渡辺治氏、安倍政権の行き詰まりを批判

日経ビジネスオンラインが、安倍政権の行き詰まりと新政権の課題について、政治学者の渡辺治氏へのインタビューを掲載しています。

渡辺治・一橋大学大学院教授
渡辺治・一橋大学大学院教授

新政権、本当の課題(NBonline日経ビジネス オンライン)

新政権、本当の課題
新自由主義と新保守主義の狭間で立ち尽くした安倍ニッポン
[NBonline日経ビジネス オンライン 2007年9月18日 火曜日 大豆生田 崇志]

小泉純一郎前首相の後継者として登場した安倍晋三首相が、就任後わずか約1年で退陣に追い込まれた。その理由は、年金や「政治とカネ」、閣僚の失言などの問題だけではない。世界の政治経済の潮流から見ると、安倍政権が抱えていた本質的な矛盾が浮かび上がる。それは次期政権も、必然的に背負う課題でもある。新自由主義改革など世界の政治潮流に詳しい渡辺治一橋大学教授に聞いた。(聞き手は、日経ビジネス オンライン記者=大豆生田 崇志 )

NBO 世界の政治経済の潮流から見ると、安倍政権が退陣に追い込まれた本質的な理由は何でしょうか。

渡辺 「新自由主義」と「新保守主義」の狭間で、立ち尽くしてしまったことが安倍首相の失敗の本質です。
 安倍首相は本来、新保守主義的で、新自由主義的な構造改革にはなじみのある政治家ではありません。ところが小泉純一郎前首相の後継者として、構造改革をやると言わなければ政権を取れなかったのです。
 安倍首相は小泉政権と同じ構造改革を継承して新自由主義の路線を維持すると同時に、改革の痛みを手当てとして新保守主義を打ち出すという二律背反の期待を集めて登場しました。しかし、そのいずれにも応えられなかったのです。今後誰がポスト安倍政権を担おうと、どの方向に政治を動かすのか明確にしなければならない点なのです。

新自由主義の小泉、新保守主義の安倍

NBO 小泉政権の構造改革は、新自由主義に沿った政策だったわけですね。

渡辺 新自由主義は世界的には1970年代に登場しました。大企業の競争力を阻害する規制や制度を撤廃・緩和し、競争力を回復させることで経済発展を促がす考え方です。法人税を減税したり、社会保障の総額を抑制して財政規模を削減します。規制緩和を進めて、労使関係の規制や地場産業、農業の保護策も撤廃する。
 小泉さんは、新自由主義的な改革が歴史的な使命だということを本能的に感じ取っていたのです。

NBO 世界に新自由主義が広がった理由は何でしょうか。

渡辺 1970年代以前の経済政策といえば、福祉国家的、ケインズ主義的な政策でした。企業と高額所得者から多額の税金を集めて、教育や福祉、医療制度を通じて中流階層に所得を再分配することで、安定した「国民統合」を実現できたのです。
 しかし、ケインズ主義的な政策は不況下のインフレーションを招くようになって行き詰まりました。そこで新自由主義が登場したのです。
 ところが、新自由主義が広がると、今度は労働者階級の中間層が解体され、階層間の格差が拡大します。ひいては社会の分裂が避けられません。
 分裂しそうな社会の統合を目指す政治潮流として登場したのが、新保守主義です。典型的なのは、英国のサッチャー政権や、米国のレーガン政権でした。新自由主義的な規制緩和や構造改革を進めると同時に、伝統的な家族や地域、学校、企業というような共同体の再建を主張し、強い国家を標榜して、国民を統合させるという意識がありました。ところが、小泉さんは新自由主義一点張りだったのです。

NBO 小泉政権の以前にも、新自由主義的な政策はあったのではないでしょうか。

渡辺 日本では、80年代に中曽根康弘政権がサッチャー、レーガンのマネをしようと国鉄民営化や規制緩和をしました。ただ当時の日本企業の競争力は、世界でもダントツに強く、新自由主義的な改革は続きませんでした。構造改革を掲げた橋本龍太郎政権も、2年半ほどしかもちませんでした。
 もともと日本の経済政策は、福祉国家型の所得再分配ではなく、地方の公共事業投資で経済発展を促して、結果的に所得格差を是正する「開発型」の政策でした。福祉政策としては不十分でも、ともかく経済が発展して完全雇用を望めたからです。
 ただ経済のグローバル化が進むにつれて財界は、日本の財政には2重の非効率があるとして改革を要求しました。その1つは、公共事業が財政を肥大化させていて、そのツケを企業が法人税という形で負担させられていること。もう1つは、普通なら競争の中で淘汰されるような弱小企業が生き残って、競争力が落ちると指摘したのです。
 とりわけ冷戦が終結すると、中国やインドといった社会主義圏や新興国が世界市場に組み込まれました。いくら日本企業が優秀でも、賃金水準が32分の1という中国にはかなわない。ダメージを受けた日本企業が世界市場で競争力を回復するには、新自由主義的な改革をせざるを得なくなったのです。

