東京新聞の紙面から

東京新聞は、東京ローカル新聞として、朝日、読売など全国紙にはない面白い新聞です。社論として憲法9条改憲反対を明確にしているのもその1つですが、ほかにもいろいろ面白い記事があります。

1つは、今日の夕刊「記者の目」にのった、公立小中学校の「特色づくり」に迫った記事。インターネットでは紹介されていないようですが、ズバリ本質を突いていて、一読の価値ありです。

記者の目 公立小中学校の「特色づくり」
子どもを実験台にするな 現場軽視の“成果”主義
[東京新聞 2007年5月26日夕刊]

 公立の小中学校に“特色づくり”は必要か――。「学校再生 教師に聞け!」の取材を通じ、むくむくと膨らんできた疑問である。
 この企画の目的は、教育再生会議や中央教育審議会で議論されている教育改革の方向性と学校現場の思いとのギャップを探り、より実効性のある改革のために現場の声を伝えることだった。
 だが、取材のなかで雑談的に教員たちからよくポロリと出た話題の一つが、定着したと思われていた「特色ある学校づくり」への割り切れなさだった。
 例えば、全校での英語教育を特色としてPRする都内の公立小学校では、英語授業の準備のため週に2回は会議を開く。中堅教員は「その分、他の授業準備に,充てる時間は減る。国語や算数ではぶっつけ本番になることも。保護者は本校を先進的と思っているが、実態はお恥ずかしい限り」と打ち明ける。小学校は基本的に担任が全教科を教える。必修でもない英語のために、”本業”の教科に手が回らない。
 英語以外でも、別の公立小教員は「校長のとっぴな思いつきのため、会議に明け暮れ、基本が手薄になった」と指摘する。連日の会議は「そもそも論」に始まり、実践内容の決定までに数カ月。「その後の授業研究、論文執筆なども「児童そっちのけ」。
 結果、国の表彰を受けたが「定年後をにらんだ校長の実績づくりに踊らされたと私たちは思っている。無理な特色づくりに時間を割くくらいなら、 『特色がないのが特色』と開き直って基本に力を入れた方がましだね」と教員同士でぼやき合ったという。この教員はこうした準備のために毎日児童に下校を急かし、満足に話を聞けなかったことが今も心残りだ。
  ◇  ◇  ◇
 「特色づくり」のきっかけは2002年の新学習指導要領導入。文部科学省は「学びのすすめ」というアピール文で「『確かな学力』向上のため特色ある学校づくり」を呼びかけた。これを受け自治体は教委に特別予算をつけ、校長は独自の(しかし突出しすぎない程度に)「特色ある教育計画」をつくり、予算確保に奔走した。同じころ始まった学校選択制も動きに拍車をかけた。
 一方、現場で独自に特色づくりをしようにも限界がある。都内の公立小副校長は、学校選択制資料として教委が発行するパンフレット用の自校PR原稿を見せながら「予算権は自治体、人事権は教委が握っていて、独自にやれることは限られている。原稿づくりは副校長の仕事だが、どこの副校長も“作文”に苦労している」と苦笑する。
 昨秋、東京都足立区が学力テスト結果に応じた予算配分を「特色ある学校づくり予算」として打ち出して批判を受けたが、似たような例は形を変えて既にある。研究開発校指定などで予算がつく例がそれだ。 「できる学校は資金が潤沢になり、より優秀に、できない学校は最低限の予算で尻をたたかれる。選択制の導入で、一度負け組校になったらこの悪循環から抜け出せない」と嘆く教員もいる。
 ゆとりを叫びながら教員の子どもと接する時間を奪い、子どもの自主性を謳いながら教員の自主性を奪い、学校に特色づくりを勧めながら教科など教育の基本が疎かになる。これ以上、子どもたちを実験台にしないでほしい。(井上圭子・生活部)

