『資本論』第3部を読んでいて、はてな?と思う翻訳を見つけました。
第2編「利潤の平均利潤への転化」第11章「生産価格にたいする労賃の一般的変動の影響」のなかの次の一節です。
労賃の騰貴または下落が必要生活諸手段の価値変動に由来するならば、上述したことの修正が起こりうるのは、その価格変化によって可変資本を増加または減少させる諸商品が不変資本にも構成要素としてはいり込み、それゆえ単に労賃に影響をおよぼすのではないという限りでのことである。しかし、それらの商品が労賃だけに影響する限りでは、これまでの展開だけで、言うべきことはすべて尽きている。(新日本新書版第9分冊、349ページ)
一読して、意味がすぐ分かりますか?
「上述したこと」とか「これまでの展開」と言っているのは、生産価格が成立した段階で、労賃が高騰すると、<1>社会的平均的な構成の資本では、利潤は減少するが、商品の生産価格は変動しない、<2>有機的構成の低い資本では、商品の生産価格は騰貴する、<3>有機的構成の高い資本では、商品の生産価格は下落する、ということ(もちろん、労賃が下落した場合は、その逆)。
で、なにが分かりにくいかというと、必要生活諸手段の価値変動によって労賃が騰貴まはた下落したときに、上述のことに修正が必要になるのはどういう場合かという論述の部分。「その価格変化によって可変資本を増加または減少させる諸商品」とは、ようするに必要生活諸手段になる商品のことです。
しかし、その商品が必要生活諸手段になるだけでなく不変資本の構成要素にもなるという場合には、確かに、価格変化は必要生活諸手段だけでなく不変資本にもおよぶので、したがって、上記<1>〜<3>がそのまま起こるかどうかは、必要生活諸手段の価格変化がどれぐらい生産手段の価格変化を引き起こすかによって影響をこうむります。
問題は、そのあとに書かれている「それゆえ単に労賃に影響をおよぼすのではないという限りでのことである」という部分。
一般に日本語の表現として、「〜して、〜しない場合」とか、「〜するのと同様に、〜しない場合」とかいった表現は、後ろの打ち消しが、どこまで遡るのかがはっきりしないという問題があります(「彼らと同じように私はうれしくなかった」というと、彼らはうれしかったのか、うれしくなかったのかはっきりしない)。
ここでも、価格変化が「はいり込み、労賃に影響をおよぼす」という一続きの現象が「のではない」と否定されているのか、価格変化は「はいり込む」一方、「労賃に影響をおよぼす」ことは否定されるのか、一読しただけでは分からないのです。
もちろん、内容から言えば、ここは明らかに後者のケース。それなら、それにふさわしく翻訳しないと、読み手は非常に混乱します。ちなみに、大月全集版は、こういう訳になっています。
もし労賃の上昇または低下が必要生活手段の価値変動によって起きるならば、その場合に前に述べたことの修正が起こりうるのは、ただ、その価格変動によって可変資本を増加または減少させる諸商品が不変資本にも構成要素としてはいり、したがって単に労賃に影響をおよぼすだけではないというかぎりのことである。(全集第25巻a、256ページ)
↑ここでは、「単に労賃に影響をおよぼすだけではない」というふうに「だけ」を補うことによって、何が否定されているのかを明確にしています。
岩波文庫の向坂訳でも、「したがって単に労働賃金に影響を及ぼすだけにとどまらないというかぎりにおいてのみ」(第6分冊、320ページ)となっています。長谷部訳も「したがってその影響が労賃だけにとどまらない限りにおいてのみである」としています(河出書房「世界の大思想」版、第3分冊、175ページ)。
戦前の高畠訳は、もっと分かりやすくなっています。文語表現ですが、趣旨は明快です。
労銀の増減が生活必需品の価値変動から来るものとすれば、その場合には、価格の変化によって可変資本を増加または減少せしめるところの諸商品が不変資本の構成要素ともなって、その影響の及ぶところ単に労銀だけに止まらなくなる限りにおいてのみ、以上述べたところに一の変化が生じ得る。(改造社版、第3巻上、170ページ)
で、原文はというと、こんなふうになっています。
Rührt Steigen oder Fallen des Arbeitslohns her vom Wertwechsel der notwendigen Lebensmittel, so kann nur eine Modifikation des oben Gesagten eintreten, soweit die Waren, deren Preisveränderung das variable Kapital erhöht oder erniedrigt, auch als konstituierende Elemente in das konstante Kapital eingehn und daher nicht bloß auf den Arbeitslohn wirken. Soweit sie aber nur das letztre tun, enthält die bisherige Entwicklung alles, was zu sagen ist.
僕なら、こんなふうに翻訳します。(訳語はなるべく新日本訳に従う)
もし労賃の騰貴または下落が必要生活諸手段の価値変動に由来するのであれば、次の場合にかぎって、上述したことの修正が起こりうる。すなわち、その価格変化によって可変資本を増加または減少させる諸商品が不変資本にも構成要素としてはいり込み、それゆえ単に労賃に影響をおよぼすだけではすまない場合である。しかし、それらの諸商品が労賃にしか影響をおよぼさない場合は、これまでの展開だけで、言うべきことはすべて尽きている。
soweitを、いついかなる場合も「〜する限りで」と訳さなければならないという決まりはありません。「〜する場合」と訳した方が分かりやすくなることもあります。soweit=「〜する限りで」という訳に固執すると、このケースのようにnurと重なったときは、「〜する限りにおいてのみ」とでも訳すしかなくなりますが、限定が二重になって非常に分かりづらいし、読みづらいものになります。
また新日本訳は、厳密にいうと、eine Modifikation des oben Gesagten(「上述したことの修正」)の前についているnurが翻訳されていません。
よ〜く考えれば分かることですが、初学者に混乱を引き起こすような翻訳はなるべく避けるべきでしょう。