これまでに新聞で報道されたことだけでも、部屋を逃げだそうとした若い力士に、親方・兄弟子が一緒になって暴行・リンチを加えたことは明らか。稽古の行き過ぎなどという問題ではありません。警察の取り調べの結果が明らかになった段階で、最低限でも親方の廃業、部屋の廃絶の処分が必要でしょう。
17歳力士への暴行、急死で時津風親方ら立件へ(読売新聞)
急死力士の兄弟子「金属バットで殴打」、当日のけいこで(読売新聞)
急死直前に30分も“ぶつかりげいこ”、時津風親方は黙認(読売新聞)
大相撲:時津風部屋力士急死 「火葬は愛知で」 暴行の跡隠す意図?(毎日新聞)
17歳力士への暴行、急死で時津風親方ら立件へ
[2007年9月26日14時13分 読売新聞]愛知県犬山市の大相撲時津風部屋の宿舎で今年6月、序ノ口力士、斉藤俊(たかし)さん(当時17歳)=しこ名・時太山(ときたいざん)=がけいこ中に急死した問題で、師匠の時津風親方(57)(元小結双津竜)らが暴行を加えていた疑いが強まり、県警は、刑事事件として立件する方針を固めた。
県警の任意の聴取に対し、時津風親方、兄弟子数人は、死亡前日、斉藤さんに暴行したことを認めている。直接的な死因を特定するため、県警は遺体の組織検査をしており、傷害致死や傷害容疑を視野に入れ、時津風親方らを追及する。
けいこ中の死亡などの事故を巡り、親方が刑事責任を追及されれば、初めてのケースで、部屋の指導やけいこのあり方が厳しく問われそうだ。
調べによると、斉藤さんは名古屋場所前の6月26日午後0時40分ごろ、犬山市内の宿舎で、兄弟子とぶつかりげいこをしている最中に体調不良を訴え、病院に運ばれたが死亡した。
死因は当初、虚血性心疾患とされたが、遺体の顔や体に複数の傷やあざが確認され、遺族の希望で行政解剖した結果、「多発性外傷によるショック」が死亡につながった可能性がある」とされた。
これまでの調べでは、死亡前日の6月25日午前、斉藤さんが部屋から逃げ出そうとしたところ、兄弟子らに連れ戻され、同日夕、親方からビール瓶で額を殴られたほか、兄弟子らから「指導」の名目で数十分にわたって殴るけるの暴行を加えられたという。県警は、兄弟子らが日常的に暴行を繰り返していた可能性もあるとみている。
斉藤さんは新潟県出身。5月の夏場所で初土俵を踏んだばかりだった。時津風親方は、6月28日の記者会見で「無理はさせていないので、何がいけなかったのか、答えようがない」と話していた。
急死力士の兄弟子「金属バットで殴打」、当日のけいこで
[2007年9月27日3時10分 読売新聞]大相撲時津風部屋の序ノ口力士斉藤俊(たかし)さん(当時17歳)が急死した問題で、愛知県警の任意の聴取に対し、兄弟子の一人が「死亡当日に金属バットで斉藤さんを殴った」と供述していることが26日、わかった。
調べによると、斉藤さんは名古屋場所前の6月26日、愛知県犬山市内の宿舎で、兄弟子とぶつかりげいこをしている最中に体調不良を訴え、病院に運ばれたが死亡が確認された。けいこの際、兄弟子の一人が金属バットを持ち出し、斉藤さんを殴ったという。県警では、時津風親方(57)(元小結双津竜)が兄弟子らに暴行を指示した疑いもあるとみている。
また、時津風親方が8月上旬、新潟市にある斉藤さんの実家を訪れて謝罪した際、ビール瓶で殴った時の状況などを父親の正人さん(50)ら遺族に伝えていたこともわかった。時津風親方は、斉藤さんが亡くなる前日の夕飯の時に、斉藤さんを斜め後ろに正座させ、ビール瓶で顔を殴ったと説明。斉藤さんの伯父(44)は「心から謝罪しているようには見えなかった」と、不信感をあらわにした。
亡くなる1週間前、部屋を抜け出した斉藤さんを、両親が説得し、部屋に連れ戻した際、親方夫妻や兄弟子らは、「心配しないでください」と話していたが、その後も斉藤さんからは「やめたい」と自宅に電話があったという。また遺品の中には、真っ二つに折られた携帯電話や、粉々にされたデータ保存用のカードがあったという。
急死直前に30分も“ぶつかりげいこ”、時津風親方は黙認
[2007年9月27日14時32分 読売新聞]愛知県犬山市の大相撲時津風部屋の宿舎で今年6月、序ノ口力士、斉藤俊(たかし)さん(当時17歳)=しこ名・時太山(ときたいざん)=がけいこ中に急死した問題で、亡くなる直前の斉藤さんに対する長時間のぶつかりげいこを時津風親方(57)(元小結双津竜)が黙認、兄弟子らが斉藤さんをバットで殴るなどした暴行を制止しなかったことが27日、県警の調べで分かった。
県警は、親方が黙認したことで、暴行がエスカレートし、斉藤さんの死につながった可能性があるとみて捜査している。
調べによると、斉藤さんが死亡する直前の6月26日午前中に行われたぶつかりげいこは約30分に及んだ。この間、兄弟子らは、斉藤さんが倒れると、金属バットや木の棒で殴るなどの暴行を加えたという。斉藤さんはその後、体調不良を訴えて病院に運ばれ、死亡が確認された。
ぶつかりげいこは、兄弟子らの胸を借り、体当たりした後に投げられて受け身を取るもの。県警の事情聴取に対し、兄弟子らは「親方はけいこを見守っていたが、制止はしなかった」などと話しているという。
関係者によると、ぶつかりげいこは体力の消耗が激しく、通常は3分程度が限界。県警は、死亡前日に、親方がビール瓶で額を殴ったり、兄弟子らが殴るけるなどしたりした行為とともに、当日のぶつかりげいこが長時間に及んだ経緯などについて、さらに詳しく調べている。
大相撲:時津風部屋力士急死 「火葬は愛知で」 暴行の跡隠す意図?
[毎日新聞 2007年9月27日 東京夕刊]愛知県犬山市で今年6月、大相撲時津風部屋の序ノ口力士、時太山(ときたいざん)=本名・斉藤俊(たかし)さん(当時17歳)=がけいこ中に急死した問題で、斉藤さんが死亡した同26日当日、時津風部屋から新潟市に住む遺族に「(遺体は)こちらで取り仕切りますから」と、現地での火葬を示唆する電話があったことがわかった。遺族は「暴行の跡を隠そうとしたのではないか」と批判している。
遺族によると、同日午後4時ごろ、部屋側から斉藤さんの実家に電話があり、火葬の準備を進めている旨が伝えられた。疑問を抱いた遺族側が「それは困る。こちらから迎えに行く」と抗議すると、部屋側は実家への搬送を手配したという。
斉藤さんの遺体を見た遺族は、額に残った切り傷や激しい打撲の跡、たばこを押しつけられたようなやけどなどを見てショックを受け、翌27日、弔問に訪れた時津風親方に説明を求めたが、親方は「通常のけいこでできたもの」と釈明し、火葬の準備についても「隠すためにやったわけではない」と繰り返した。
死因は当初、「虚血性心疾患」とされたが、納得できない遺族は遺体を解剖して真相を究明するよう愛知県警などに要請。新潟大での行政解剖で「多発外傷によるショック死が考えられる」と判断された。【岡田英】