「特色づくり」という美名のもとに、子どもが置き去りにされて、学校が振り回されているだけではないか――。なかなか本質的な問題提起です。

もう1つは、「赤ちゃんポスト」問題をおっかけた学生たちを取材した「こちら特報部」の記事(25日付朝刊)。

テーマ:早大生たちの「赤ちゃん」ポスト
悩み考え知った “常識”こそ問題/「子は社会の宝」バトン受け継ぐ

 熊本市の慈恵病院が今月から運用を開始した赤ちゃんポスト(こうのとりのゆりかご)。「まずは救える命を救うべきだ」「育児放棄の助長につながる」などと政治家や専門家も巻き込んでの賛否が渦巻く中、大学生たちが、この間題をどうとらえるべきか考えた。若い彼らは何に悩み、何に気付いたのか。(宮崎美紀子)

違和感から出発

 「赤ちゃんポスト」の調査・取材に取り組んだのは、早稲田大学法学部水島朝穂教授(憲法)のゼミ生のうちの六人。
 発端は「赤ちゃんポスト」という言葉から受けた言いようのない違和感だった。 「確かに必要かもしれないが、こんなのを認める社会はおかしい」。6人の班員のまとめ役、4年生の浦巽香苗さんは第一印象を明かす。もう1人の4年生、赤嶺貴子さんも「子どもを捨てるということが、どうしても理解できない。いくら経済的に苦しくても腹を痛めてまで生んだ子を捨てるって、どういうことだろう」と感じた。
 3年の黒田壮吉さんは「赤ちゃんポストができてしまう現状がすでに世の中にあるんだから、背景や、その後に興味が移った」と言う。4月上旬、みんなが感じた違和感、嫌悪感を語り合ううちに、このテーマについて、ゼミで発表しようと決めた。「『おかしい』だけで拒絶しちゃいけない。親にとって都合のいい制度でも、子どもにとっては入れられた後が大変だ。『赤ちゃんポストのその後」を見ていこう」(浦巽さん)。1カ月に及ぶ調査、取材、ディスカッションが始まった。
 当初は「赤ちゃんポスト」を設置する是非に縛られていた。「その先」こそが大事だと気付かせてくれたのは、手分けして取材した「乳児院」「児童養護施設」[里親協会」という、赤ちゃんのその後を担う社会的養護の現場の声だった。

乳児院や養護施設… 入り口の次が重要

 乳児院取材を担当した赤嶺さんは言う。
 「赤ちゃんポストは入り口にすぎない。その後も子どもは生きていかなきゃいけない、幸せにならなきゃいけない。乳児院で新しい視点が開けた。施設の認知度がすごく低いから、施設で育った子どもへの風当たりが強い。私たちも乳児院を初めて知った。知らないということが課題だった」
 児童養護施設を訪ねた藤井宏明さんは「すごくケアの難しい子どもがいて、社会とは隔離された場所という印象があったが、訪ねた日、こいのぼりを持った子どもが笑いながら駆け寄ってきた」。「実の親が育てるのが常識。そうでない子は不幸」という先入観は覆った。藤井さんは、30年で80人の里子を育てた甲親にも話を聞いた。「子どもの救済措置のメニューは多い方がいい」「捨て子の助長は根拠のない杞憂」と、この里親は赤ちゃんポストについて語ったが、最も強く訴えられたのは「もっと里親を知ってください」だった。「(養育里親は)一般的に国からの手当が少ないが、そういうことは言わなかった。愛情と愛着だけでやっているんだ、と。しかし、実際には里親が悩んだ時、カウンセリングなど行政のサポートは不十分。支援が整っていれば「わが家で良ければ』と申し出る人はもっといるのでは」

