99
- ショスタコーヴィチ:バレエ「ボルト」op.27から 「間奏曲」「官僚の踊り」「馭者の踊り」
1曲目は、ショスタコーヴィチが19歳のとき、音楽院の卒業作品として作曲した作品。千葉潤『作曲家・人と作品シリーズ ショスタコーヴィチ』(音楽之友社)によると、ショスタコーヴィチ自身が「グロテスク交響曲」と呼んだそうで、「グロテスク」とは「自然や日常ではありえないような対比を意識的に作りだしたり、対象を極端に誇張したりすることによって、新鮮な驚きの効果を生み出し、われわれの惰性化した知覚を活性化させようという手法」なのだそうです。プログラムノーツにあるように、「イデオロギー的テーマも政治的駆け引きもない、最初で最後の交響曲」であることも事実ですが、聞いてみると、将来のショスタコーヴィチを伺わせるようなところがそこここに登場します。ただ今日の演奏は、ちょっとおとなしめで、もう少しエグくてもよかったのではと思いました(ただし座席が2階後方壁際だったというせいもありますが)。
休憩後のヴァイオリン協奏曲は、オイストラフに捧げられた作品で、1947年夏?48年3月に作曲。ちょうど、ジダーノフ批判(1948年2月)をはさんだ時期で、初演はスターリン死後の1955年という作品です。全体に非常に陰鬱で、神経質な感じです。交響曲第1番のときもそうでしたが、座席の関係か、音がなかなか回ってこない感じで、演奏はちょっと物足りないようにも思いましたが、アレクサンドル・ロジェストヴェンスキーの演奏は沈着、重厚という印象。とくに第3楽章は、カデンツァをふくめ、思わず聴き惚れてしまいました。
で、最後はバレエ「ボルト」の3曲。普通のプログラムなら、最初にこの「ボルト」の3曲があって、次がヴァイオリン協奏曲、そして休憩後に交響曲第1番、となるところです。時間的にも9分だし、内容的にも軽い作品ですから。
しかし、実際に会場で聞いたら、これがなかなかよく考え抜かれたプログラムのように思われました。というのも、交響曲とヴァイオリン協奏曲で、ショスタコーヴィチの作品がいかに名曲だといっても、やっぱり会場が重苦しくて、お客さんも疲れた雰囲気でした。
ところが、この「ボルト」がはじまると一転して、ロジェストヴェンスキーは、1曲目の「間奏曲」を振りながら、ちょっとおどけ気味にお客さんの方をふり返って見せるなど、コミカルな雰囲気に。演奏終了後、会場からは思わず笑い声がもれ、ふわっと雰囲気が軽くなりました。2曲目の「官僚の踊り」は、いかにも官僚が喋ってるといった感じの機械的な音楽の間に、ときどき降って沸いたように上司からの命令だ!という感じの大音量が挟まる、といった調子でした。
最後に、アンコールで、ふたたび「馭者の踊り」を振ったロジェストヴェンスキーは、曲の終わりとともに舞台下手に退場してゆくパフォーマンス。お客さんは、やんややんやの大拍手になりました。
ショスタコーヴィチだからといって、いつもしかめっ面して聴かなきゃいけない訳じゃありませんよ――そんなことに気づかせてくれたように思いました。
【演奏会情報】読売日本交響楽団第62回東京芸術劇場マチネーシリーズ/指揮:ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー/ヴァイオリン:アレクサンドル・ロジェストヴェンスキー/コンサートマスター:藤原浜雄/会場:東京芸術劇場/開演:2006月10月8日 午後2時?
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