昨日の「産経新聞」に、日本が小型核弾頭を試作するとしたらどれだけの時間やコストがかかるかを検討した政府の内部文書が明らかになったという記事が出ていましたが、今日からは、「核の空白」という連載開始。
核弾頭試作に3年以上 費用2000?3000億円 政府内部文書(産経新聞)
【核の空白】(上)ウラン濃縮に10年 製造業の誇り今こそ(産経新聞)
今日の記事を読むと、昨日の「スクープ」のねらいもハッキリ。「潜在的核保有技術国」であるにもかかわらず、どうして実際には核兵器開発能力が欠如しているのか。それが核の「空白」だというのです。政府内部文書は、核弾頭試作の「困難さ」ばかり書き立てていますが、逆に読めば、こうすれば核弾頭は持てるぞ、と言いたい訳でしょう。
核弾頭試作に3年以上 費用2000?3000億円 政府内部文書
[Sankei WEB 2006/12/25 02:38]「日本が小型核弾頭を試作するまでには少なくとも3?5年かかる」とする政府の内部文書が24日明らかになった。「核兵器の国産可能性について」と題した文書によると、日本にはウラン濃縮工場や原発の使用済み核燃料の再処理技術・設備はあるが、技術上の制約から核兵器にただちに転用できないとしている。北朝鮮の核実験を機に日本国内では一部に「非核三原則」の見直しや核武装論が出ているが、日本が仮に核武装する決心をしてもほぼゼロからの開発にならざるをえない、という現実を確認したことになる。
政府内部文書はことし9月20日付で作成された。10月9日の北朝鮮核実験に先立ってひそかに政府機関の専門家が調査し、まとめた。小型核弾頭試作までに3年以上の期間、2000億?3000億円の予算と技術者数百人の動員が必要という。これでは仮に日本が核武装宣言しても、ただちに独力で北朝鮮からの「核の脅威」抑止には間に合わない。
核兵器の材料は、いわゆる広島型原爆材料の高濃縮ウランか長崎型のプルトニウムの2種類。日本原燃の六ケ所村(青森県)原子燃料サイクル施設や日本原子力研究開発機構東海事業所(茨城県)に、ウラン濃縮や原子力発電所の使用済み核燃料再処理工場がある。
しかし、いずれも軽水炉用で、核兵器級の原料をつくるのには適さない。濃縮工場は純度3%程度の低濃縮ウランを製造するが、そのため稼働している遠心分離機は故障続きで、短期間での大規模化は困難である。
政府内部文書では、日本が核武装するためには、結局、プルトニウム239を効率的に作り出すことができる黒鉛減速炉の建設と減速炉から生じる使用済み核燃料を再処理するラインを設置する必要があると結論づける。さらに小型核弾頭をつくるためには日本にとって未知の技術開発に挑戦しなければならない。(編集委員 田村秀男)
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【政府文書骨子】
一、小型核弾頭試作には最低でも3?5年、2000億?3000億円かかる
一、核原料製造のためウラン濃縮工場拡張は非現実的。軽水炉使用済み燃料再処理をしても不可能
一、黒鉛減速炉によるプルトニウム抽出が一番の近道◇
■核をめぐる主な動き
昭和
30年 原子力三法公布
37年 国産1号炉が臨界
44年 動燃事業団、遠心分離法でウラン濃縮実験に成功
51年 日本政府、核拡散防止条約(NPT)批准
52年 米原子力政策グループ、再処理凍結を大統領に勧告
54年 米スリーマイルアイランド2号機で事故
61年 旧ソ連のチェルノブイリ原発で事故が発生
平成
4年 日本原燃産業、ウラン濃縮工場操業開始
7年 朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)設立
8年 包括的核実験禁止条約に署名
10年 インドとパキスタンが相次ぎ核実験
13年 米中枢同時テロ
15年 北朝鮮がNPT即時脱退を宣言
17年 国連総会が核テロリズム防止に関する国際条約を採択
18年 10月9日、北朝鮮が地下核実験
(電気事業連合会のサイトなどから)
【核の空白】(上)ウラン濃縮に10年 製造業の誇り今こそ
