東響 第546回定期演奏会

東京交響楽団 第546回定期演奏会(チラシ)

友人から「仕事で行けなくなったから」と、東京交響楽団の定期演奏会を譲ってもらいましたが、プログラムはちょっと妙…。東響定期は、今シーズン、ハイドンシリーズということで、毎回必ずハイドンの作品をやっているのだそうですが、ハイドンからショスタコーヴィチまでとは、いったいどうなることやら…と思いつつ、川崎まで出かけてきました。

  • ハイドン:交響曲第93番 ニ長調
  • モーツァルト:ピアノ協奏曲 第21番 ハ長調 K.467
  •     休憩
  • ショスタコーヴィチ:交響曲第12番 ニ短調 op.112 “1917年”

指揮は、アイスランド交響楽団音楽監督のラモン・ガンバ。ピアノは仲道郁代さん。

本日の秀美は、やっぱりショスタコーヴィチの12番。「彼の交響曲15曲のうち、最大の失敗作と見なされている」(プログラムの記事、梅津紀雄「作曲家と神話形成」)とまで書かれていましたが、なんのなんの、そんな評価を吹き飛ばすような見事な演奏。この曲は聴衆を魅了もするし、感動もあたえてくれる力をもった作品だと、あらためて思いました。誰かがどこかで、「もしショスタコーヴィチがいなくて、交響曲がマーラーで終わっていたら、20世紀音楽は詰まらなくなっていたに違いない」と書いていたように記憶していますが、本当にその通りだと思います。

ガンバ氏の指揮は、爆発的な大音量と力強いリズムを刻みながら、決して雑にならず、東響も最後まで集中力が途切れませんでした。ガンバ氏が耳まで真っ赤にして指揮していたのも印象的でした。

それにしても残念なのは、プログラムの曲目解説が、ソ連時代さながらの「公式」的な作品紹介だけだったことです。先ほど紹介した記事で、梅津氏は、「最大の失敗作」という評価を紹介しつつ、なぜショスタコーヴィッチがそんな作品を書かざるを得なかったのかを探っていて、それはそれで興味深いものでした(とくに当時、スターリンの還暦祝いで、みんなが競うようにスターリン賛美の作品をつくっていたときに、ショスタコーヴィチはあえてレーニンを持ち出すことで、スターリン賛美の作品を書くことを回避したのだ、という解釈は)。

それだけに、曲目解説ではぜひとも音楽的な魅力、聴きどころを紹介してほしかったと思います。ソ連崩壊からすでに15年もたったのですから、いい加減、「公式」解釈と「反体制的」意味合いとの「二重解釈」といったステロタイプはやめ、作品に即した紹介があってもよいのではないでしょうか。

さて、前半2曲ですが、1曲目のハイドンは、編成こそさすがに小振りですが、オケはいわゆる現代配置。実際の演奏もかなり骨太で、かぎりなくモーツァルトに近いハイドン、といった感じでした。2曲目は、その骨太さと、仲道さんの、これまた力強いピアノとの丁々発止のかけあいといった雰囲気でした。最初ハイドンを聴いたときは、いささか違和感を覚えましたが、終わってみれば、この骨太さが、ハイドンからショスタコーヴィチまでという無謀なプログラムに統一感をあたえてくれていたように思います。

ということで、力演・熱演のショスタコーヴィチを聴き逃したD井くん、チケットありがとうございました。m(_’_)m

【演奏会情報】 東京交響楽団第546回定期演奏会
指揮:ラモン・ガンバ/ピアノ:仲道郁代/コンサートマスター:高木和弘/会場:ミューザ川崎シンフォニーホール/開演:2007年6月17日 14:00

【追記】
東響のホームページに掲載された指揮ラモン・ガンバ氏のインタビューによれば、ガンバ氏は、ショスタコーヴィチの交響曲第12番について、「人々が権力に立ち向かう姿が描かれています」と語っています(インタビューそのものは字幕なしなので、僕には正確なところが分かりませんが…)。12番は「最大の失敗作」という見方とは大違いです。

【関連ブログ】
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