NBO するとポスト小泉政権を担った安倍首相は、構造改革で分裂しそうな社会を統合する新保守主義の旗手として登場したわけですか。

渡辺 論理的には、新自由主義の後の壊れた社会をどうするかは、どこの国でも考えなければならないことなのです。日本でも少年犯罪や児童虐待、家庭崩壊が増加し、職探しをせず学校にも通っていない「ニート」の急増といった社会問題が顕在化しました。そこでポスト小泉である安倍政権は、何らかの形で構造改革をストップするか、新保守主義を主張するしかなかったのです。
 安倍首相は、わりと教条主義的な人ですから、構造改革を止めてはいけないと考えた。しかし労働時間規制の除外制度(日本版ホワイトカラーエグゼンプション)は「残業代ゼロ法案」と批判されてストップしてしまった。財界は大丈夫なのかと心配したのです。

敵は自民1党独裁と官僚機構

NBO そもそも小泉政権への国民の支持が高かった要因は何だったのでしょうか。

渡辺 理由の1つは、開発型の経済発展を主導してきた自民1党独裁と官僚支配に対する国民の不満に、小泉改革が答えたからです。
 自民党の支持基盤は、大企業や高額所得者から集めた税金を公共事業投資という形で再分配されてきた地方の有権者です。ですが小渕政権などが湯水のように公共事業にカネを注ぎ込んだのに、財政赤字が増えただけで、ちっとも景気は回復しませんでした。
 自民1党独裁と官僚機構による利益誘導型政治に対する不満は、大都市の市民層に共有され、左翼勢力のかなりの部分も後押しするという構図ができました。こうして選択肢は、痛みの伴う急進的な構造改革しかなかったのです。
 小泉政権は「自民党をぶっ壊す」というスローガンを掲げて、ほとんど地方の有権者を考慮することなく構造改革を進め、実際に自民党の安定した政治の地盤を壊したのです。
 しかも小泉政権は、単に財政削減をしただけでなく、新自由主義改革を地方自治体に分担させる仕組みを作りました。医療や介護、教育は、すべて三位一体改革で地方に押し付けたのです。
 国はガイドラインを出し、地方が企業と同じように自ら目標を立てて、達成できなければ利用料を上げたり、サービスを切り捨てるなりして、自分で面倒を見なさいという形で投げたわけです。これによって、さらに地方の不満がたまったのです。
 急進的な構造改革によって、大企業は競争力をつけて景気が回復し、株価も上がりました。ところが、小泉改革は新自由主義だけで、分裂した社会を統合させるような新保守主義は掲げませんでした。

NBO 新保守主義を掲げた安倍首相は成果を上げたのではないですか。

渡辺 安倍首相は、構造改革の痛みの手当てとして、新保守主義的なことをやれば国民に受けるに違いないと考えました。これが安倍首相の戦略でしたが、根本的な構造改革の痛みへの対策が必要だとは思っていなかったでしょう。
 安倍首相は新保守主義をやりたくて、政策の目玉にしたいと思ったはずです。教育再生会議を立ち上げて、改憲のための国民投票法の成立といったことばかりを進めました。新保守主義派の自民党議員も教育基本法改正に愛国心という言葉も入れなければと考えた。ただ新保守主義派の言い分ばかり聞いていたら、復古主義だとして、国民もなかなか納得してくれない。
 そこで教育再生会議では、行政が配布した利用券を保護者が使って子供の通う学校を選べる「教育バウチャー制度」といった新自由主義的な制度も検討項目に入れたりしたのです。これには新保守主義派も不満を持ちました。純粋な新保守主義は、行き過ぎた競争や自由に反対したりするからです。

民主党の大転換が敗因

NBO 今年7月の参議院選挙での自民党の敗北は、構造改革の痛みに本格的な対策を打たなかったからということになりますか。

渡辺 小泉政権下で行われた5度の国政選挙では、急進的な構造改革が有利で、どんどん民主党から都市部の票を奪ってきました。2005年9月の総選挙では郵政民営化が争点になり、ついに都市部の得票は民主党を上回ったのです。
 これに対し地方の有権者は、自民党の改革路線に対する不信はあったものの、以前は民主党も構造改革を掲げていたため、不満の行き場がなかったのです。
 今年7月の参院選で自民党が議席をあれほど失ったのは、民主党が政策を大転換したからです。3つの約束という「年金」「子ども手当て」「農業の戸別所得補償制度」は、新自由主義ではなく福祉国家型です。地方に多い自民党の大票田である改選1議席の29の1人区は民主が圧勝しました。
 特に、戸別所得補償制度は、1950年代に西欧の福祉国家諸国で農業保護のために登場した考え方で、自民党ですらやらなかった政策です。もちろん、これだけでは農業を再建できません。しかも今の民主党は、福祉と構造改革の構想を同居させながら誰も突き詰めて考えていません。ただ日本の農業を考えた場合、僕は差し当たりは必要かと思います。

