憲法を泣かせるな

澤地久枝さん

今朝の朝日新聞「私の視点」欄で、作家の澤地久枝さんが、「憲法60年 明るい年にしていくために」と題して意見を寄せられています。決して激しくはないけれど、深いところから、憲法改悪勢力に対する怒りが伝わってくる文章です。

澤地さんは、まず、大岡昇平と五味川純平についてふり返り、「戦争体験世代が命をかけてつかみとった『真理』の意味」を思い返すことから書き起こされています。そして、生活苦を訴える人が増え、日本が「富国強兵」の道をすすんでいる結果が「生活をむしばみはじめている」と指摘。さらに、「戦争前夜の世相と似ていますか」という質問が多い、と言って、次のように答えられています。

人々が口をつぐみ、世のなりゆきをうかがって腰を引く、その点では、まったくよく似た世の中がまたしても姿をあらわした。

そうしてさらに、いまの「政治」についてこう書かれています。

 このままでは、歴史はくりかえされる。教育基本法をゆがめ、自衛隊法を変えて公然たる軍隊にし、戦争できる方向が選択された。そこに主権者である国民の意志はどれだけ反映されているのか? 主権在民をマンガにする政治がまかり通ったのだ。
 戦死者ゼロ、福祉国家を目ざした現憲法下の実績の否認がはじまろうとしている。さらにこの反動的選択は、同盟国アメリカの要望への答えであること。つまりは主人持ちの政治であること。命をさしだすだけでなく、アメリカの膨大な軍事費への助っ人の一面をももつことをかくさない。
 大国の誇りにこだわりながら、この国の政治家たちは、従属の現実を無視する。そのアメリカはイラク侵略の泥沼にあえぎ、まさにもてあましている。小泉前首相はイラク出兵を即断しながら、責任をとらずに退陣、安倍内閣はその政治路線の具体化に忙しい。

だから澤地氏は、決して、状況を楽観されてはいません。むしろ非常に厳しくとらえておられます。しかし、だからといって決して悲観的にはなりません。政治の状況がこうだからこそ、市民の間から憲法を守る新しい動きが生まれ、拡大していることに目を向けておられます。

 国内の民情悪化とその疲弊は避けがたくなった。選挙で議席を失えば、政治家はタダの人。確実に政治は変わる。政治のあまりの悪さ、露骨さに、危機感をもつ市民が全国に生まれた。もうこれ以上の逆コースは認めない。悪法は押し返し、憲法本来の国にもどろうという市民の意志。悪政はおとなしい市民たちを揺さぶり、無視できない運動を拡大しつつある。希望のタネ、希望の灯は、市民運動によって守られる。
 市民は自衛する。武器なきたたかいだ。考えて思慮を深め、おのれ一人の思いからはじめて、おなじ思いの人とつながる発信。負けることのできない、危うい政治の動きになお、希望をもちつづける熱源は、一人ひとりの心、決意にこそかかっている。

そうして、澤地さんは、憲法施行60年の合言葉を、こう訴えられています。

「憲法を泣かせるな」を、施行60年目にあたる今年の合言葉にしよう。

そう、決して憲法を泣かせてはならない。主権者国民の意志をマンガにするような政治を許してはならない。状況は決して容易ではないけれど、一人ひとりの思いの深いところから始まって、「なお、希望をもちつづける熱源」の、ふつふつとした暖かさを感じたのは、僕だけではないと思います。

※引用はすべて「朝日新聞」2007年1月4日付朝刊「私の視点」欄から。

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