「あたらしい歴史教科書をつくる会」会長の藤岡信勝氏が、「日本教育再生機構」の八木秀次氏を名誉毀損で提訴。
「つくる会」の会長と元会長の対立・抗争。文字通り「骨肉の争い」です。血みどろ?
新しい歴史教科書をつくる会の藤岡会長が元会長を提訴(朝日新聞)
もともと藤岡氏と八木氏は、「つくる会」の会長の座をめぐり、見苦しい争奪戦を繰り広げてきました(そこに、元会長の西尾幹二氏まで絡んで、陰謀と暴露合戦になったのですが)。そして、八木氏が会長を解任され、いったんは藤岡グループが勝ったかに見えたのですが、八木氏が「日本教育再生機構」をつくり、扶桑社などもそちらにつき、いってみれば、「つくる会」は見捨てられたかっこうになっていました。
それでも、「日本教育再生機構」の発足総会に、当時の「つくる会」の会長・小林正氏が出席し、関係を修復するのかと思っていたのですが、そうしたら、こんどは、その小林氏が会長不在の評議会で突然、「もし辞任するなら、辞任を優先する」という「付帯条件」つきの奇妙な解任決議を可決。それを小林氏が拒絶して「解任」され、代わりに、藤岡氏が会長に返り咲くという、どろどろの抗争を分裂後も続けていました。
新しい歴史教科書をつくる会の藤岡会長が元会長を提訴
[asahi.com 2007年07月10日19時48分]「新しい歴史教科書をつくる会」会長の藤岡信勝拓殖大教授は10日、同会元会長の八木秀次高崎経済大教授に名誉を傷つけられたとして、1100万円の損害賠償を求める訴えを東京地裁に起こした。
訴状によると、八木氏は06年3月、藤岡氏がつくる会を立ち上げた後の01年まで日本共産党に在籍したという趣旨の文書を匿名で同会の理事に送ったほか、こうした経歴を雑誌2誌に書いたとされる。藤岡氏は「思想的に転換して91年に離党した」と話している。
八木氏は「訴えられる理由が理解できない」としている。
藤岡信勝氏の経歴をめぐる謀略云々について、西尾幹二氏のブログに仰々しく書かれています。
この事件、そもそもは、ソ連崩壊(ほんらいは、レーニンの死後、社会主義をめざす軌道から外れて、社会主義とは無縁の社会に変質してしまっていた国の解体なのだが)と湾岸戦争時の「一国平和主義」攻撃に屈服して、それまでの進歩的・科学的立場を投げ捨て、反動側に転落・変節した藤岡氏が日本共産党員籍をいつ失ったのかという、いってみれば「変節記念日」をめぐる“言い争い”にすぎません。藤岡氏が、変節した期日を一日でも早くしたいのにたいし、相手側はもっと遅かったのだといって「攻撃」したつもりになっているだけのことです。
追記
インターネット上の「つくる会ニュース」には、こんなものも公開されています。