今日の東京新聞夕刊で、元雇用審議会会長の高梨昌氏が、「労働ビッグバン」などの「流動化論」がいかに見当違いの議論かを分かりやすく指摘されています。
「労働ビッグバンを問う」中 見当違いの“流動化論”
[東京新聞 2007年5月22日夕刊]元雇用審議会会長 高梨昌長期不況下に各種規制の緩和、撤廃が進められ、結果、荒涼たる“焼け野原”にされた「労働の世界」。そこへ追い打ちをかけて「労働ビッグバン」が提唱され始めてきた。
主唱者は、採用・解雇が自由な弾力性に富む流動的市場こそ「産業構造の転換を円滑に進め、経済成長に寄与する理想的市場である」と説く。
しかし、この処方箋は、所期の効果が期待できないどころか、景気回復も経済成長も阻害されかねない誤診である。この提唱者たちには、遺憾なことに事実を誤認した独断と偏見が目立つ。
例えば、「終身雇用」「年功制」と俗称される勤続年数を基軸とした長期安定雇用は、高度経済成長期でのみ通用し、「低経済成長期に入った今日では不適で廃棄すべきである」と診断するが、史実はこれを否定している。
鉄鋼・造船の重工業では、長期安定的雇用で知的熟練労働者を育てて、不況期にも解雇せず、温存してきたからこそ企業競争力が強く、急激に業績を回復させることができたのではないか。また自動車・精密機器・電機の規格品の大量生産産業も、期間労働者の長期安定的雇用方針を堅持してきた企業ほど競争力があり、成長が顕著であった。
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技術開発では、「失敗は成功の母」といわれる試行錯誤が許される長期安定雇用と年功的処遇を維持。短期的評価と成果主義賃金を採用してこなかったから、大いに開発が前進したのではないか。採用・解雇の自由な流動的市場化では、開発の停滞どころか、その技術を含む企業秘密が漏洩するなど企業にとって有害無益な結果しか生まれない。
さらには、即戦力になる人材を採用できる職業別労働市場こそ理想の市場である――と主張するが、これも事実誤認である。サッチャー政権が、経済発展と成長を妨げる対象として解体・弱体化を図った組織が職業別労働組合であったことは、周知の事実である。同業組合である医師会なども同様であるが、職業的縄張りが強固なため制度改革や新技術の導入に抵抗し、これを阻害するのが職業別組織の行動パターンではないか。
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そもそも日本には、職業別組合の伝統がない。労資が情報を共有し、厚い信頼関係を構築。長期安定的で勤続比例で処遇される正社員を中核とする企業別組合であったからこそ、技術革新投資が円滑にすすみ、ロボット王国として、日本は世界市場を制覇することができたのである。
こうしてみてくれば、「若年者の雇用の抑制は、年功賃金の正社員が手厚い規制に守られているからだ」という診断が誤りであることも明白である。年功を積んだ熟練労働者や事務管理のホワイトカラーを、解雇せずに温存する経営方針を堅持してきた成果こそ評価しなければならない。
一方、低生産性部門から高生産性の成長部門へヒトを流動化させよ、と提言するが、これは“絵に描いた餅”の類で、これが円滑に進まなかったのが歴史の教訓である。斜陽化した石炭産業や繊維産業から排出された過剰人員の解決は容易ではなく、職業訓練、移転手当、住宅給付など手厚い対策を講じ、失業対策事業まで興して雇用機会を創出するなど莫大な国費を投入したが、聖人熟練労働者の異業種への転職、再就職は困難を極めたのである。
成長の見込める生産性の高い部門は、パートや派遣など非正社員ではなく、新規学卒者の正社員採用で賄うのが王道だ。だからこそ、新卒者労働市場の整備・充実が完全雇用政策の重要な領域を占めてきたのである。
職業別組合が経済発展と成長を妨げる妨害勢力かどうかは別にして、日本には職業別労働組合の伝統がないばかりか、職業別労働市場の伝統がありません。ないだけじゃなくて、成立しそうな気配もありません。「即戦力だ」といってみても、仕事上要求させるスキルは、全然普遍化されておらず、労働者があれこれの資格を持っていても、ほとんど評価されません(いまどき、多少英語ができる、というだけでは、就職は有利になりません)。企業が要求するのは、会社への忠誠。企業横断的な職業別労働市場なんぞができ上がったら、少しでも給料のいいところにさっさと転職してしまうので、そんなことを企業が許すはずがありません。転職・途中採用などといっているのは、お手軽に「即戦力」を募集したい企業と、過剰人員を「転職時代だ」といってさっさと辞めさせたい企業だけがいっていることです。
というわけで、労働市場を流動化させればさせるだけ、労使関係は不安定化し、企業の技術開発や競争力は失われる――という高梨氏の指摘は、非常に分かりやすい。成長の見込める産業分野こそ、パートや派遣でなく、正社員採用で労働力を確保すべきだ、という主張は非常に説得力があります。