防衛省発足で、いろいろ張り切っている方がいらっしゃるようで…。
自衛隊派遣「ためらわず」 NATOと連携強化(東京新聞)
防衛参事官制度見直しを検討 久間防衛相が表明(朝日新聞)
存在感強める防衛省 海外活動増へ布石(朝日新聞)
自衛隊派遣「ためらわず」 NATOと連携強化
[東京新聞 2007年01月12日 19時44分]【ブリュッセル12日共同】欧州歴訪中の安倍首相は12日午前、ブリュッセルで開かれたNATO理事会で日本の首相として初めてスピーチし、アフガニスタンの安定など世界的な諸課題の解決に向け、日本とNATOの連携強化を進める方針を表明した。また、防衛省発足で、自衛隊の海外派遣が本来任務となったことを踏まえ、「国際的な平和と安定のためなら、自衛隊の海外活動をためらわない」との考えを強調した。
首相がNATOとの関係強化を打ち出したのは、東アジアの安全保障問題にNATOの関心を引き付け、国防費が急増する中国や北朝鮮問題に、NATOと協力して対応したいとの狙いもあるとみられる。一方、自衛隊の海外派遣をめぐる積極姿勢に対しては、論議を呼ぶ可能性がある。
首相は日本とNATOの関係について「これまで以上にお互いの能力を発揮して共に行動すべきだ」と強調。
防衛参事官制度見直しを検討 久間防衛相が表明
[asahi.com 2007年01月10日01時00分]久間防衛相は9日、防衛省発足を受け、省内で文官(背広組)が大臣を補佐する「防衛参事官制度」について、自衛隊制服組を登用するか、制度自体を廃止するなどの抜本的な見直しを検討する方針を記者会見で表明した。同制度は戦時中の軍部独走の反省から導入されたもので、国会と内閣の文民統制(シビリアンコントロール)に加え、背広組が制服組を統制する仕組み。見直しが実現すれば、首相や国会による自衛隊の統制が一層、重要性を増すことになる。
久間氏は同日の記者会見で防衛参事官制度について「50年を経てきた今日、従来のままで行くのが果たしていいのか。検討していこうと思う」と語った。久間氏は約10年前の前回の防衛庁長官時、自衛官の教育や訓練をする内局の教育訓練局(当時)の局長に制服組を充てようとしたが、局長には参事官を充てると防衛庁設置法(同)で定められているため、見送った経緯がある。
吉田内閣は1954年の防衛庁設置時、文民統制を補完するために、背広組が制服組を統制する仕組みとして同制度を設けた。しかし、01年の米同時多発テロを契機にしたインド洋やイラクへの自衛隊派遣を背景に、制服組から「文官優位の制度だ」として見直しを求める声が強まった。
04年には古庄幸一海幕長(当時)が(1)制度の廃止(2)廃止が困難ならば各幕僚長を参事官に充てることを提案。制度は05年に当面の存続が決まったが、古庄氏は「国会や首相がボタンを掛けたり外したりする機能を持っていればいいのだから、シビリアンコントロールが担保されなくなるとは思わない」と朝日新聞の取材に話している。
また、昨年夏のイラクからの陸上自衛隊撤退時には、額賀長官(当時)が統合幕僚監部の1佐を長官室に常駐させ、背広組を通さずに制服組に直接指示するなど、実態面で変化も生じつつある。
ただ、制度見直しには防衛省設置法の改正が必要。通常国会では米軍再編関連法案やイラク特措法延長問題もあり、久間氏は会見で「(通常)国会で取り上げるほど簡単にはいかないのではないか」と強調し、慎重に意見集約を図る構えだ。
存在感強める防衛省 海外活動増へ布石
[asahi.com 2007年01月10日03時00分]
戦後レジームから脱却する大きな第一歩――。防衛省が発足した9日、安倍首相はお気に入りのフレーズで省昇格の意義を強調した。防衛庁が発足した54年に生まれた首相として教育基本法改正に続く政権の「実績」に高揚感も漂う。集団的自衛権行使の研究や憲法改正を唱える首相にとって、自衛隊の海外活動が本来任務になることは何を意味するのか。省昇格は戦後日本の安全保障政策の分岐点になる可能性もはらむ。●日米「軍事一体化」に拍車
