宇野派第2世代の代表的人物の1人伊藤誠氏(東大名誉教授)の『「資本論」を読む』(講談社学術文庫)が、昨年12月刊に刊行されました。文庫本ですが、書き下ろしの新著です。
で、ぱらぱらとめくっていてビックリしたのは、巻末の参考文献の中に、共産党の不破哲三氏の『「資本論」全三部を読む』(全7冊、新日本出版社、2003?2004年刊)が上がっていたことです。
同書は、伊藤氏が、『資本論』に初めて接するという人のために第1部から第3部までの要点を紹介したもの。当然、宇野派の立場で書かれたものだから、要所要所で、「『資本論』の経済学を唯物史観や社会主義イデオロギーから峻別して、客観的な社会科学としての経済学の原理論として読む」(22ページ)とか、第1部の終わりの部分では、「否定の否定」の箇所を紹介しつつ、「読むたびに感銘を受ける箇所であるが、資本主義の発展についての社会主義イデオロギーによる総括としての性質が強く示され、『資本論』の経済学の学問的理論内容にそぐわないところや、十分論証されていないところもある」(256ページ)などと書かれています。
しかし他方で、マルクスの経済学が「どのような意味で、どのような『社会主義を科学的に根拠付けるものとなる』か。ソ連崩壊の現実をふまえ、あらためてわれわれに問いかけられている」(22ページ)という問題意識から、次のように述べられています。
『資本論』の理論体系は、社会主義の設計図を提供するものではなく、社会主義に論及しているところはむしろ少ないのであるが、あらためて読み返してみると、その理論的諸規定のすべてにわたり、資本主義をこえる社会主義社会に実現されるべき課題やその解決の方向について豊かな示唆が与えられていることに気づく。(461ページ)
経済活動の諸側面が、社会主義社会ではどうなるか、『資本論』の理論展開は随所にその問題を考えさせる手がかりに満ちている。(同前)
そして、実際、『資本論』第1部終わり近くの「否定の否定」の件に関連して、「自由な人々の連合体」というマルクスの規定に注目(257ページ)したり、第3部の「自由の国」「必然の国」のくだりを紹介(462ページ)したりしています。
こうした論及は、同じように『資本論』にそって論じた『資本主義経済の理論』(岩波書店、1989年刊)などでは、まったくなかったもの。2000年に刊行された『マルクス理論の再構築――宇野経済学をどう活かすか』(社会評論社)でも、こんなふうに述べるにとどまっていました。
『資本論』の経済学は、もっぱら資本主義経済の諸形態と運動機構の解明にあてられ、これに付随して、対比的にその後に実現さるべき自由な個人の協同社会……(の)見通しを断片的に提示している。(300ページ)
宇野派の立場からすれば、社会主義社会について述べた部分は、「社会主義イデオロギー」として、『資本論』の「学問的体系」からは排除すべきもののはず。その点からいっても、今回の本での上述のような見地の表明は、ある意味、画期的だといえます。
不破さんが『「資本論」全三部を読む』で強調したことの1つは、『資本論』は経済学の本であるだけでなく、成熟したマルクスの、社会主義・共産主義についての見解が満ちあふれいている、ということで、伊藤氏の問題意識にも重なるところがあります。その意味で、不破さんの本が参考文献にあがっているのは、なかなか興味深いと思いました。
【注】
- 繰り返しになりますが、本書は、宇野派の立場から書かれたものですので、理論的な中身について僕は賛成しません。
- この情報は後輩のM田君が教えてくれたもの。ありがとうございます。m(_’_)m
【書誌情報】
著者:伊藤誠/書名:『資本論』を読む/出版社;講談社(学術文庫)/発行:2006年12月/定価:本体1400円/ISBN4-06-159796-5