リカードウと労働価値学説

福田進治『リカードの経済理論』(日本経済評論社)

リカードウといえば、アダム・スミスに続いて、いろいろ混乱はあっても、労働価値学説の立場にたった経済学者だと思っていたのですが、どうも最近の経済学史研究では、そうはなっていないようです。

福田進治『リカードの経済理論』(日本経済評論社、2006年12月)を読んでいたら、こんな記述に出くわしました。

かつてマルクスは後者の「絶対価値」の側面を重視して、リカードは価値概念をめぐる多くの混乱にも関わらず、投下労働量と関連づけながら絶対的な価値概念を把握していたとして、リカードの労働価値理論の貢献を賞賛した。こうしたマルクスのリカード解釈の妥当性についても、残された1つの問題だと言わねばならないが、しかしリカードの価値概念の意義をを重視する研究はマルクスのあとは久しく現れなかった。またスラッファもリカードの経済学の再評価を試みながらも、リカードの労働価値理論の固有の意義と固有の論理に注目することはなく、むしろスラッファ体系は労働価値理論の意義を否定する新たな理論体系であると看なされた。こうした経緯を経て、今日の多くの研究では、リカードの絶対的な価値概念は「余分な概念」にすぎないと看なされるようになった。(同書、98ページ)

といっても、この著者の立場は、「商品の価格が投下労働量に比例して決定する理論とそれが生産費用に依存して決定する理論は、必ずしも相反する理論ではなく、むしろ前者の理論は後者の理論に基づいて成立する」(同書、99ページ)という立場なので、このリカードウの労働価値理論をめぐる議論を読んでいても、いま一つよくわからないところがあるのですが…。

それからもう1つ。スラッファ理論(といっても、スラッファの『商品による商品の生産』そのものをきちんと勉強したわけではないので、いわば聞きかじりの理解なのだけれども)を、僕は、労働価値説の延長線上で新しい展開を試みたものと思っていたので、上記の「スラッファ体系は労働価値理論の意義を否定する新たな理論体系」だと見なされているという指摘も初耳。この辺は、まだまだ勉強不足です。(-_-;)

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