「防衛省法の成立は、わが国の民主主義国家としての成熟、シビリアンコントロール(文民統制)に対する自信を内外に示すことになった」
安倍首相は9日午前、防衛省昇格の記念式典で胸を張った。久間・初代防衛相も続いた。「防衛政策の基本は省移行後も変えてはならない」
専守防衛や非核三原則など、戦後日本の安全保障政策の大きな変更につながるのではないか――。省発足のこの日、首相や防衛相は、そうした懸念の払拭(ふっしょく)に意を用いた発言を繰り返した。
ただ、防衛省発足で従来は付随的任務だった海外での自衛隊の活動が、本来任務に格上げされた。それに伴う省改革や自衛隊の再編も矢継ぎ早に進む気配だ。
久間氏は防衛参事官制度の見直しに言及。防衛省は今年度末には陸上自衛隊に中央即応集団を新設し、約700人の中央即応連隊を海外活動をする際の先遣隊として派遣できる体制を整える。
さらに、この9月には省内に日米防衛協力課を新設し、日米安保体制強化に向け、在日米軍再編やミサイル防衛(MD)も加速される見通しだ。
折しも、防衛省正門でセレモニーが行われていたこの日朝、米原子力潜水艦と日本船の接触事故があり、省内は緊迫する場面もあった。海上幕僚監部は午前7時すぎ、在日米海軍から一報を受け、インド洋へ派遣している海上自衛隊の補給艦部隊に速報したという。
ミリタリー同士の情報交換が威力を発揮する。そんな場面は自衛隊の海外派遣が多くなればなるほど日常的になり、日米間の軍事一体化に拍車がかかることになる。しかも省昇格で対米交渉の窓口を担った外務省との関係が変わるのは間違いない。
これまで主導権を握ってきた外務省は警戒感を強めるが、防衛省幹部は「外務省とは別ルートで独自の政策調整を行う時代になる」との見方だ。
この日の会見で久間氏もこう語った。「防衛省が表に出て提案するケースも出てくる。非常に危険を伴う場合は、外務省よりも防衛省が国防総省と話をすることが増えてくるのではないか」●陸自に「現地情報隊」新設
「イラクで安全確保に最も重要なのは『情報』だった」。現地を知る複数の隊員は言う。
本来任務に格上げされた海外活動では、治安・警備機関や住民からの情報収集が不可欠だ。陸自は今春、派遣先での「協力者確保や情報収集」を任務とする約50人の「現地情報隊」を新設する。
宗派などの地元事情がいかに大切か。陸自幹部は思い知らされた。
05年12月、イラク南部サマワ郊外で、陸自の車列がデモ隊に囲まれて投石を受けた。車両の一部を止めていた場所が、対米強硬派サドル師派の事務所に極めて近かったため、支持者らを刺激してしまったのだ。この幹部は「情報収集が足りず肝を冷やした」と話す。現地雇用したイラク人を通じて様々な情報を入手したが、他国の部隊に依存する部分が大きかった。
ただ、人的な情報収集活動には危険が伴う。協力者の身分がばれれば命にもかかわる。だが、陸自は「自衛隊が派遣される場所は『非戦闘地域』。情報隊が危険にさらされる状況はないと考えている」との認識だ。
「国際協力の裏では国益むき出しの駆け引きがある」。PKOである国連カンボジア暫定行政機構(UNTAC)の停戦監視員リーダーを務めた福井祐輔さん(59)は、2等陸佐だった92年から現地で活動した。自衛隊の初の海外派遣だった。
要員配置が発表され、福井さんは副司令官のもとでトラブル処理に当たる戦略情報チームの指揮官に決まった。PKOの要職である監視員の中でも特に重要なポストだ。だが翌日、急な変更で福井さんは地域担当となり、情報チームは他国の将校に。裏で何が動いたかは分からないが、ポストをめぐる各国の駆け引きがあったとみられる。
カンボジアの後のPKO派遣では、自衛隊から停戦監視員は出ていない。監視員が武器を携行しないことへの抵抗感が一部にある、という防衛省関係者もいる。
PKOにも様々な形態があり、さらにイラクやインド洋への派遣は意味合いが大きく異なる。福井さんは「どういう形であれ、国益に合うような内容の派遣を考えていくべきだ」と語る。