捨て子問題 ポストは議論の端緒

 赤ちゃんポストに生理的な嫌悪感を抱いた理由は、「社会による子育て」に対する無知だった。でも、それは仕方ない。6人中5人が、これまで「実親以外に育てられた子ども」と触れ合った経験がなかったからだ。
 「赤ちゃんポストは捨て子を肯定するシステムだ」と拒否感を覚えた岡田淳さんは今、「2つの点で、間違っていた」と認める。
 「1つは、実の親に育てられないことを、必要以上にかわいそうだと思っていたこと。乳児院の人たちは、自分の子じゃないのに、愛情を持って本気で考えていた。こういう人たちに自分も育てられたいと思った。愛のない肉親と愛のある他人、どちらが子どもにとって幸せなのか」
 もう1点は、慈恵病院が相談制度を同時に整えた真意に思い至らなかったことだ。「病院側の『1つの社会に通じる窓口を作ってあげたい』という発言を知って、簡単に子どもを捨てられるようにしているのではなく、子どもが捨てられているという現実を考える一つのきっかけを作ろうとしているんだとわかった」
 一宮友美さんも「赤ちゃんポストという呼び方は大嫌い。でも皮肉だが、この名前でなければ、ここまで世間に伝わらなかった。賛否わかれているが、どう保護され、育っていくかを知らずに是非は言えない。発表で『実の親に育てられない子どもが本当に幸せに生きられるのか』という反対論に、私、怒りそうになったんです。この問題を考える時は、『普通』という観点を捨てなきゃ」。
 黒田さんは「赤ちゃんポストに入れられる子にも、その後の人生が絶対にある。生きていかなきゃいけないんだと、赤ちゃんポストという極端な例が出てきたことで、みんなで考えるきっかけになったのではないか」と言う。

「人生は点ではなく線」指摘も

 浦巽さんは「社会的養護にかかわる人たちはみんな『子どもは社会の宝だ』と言った」と振り返る。自分たちは「赤ちゃんポスト」は子どもを社会で受け継ぐ入り口にすぎないと結論付けたが、児童養護施設の副園長に投げかけられた一言も重くのしかかっている。
 「『人生は点ではなく線だ』という言葉が印象に残っている。子どもは『自分は何者で、どうしてこの世に生まれてきたのか』と問い続けながら育っていくから、児童養護施設は子どもがアイデンティティーを持てることを重視していた。親子関係が切断された赤ちゃんポストが人生のスタートラインでいいのか、『いのち』は救えても『たましい』は救えるのか、と副園長は、その後の制度が整う前に赤ちゃんポストを作ったことに疑問を持っていた」(浦巽さん)
 預け入れ第1号が3歳の子どもだったことも、学生たちには大きなショックだったようだ。「あまりにもお手軽すぎて腹が立つ」「自分の名前も言える年の子が入れられるなんて、やっぱり複雑」「1例目が重要だと思っていたのに。一般の人は、しゃべられる子も捨てられるんだと思ってしまう」と不快感を示す。
 どんなに調べても、赤ちゃんポストへの疑問や課題は尽きないだろうが、自分たちがこのテーマに取り組んだ意義は、はっきりと感じ取っている。
 「取材相手に『学生は社会資源だ』と言われた。マスコミの取材は受けない乳児院も、私たちは受け入れてくれた。これからの社会のために、心強い存在として、あなたたちがいるんだ、と。私たちはバトンを渡される側に並っている」と浦巽さん。
 発表日はくしくも赤ちゃんポストの運用開始日だった。調査は一段落したが、施設でのボランティアや、里親に会ってみたいなど、今後への意欲も聞こえてきた。関係者に託された思いを、一学生の立場で、どう伝えていくのか。一宮さんは、きっぱりと答えた。
 「ニュースは知らないようなフリーターの友達も、『赤ちゃんポストってね』と話しかけると、自分の意見を話してくれる。みんな何かを考えている。私が知ったことを、周りの知識を持たない子に話すことが私なりのアウトプット(発信)」

【デスクメモ】 「捨て子」が後を絶たない。22日には、東京都内のごみ捨て場で、女の赤ちゃんが紙袋に入れられ、置き去りにされた。清掃員が赤ちゃんの泣き声に気づき、助かったが、子を捨てる親は昔からいる。「赤ちゃんポスト」を入り口ととらえ、「その後」の重要性に気づいた学生の柔軟な思考に拍手だ。(吉)

学生たちがたどり着いた結論は、ある意味、当たり前のことなのかも知れませんが、そこに、自分たちで調べ、いろんな人の話を聞き、議論してたどり着いた。そこが大事なのかも知れません。

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