NBO 自民党は新保守主義の勢力を伸ばすことができますか。

渡辺 新保守主義はもう通用しないでしょう。自民党は反共産主義という点では保守ですが、海外の保守主義と違って農村や地域社会や伝統を壊してしまった。欧州の保守主義は、伝統や地域、共同体を重要視するのです。
 しかし日本の保守主義は、伝統を重視しないで、どんどん農村の人たちを大都市に送り出して高度成長を実現しました。それでも地方の票田がなくなると困るので、出稼ぎをしなくても済むように企業を誘致したり、新幹線や高速道路を建設する。やはり開発型の保守主義なのです。むしろ革新系の方が建築物の高さ制限などを主張して、伝統を守ろうとする。
 日本は、企業が共同体を形成してきました。世界の中で、日本ほど従業員が団結した企業はなかった。ところが新自由主義はそれも壊しました。構造改革により、企業に対する従業員の忠誠心や求心力がなくなってしまったのです。つまり日本の新保守主義には、もはや拠り所となる共同体がないのです。
 ですから、もし日本で新保守主義を進めるなら、新しい共同体を作らなければなりません。競争や成長をある程度は抑止し、所得の再分配によって、地域の共同性を再建するために、労働者や市民を戻さないとできません。

NBO ポスト安倍に残された選択肢は何でしょうか。

渡辺 選択肢は4つあります。1つは構造改革をさらに推進する急進的な新自由主義、2つめは構造改革をマイルドに進める漸進的な新自由主義、3つめは構造改革の痛みの手当てとして新保守主義を持ち込む考え方、最後は福祉国家型の政策に転換する考え方です。
 自民党には、構造改革の急進派と漸進派、新保守主義派がいます。ただ安倍首相の辞任で、新保守主義の代表がいなくなってしまいました。
 麻生太郎さんや谷垣禎一さんは漸進派として構造改革をストップして利益誘導型政治に戻ろうとしましたが、新保守主義は主張しませんでした。
 今度の自民党総裁には誰がなっても、漸進型になってしまうでしょう。自民党は地方に地盤を持っていますので、小泉政権のような構造改革の急進派もほとんどいなくなりました。漸進派が急進的改革をどれだけ取り入れるかという程度の違いだけで、もはや漸進派内の争いでしかありません。

新自由主義を抑えるアジア経済圏構想

NBO そうすると、次期政権は漸進的な構造改革しかないのでしょうか。

渡辺 漸進派と急進派を行ったり来たりする状況は、危機的な状態です。僕は、福祉国家型の経済政策に転換すべきではないかと思います。例えば自国の農業の保護も認めるのです。
 もちろん、これは日本だけではとても実現しない話です。欧州連合(EU)域内の国がなぜ福祉政策や環境規制を維持できるのかといえば、EU共通の経済圏の中で税制や労働条件の統合を行ったからです。裸の状態で米国と競争しないで済むのです。
 日本経団連は2003年に奥田碩前会長が、中国や韓国との連携を強化する「東アジア自由経済圏」の構想を「奥田ビジョン」として公表したように、ある種の共通経済圏によって新自由主義を止めて、共通の労働条件規制や環境規制を導入してはどうでしょうか。
 最大の難関は、政治的な障害でしょう。しかし、こんな国家構想をもとに財源をどうするかという議論のできる政治こそが必要とされていると思います。

渡辺治 (わたなべ・おさむ)氏 一橋大学大学院社会学研究科教授
 1947年生まれ。東京大学法学部卒、東京大学社会科学研究所助教授を経て、1990年から一橋大学教授。『安倍政権論 新自由主義から新保守主義へ』(旬報社)、『日本国憲法「改正」史』(日本評論社)、『日本の大国化は何を目指すか』(岩波ブック)など著書多数。

↑麻生、谷垣の名前は出てきますが、福田の名前が出てこないところを見ると、そういう時期のインタビューだろうと思われます。

渡辺先生のいつもの鋭い分析ですが、今回は、新自由主義+新保守主義という分析。しかし、「新保守主義」って何かという点では、最初は、事実上「新国家主義」と同じ意味で使われていますが、最後のところでは、「保守主義」との関係で論じられていて、若干論点にズレを感じます。奥田碩・日本経団連前会長の「東アジア自由経済圏」構想が新自由主義を止めるものだ、というのも賛成できません。

また、新自由主義について、構造改革の急進派、漸進派というメディアの枠組みに言及されています。しかし、急進派vs.漸進派という分析では「痛み」は改革の速さが生みだしたものになってしまうでしょう。むしろ、「痛み」を生み出す構造的な原因が置き去りにされることをきちんと批判しておかれる必要があったのでは、と思います。漸進派とされる勢力も、基本は構造改革路線だというところに、今の自民党政治の行き詰まりがあると思います。

僕は、新自由主義は、経済・財政政策やそのイデオロギーに限って理解すべきで、政治全体を「新自由主義的」と特徴づけると、どうしても「新自由主義なのに、どうして新国家主義なのか?」とか「“新自由主義なのに新国家主義”なのか、それとも“新自由主義だから新国家主義”なのか?」という、それ自体は興味はあるけれど現実の分析にはあまり役に立たない“永遠の難問”につっこんでしまうだけだと考えています。

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