樫村愛子『ネオリベラリズムの精神分析』

樫村愛子『ネオリベラリズムの精神分析』(光文社新書)

目次だけで7ページもあります。(^_^;) ネオリベラリズムに侵された現代社会をどう分析したらよいか、ラカン派精神分析の立場から、「再帰性」と「創造性」をキーコンセプトにして、切ってみせた本です。フランスなどでの現代思想の展開とともに、小泉「構造改革」や安倍首相の「美しい国」など、日本のいまの政治状況なども念頭に議論が展開されていて、なかなか面白いというのが一番の感想。

同時に、「プレカリテ」「マルチチュード」「マクドナルド化」「動物化」「象徴の貧困」など、現代思想の流行概念が取り上げられていて、ある意味非常に便利な“現代思想入門”になっています。

といっても、あれこれの概念がどんな意味で使われているかを紹介して並べただけの「現代思想入門」ではなくて、著者なりの視点があって、そこから、それぞれのコンセプトが何を問題にして、それをどういう角度から論じているか、そして、そのどこに問題があるかを見せてくれるので、「議論のための議論」に陥っていないからです。(それだけに、筆者の切り方に異論が出てくるのは当然でしょうが)

中心になっている「再帰性」と「創造性」という概念は、ヘーゲルふうに言えば、同一性と区別というところでしょうか。現代社会は、ネオリベラリズムによる人間の「個体化」、共同性の解体がすすんでいるけれども、それでもなお社会としては何らかの「再帰性」が必要。だからといって、復古的な「再帰性」への回帰はありえない。であるから、いま争われているのは、ネオリベラリズム的な「再帰性」(安倍首相「美しい国」)か、あるべき本来的「再帰性」かである。まあ、大雑把に言ってしまえば、著者のスタンスは、このようなところに置かれています。

で、著者の批判は、割合と明確に、小泉「構造改革」路線と安倍首相の「美しい国」に向けられています。それらは、単純な「保守」でも単純な「反動」でもない――それをどうとらえるかという問題とともに、安倍「美しい国」路線に特徴的なように、なぜ「新自由主義」が「国家主義」と結びつくのか。そこを、現代思想で解き明かそう、というのです。

ただ、後半になると、ちょっとごにょごにょしてきた感じ。第4章「共同性を維持する現代の社会現象」のなかでも、ニューエイジやメディア・スピリチュアリズム、マクドナルド・カルトの分析あたりまでは面白いのですが、そのあとオタク文化論の分析やら第5章になると、ちょっと説明のための説明という感じもします。

それから、本文中には、リビドーを持ち出してのフロイト流の「説明」が登場しますが、古色蒼然とした理屈付けは、もはや同じ流派のなかでの「説明のための説明」としてしか通用しないもの。問題にしている現象や、それがなぜ問題なのかという視点が興味深いだけに、社会学的な分析と事実にもとづいた研究が望まれるところです。

「具体的な処方箋を書くスペースは本書にはなかった」と書かれているとおり、分析が鋭いだけ、ではどうしたらよいのかという著者なりの展望が分かりにくいところが残念です。しかしともかく面白い。「新しい資本主義の精神」という展望も、ぜひもっと詳しく紹介してほしいと思いました。

【書誌情報】
著者:樫村愛子/書名:ネオリベラリズムの精神分析 なぜ伝統や文化が求められるのか/出版社:光文社(光文社新書314)/発行年:2007年8月/定価:本体890円+税/ISBN978-4-334-03415-3

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