[Sankei WEB 2006/12/26 21:04]製造大国日本は「潜在核保有技術国」と外からはみられているが、実際には核開発能力が欠如している(25日付本紙)。なぜか。追跡すると、政官民学、また業界内部の無責任体制が浮かび上がる。「核の空白」はウラン濃縮事業だけでも10年以上の間に及ぶ。
原発用と核兵器原料の濃縮ウランをつくる遠心分離機は世界情勢を左右する戦略技術である。国連制裁決議に対してイランは「遠心分離機3000基を稼働させる」と息巻く。パキスタンは稼働中だし、北朝鮮も部品集めに躍起となっている。ロシアと欧州は覇を競い、米国は技術拡散に神経をとがらせる。
金属研磨加工、超高速電磁モーター、超精密軸受け、複合炭素繊維と、世界最高のものづくり技術国日本にとってはたやすい、とだれもが思った。だが結果は無残だった。
下北半島の日本原燃六ケ所ウラン濃縮工場。屋根にゴーッと霰(あられ)が降り注ぐ。だが広大な建物の中は静寂。厳重な防護壁のせいではない。一万数千基の超高速の大型遠心機は機能停止。それを複数台ずつ収容した収納筒はさながら棺おけ、工場の大半は世界で一番高価で巨大な墓場と化していた。
遠心分離機の開発に1970年代以来、国費は90年代後半までに4000億円投じられ、電力業界は六ケ所村にさらに2500億円費やした。
機械群はユニットの150トンずつ、まるでのろわれたようにバタバタと倒れてゆく。11月下旬には300トン(当初計画は1500トン)の能力まで落ちた。
重い口をやっと開いた関係者たちの証言は衝撃的だった。
1990年代初め、動力炉・核燃料開発事業団(動燃、現日本原子力研究開発機構)は、岡山県人形峠で金属胴タイプと複合炭素繊維胴による遠心分離機を2つのメーカーグループと共同で開発していた。動燃は金属胴を日立製作所、東芝、三菱重工業の重電3社による「ウラン濃縮機器(UEM)」と、炭素繊維胴を住友電気工業と石川島播磨重工業の「日本複合材料(NCM)」と共同で開発してきた。
92年、原子力委員会濃縮懇談会は「新素材機の開発のメドが立った」と結論づけたが、電力業界はとりあえず金属胴タイプを採用、同年に工場を着工した。動燃・NCM連合は細々ながら新素材高性能機の開発を続行、96、97年度には「高い信頼性が実証された」(「動燃30年史」)。
そのときUEM製の金属胴遠心機は「根詰まり」を起こし、トラブル続き。新素材機への入れ替えが検討されたが、重電3社が猛烈に巻き返す。電力業界は学者グループの推薦もあって93年から3社が提案した別の新素材機「高度化機」の開発を資金支援していた。NCMが入る余地はなく、「捨て子にされた」とNCM首脳はパートナーをフランスに求めた。
2000年に入ると逆転する。高度化機には遠心機底板がひび割れを起こす重大事故が発生、2000年度、日本原燃と電力業界は重電3社にとうとう引導を渡した。原燃はNCMタイプの採用を決め、現在この新素材高性能機を2010年から本格導入し、六ケ所工場を再生する計画だ。
新素材機の開発に取り組んできた技術者たちは「空白の10年」と呼ぶ。92年に開発のメドが立って以来、日の目をみるまでに約10年かかったからだ。
政府や電力業界関係者は、「いや、新型機は世界最先端になるはず」と、新鋭機の2010年の導入に期待を込める。成功すれば、日本は遅れを一挙に取り戻し、遠心分離技術で確かに世界の先頭に立てるだろうが、条件がある。
失敗からどのような教訓を学んだのか。国と民間、電力とメーカーのもたれあい体質、メーカー間の競争なきすみ分け。構造問題はあるが、そればかりではない。その昔、東芝の土光敏夫会長(故人)は、遠心分離機の開発に使命感を持ち、国や電力が予算をつけないときに東芝のタービン設計室を新素材遠心分離機用として、ライバル社の技術者に提供した。日本の製造業の誇りにかけて、公共の利益に貢献するという土光精神を今こそ思い起こすときだろう。(編集委員 田村秀男)
追記:「核の空白」の続編は以下のとおり。
【核の空白】(中)平和利用技術 国際的役割高める機会(Sankei WEB)
【核の空白】(下)抑止力への道 二面性、有効利用の時(Sankei WEB)