リカードウ派社会主義について勉強中

いま、1968年に出版された鎌田武治『古典経済学と初期社会主義』(未来社)という本を読んでいます。

もともとは、他のことを調べていて、その途中で、立教大学の小松善雄氏の論文「『資本論』の社会主義像」(『立教経済学研究』59-2,3,4,60-2)を偶然見つけました。で、読んでみると、これがなかなか面白いのです。

この論文で小松氏は、ソ連が崩壊して、日本ではマルクスはもう古いといわれているが、海外では「ソ連型社会主義のバイアスを払ってマルクスそのものをもう一度みつめ直そうという草の根からの思想動向も地歩を占めつつある」 と指摘 ((その例証として、小松氏は、注の中で、2005年7月23日付の「しんぶん赤旗」の記事「『最も偉大な哲学者』マルクスが1位, 英BBCラジオの視聴者投票」を紹介されています。))し、あらためて、マルクスの社会主義像がどんなものだったのかを、ソ連流「通説」的解釈を排して、考えてみようといって、『資本論』の中でマルクスが先行する社会主義思想家たちをどんなふうに取り上げているかを、網羅的にふり返っています。

で、そのなかで、小松氏は、「リカードウ派社会主義」という呼称の起源について、次のように書かれています。

リカードウ派社会主義という用語はアントン・メンガーの『労働全収益権史論』(1886)のM.E.ターナーによる英訳本に付された「序文」において、H.S.フォクスウェルが「コドウイン」、 「ホール」、 「トンプソン」、 「グレイ」、 「ホジスキン」、 「ブレイ」、この「イギリス社会主義の6大家」に「リカードウ派社会主義」の名称を冠したことに始まる。その後、ローエンソール女史が『リカードウ派社会主義者』(1911)を発刊し、ローエンソールがリカードウ派社会主義を空想派とマルクス学派とのあいだにおける「過渡的学派」=「過渡的中間学派」という学説史的地位の位置づけを与え、それが今日にまで継承されている。(小松善雄「『資本論』の社会主義像(下)」、『立教経済学研究』59-4、2006年3月、1?2ページ)

もちろん、今日的には、リカードウ派社会主義を、マルクス派への「過渡的学派」「中間的学派」という位置づけで片づかなくなっているでしょうし、僕自身は、リカードウ派社会主義についてほとんど知らないのだから、もっと勉強しないといけないと思っていますが、なんにせよ、リカードウ派社会主義という呼称が、アントン・メンガーの「全労働収益権」との関連で19世紀末あるいは20世紀初めになって成立したというのは、初めて知りました。

そして、そこで日本のリカードウ派社会主義研究として、新潟大学の蛯原良一氏とともに、鎌田武治氏が紹介されていました。蛯原氏の本は一応読んでいるので、鎌田武治氏の旧著『古典経済学と初期社会主義』を手に入れて、読み始めたということです。鎌田氏の新著『市場経済と協働社会思想』(未来社、2000年)は、残念なことに12,600円もするので、すぐには手が出ません。(^_^;)

で、読み始めてみると、序論のところで、マルサスの人口論やリカードウの地代論(および収穫逓減法則)と、アダム・スミス以来の生産的労働・不生産的労働をめぐる議論の関係、それに、いわゆる利潤率低下法則などの関係で、初期社会主義の議論を取り上げていて、マルクスとの関係でも非常におもしろいと思いました。投下労働価値説と支配労働価値説の問題と、生産的労働・不生産的労働の議論、それに人口論や地代論、収穫逓減法則が相互に密接に関連しあっているということが初めてよく分かりました。

ということで、まだまだスミスやリカードウの理解が通り一遍だったなぁ…と反省することしきりです。

リカードウ派社会主義について勉強中」への1件のフィードバック

  1. すごく、興味深いです。マルクスが、マルクス以外の社会主義の潮流をどう評価したか、という問題は、『共産党宣言』でも重視していることですし(『学習』の連載で、「諸潮流を交通整理する方法論に注目すべし」と指摘されていたことが、すごく頭に残っています)。小松さんの問題意識は、『資本論』での先行する社会主義者像の描写を通じて、マルクス自身の社会主義論を検証するということでしょうから、それも興味あります。
    ところで、いま「『フランスにおける階級闘争』への序文」を読んでいて、社会主義論で疑問に思ったことがあります。地方で活動していると、代々木で開かれるセミナーに参加するわけにもいかず、一人で悶々としているところです。自分のブログに疑問を書くつもりなので、暇なときにでも教えて下さい。

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