靖国神社が、遊就館の展示の一部を修正して、今月から展示を開始したそうです。
靖国神社:博物館「遊就館」の記述 今月から7項目変更(毎日新聞)
靖国神社:博物館「遊就館」の記述 今月から7項目変更
[毎日新聞 2007年1月21日 18時50分]独自の歴史観をパネルなどで展示している靖国神社の戦史博物館「遊就館」の記述が、今月から一部変更された。昨夏、シーファー駐日米大使ら米国要人や岡崎久彦元駐タイ大使から批判が出たのを受け、日米開戦は当時のルーズベルト米大統領が経済復興のため強要したとしていた展示の書き換えを検討。それを契機に、同時代の「日米交渉」「満州事変」「支那事変」へと対象範囲を広げて点検し、結局、中国関連も含む7項目のパネルの表現を改めた。
今回の変更は「中間報告」で、今年7月の同館新築5周年に向け、全展示の点検を進めている。ただし、監修者の永江太郎・元防衛研究所戦史部主任研究官は「誤解される表現を改めたが、論旨は変えず、史料を示して補強した」と歴史観の修正ではないことを強調。「大東亜戦争は米国と中国に責任があり、日本にとっては追い込まれた末の自衛戦争だった」という展示の基本的な考え方は変わっていない。
変更のきっかけとなった「ルーズベルトの大戦略」のパネルは「(日本)参戦によってアメリカ経済は完全に復興した」のくだりを削除。変更後は経済問題に触れず、ルーズベルトが反日世論の誘導に努めた事実だけを記述している。
「日米交渉」のパネルでは、当時のスチムソン米陸軍長官の日記を新たに示し、米国側に日本を開戦に追い込む意図があったことを示した。
「支那事変」のパネルでは、日中関係悪化の原因として中国側のテロだけを挙げていたが、新たに「日本軍の北支工作」も併記した。戦線拡大の原因は「日中和平を拒否する中国側の意志」としていたが、「中国側の反日機運」と表現を弱め、「中国正規軍による日本軍への不法攻撃」という記述を削った。
同じパネルの、「中国正規軍による日本軍への直接攻撃」という記述は「蒋介石による」と明記。盧溝橋事件の発端についても「中国側の銃撃」、第2次上海事変の発端は「中国側の挑発」と新たに書き加え、中国側に開戦の責任があると具体的に示す内容になっている。【野口武則】
これに関連して、今日(7日付)の「産経新聞」に、岡崎久彦・元駐タイ大使の「遊就館展示修正に関する考え」が載っています。
展示の修正について、岡崎氏は、「知的な不正直さ、牽強付会な弁解ととられる見苦しい表現などを除くことが第一の基準である」として、具体的な修正箇所について説明している。
まず、アメリカからの遊就館展示への批判の大きな原因となった、ルーズベルト大統領が、大不況から抜け出すために日本を戦争に追い込んだ、という記述。これは「歴史上の事実ではないし、いかにもげすの勘ぐりの印象を与え」るとして、「真っ先に削除」したそうだ。
また、日中戦争の原因にかんして、「満州事変」後の「日本側による長城以南の北支工作こそ戦争の原因といえる」「この北支工作については、出先の軍の独走であり、これが日本の国を誤った最大の原因であることは疑いない」として、今回の見直し作業の中で、北支工作についての記述を付け加えたことをあきらかにしている。ただし、どのような記述が付け加えられたのかは未確認なので、ここでは岡崎氏の論の紹介にとどめる。
岡崎氏は、盧溝橋事件後、戦争の早期解決を不可能にしたさまざまな事件は「ことごとく中国側の挑発によるものであることは歴史的事実」であり、「この点を譲歩する気は全くない」といい、さらに「敗戦後、張作霖爆殺事件、満州事変、第一次上海事変などの背後に日本軍の関与があったことが明るみに出た」が、日中戦争勃発の経緯については「東京裁判の中でさえ、日本側の責任は問われていない」としている。日本軍の北支工作が戦争の最大の原因であるといいながら、戦争が拡大していったのは「ことごとく中国側の挑発による」というのは、いかにも筋の通らない話だし、張作霖爆殺事件は、日本軍(関東軍)が直接手を下した事件であって、それを日本軍の「関与」などというのは、それこそ「知的な不正直さ」でしかない。
南京大虐殺事件については、「確実な史実に基づいて書けるのはここまでというところでとどめてある原文を尊重した」として、一切修正しなかったことを明かにしている。
最終的な展示の修正は、今年7月になるそうだが、とりあえず、靖国神社が、どこを修正し、どこを修正しなかったか、早めに見に行ってこなければならないようだ。