17日の「東京新聞」朝刊に載っていた時事通信の配信記事。インターネットでは流れていないようなので、紹介しておきます。
1969年のアメリカとの沖縄返還交渉のときに、佐藤栄作首相(当時)が、返還後の沖縄への核兵器「持ち込み」を認める「密約」を結んでいたことは、これまでさまざまな資料から明らかにされてきました。
今回、見つかったのは、そのなかでも、佐藤首相の密使をつとめた若泉敬・元京都産業大学教授(故人)の著書『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』での証言を裏づけるもの。これによって、若泉氏の証言が事実にもとづいたものであったことがあらためて証明された訳で、「密約」の存在を否定する日本政府の立場はますます苦しくなった(というか、もはや成り立ちえなくなった)ということです。
日米密約の資料発見 米公文書館で信夫日大教授 若泉証言と一致
[東京新聞 2007/06/17朝刊]【ワシントン=時事】1969年の沖縄返還交渉時に佐藤栄作首相の密使となって核持ち込みに関する日米密約を仕組んだ若泉敬氏(元京都産業大学教授、故人)の著作「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」(文藝春秋刊)を裏付ける資料が、米国立公文書館で16日までに発見された。同氏とキッシンジャー大統領補佐官(当時)の通話記録89点などで、内容は著作の記述と一致する。
この発見は、核密約の存在を暴露した若泉氏の記述の正確さが米側資料により裏付けられたことを意味する。「密約はなかった」との姿勢を崩さない日本政府は苦しい立場に立たされそうだ。
通話記録を発見したのは日本大学の信夫隆司教授。沖縄返還は69年11月19日の佐藤首相とニクソン大統領(同)による日米首脳会談で決まったが、首相の密使となった若泉氏はこの会談に向けて「ヨシダ」という偽名を使って米側責任者のキッシンジャー補佐官と接触、密約を準備した。
若泉氏の著作によると、キッシンジャー氏との通話では盗聴の危険を避けるため、核問題を指すときは「項目1」、核持ち込みを定める密約の合意議事録は「小部屋」などと暗号を決めた。今回、信夫教授が発見した通話記録のうち、例えば同年11月15日の会話には「項目1」や「小部屋」の単語が頻出。「祐治には核兵器を沖縄に持ち込める」という合意議事録に両首脳がサインするための極秘手続きについて語った会話の内容も、著作の記述とほぼ一致する。
また、若泉氏はキッシンジャー氏にあてて何通ものメモを書いたことも著作で紹介しているが、同教授はこの一部も発見。核密約合意の必要性を示唆した69年7月18日付のメモは、肝心の部分が黒塗りで非開示にされているほかは、若泉氏が著作で紹介した通りの内容になっている。
これらのメモは、独自に米政府の公開文書を集めている「アメリカ合衆国対日政策文書集成」(柏書房)にも先月収録された。11月の通話記録などは公文書館で閲覧可能だ。
若泉氏によると、核持ち込みの合意議事録は69年11月、佐藤首相とニクソン大統領が署名したとされるが、実物は公開されていない。若泉氏は極秘の交渉経過を記録した「他策」を94年に発表、その後マスコミのインタビューなどに一切応ぜず、96年に他界した。