沖縄「集団自決」検定撤回を求める県民大会 11万人が参加

今日午後3時から、沖縄戦の「集団自決」検定削除の撤回を求める県民大会が開かれ、会場となった宜野湾市・宜野湾海浜公園に11万人が集まりました。

教科書検定意見の撤回を求める人たちで沖縄県民大会の会場は埋め尽くされた=29日午後3時49分、沖縄県宜野湾市の宜野湾海浜公園で(朝日新聞)
教科書検定意見の撤回を求める人たちで沖縄県民大会の会場は埋め尽くされた=29日午後3時49分、沖縄県宜野湾市の宜野湾海浜公園で(朝日新聞)

琉球新報のPDF版速報には、いつ、どこで「集団自決」が起こり、どれだけの人が犠牲になったか、などの資料も収められていて非常に役だちます。

沖縄、11万人が訴え 教科書検定「撤回を」(朝日新聞)
検定撤回へ結集/宜野湾・宮古・八重山で県民大会(沖縄タイムス)
島の惨劇 後世に/決意胸に撤回訴え(沖縄タイムス)
悲惨な思いつなぐ/平和の火リレー(沖縄タイムス)
【速報】検定意見撤回を 県民大会で総意訴え(琉球新報)
手榴弾配り自決命令/住民が初めて証言(沖縄タイムス)

沖縄、11万人が訴え 教科書検定「撤回を」
[asahi.com 2007年09月29日21時33分]

 沖縄戦で日本軍が住民に「集団自決」を強制したとの記述が教科書検定で削除された問題で、検定意見の撤回を求める超党派の沖縄県民大会が29日、宜野湾市の海浜公園で開かれた。参加者は主催者発表で11万人。米兵による少女暴行事件を機に8万5000人が基地の整理・縮小などを訴えた95年10月の大会を大きく上回る「島ぐるみ」の集会となった。参加者は検定意見の撤回と記述の回復を求める決議を採択した。
 大会は県議会各派や県PTA連合会など22団体で作る実行委員会が主催。壇上には、独自に大会を開いた先島諸島の自治体を除く全36市町村の首長や議長らが並んだ。
 沖縄戦体験者で実行委員長を務める仲里利信・県議会議長は「歴史的事実がねじ曲げられることは絶対に許すことはできない。県民大会は、住民を巻き込んだ悲惨な地上戦の惨禍に見舞われた沖縄が全国に発信する警鐘だ」とあいさつ。仲井真弘多知事も「文部科学省は県民の度重なる要請行動を真摯(しんし)に受け止めることなく、撤回要求に応じていない。強く抗議し、遺憾の意を表明する」と述べた。
 沖縄戦の際、渡嘉敷島(とかしきじま)で「集団自決」の現場にいた吉川嘉勝さん(68)は、集団自決が起きたのは日本軍がいた島だけだった、と指摘。そのうえで、「日本軍の関与がなければあのような惨事は起こらなかった、と結論づける事実は山積している」と訴えた。
 教科書を使う立場から読谷(よみたん)高校3年の津嘉山拡大(つかやま・こうだい)さん(18)と照屋奈津美さん(18)も意見を述べた。
 採択された決議では、「事実を正しく伝えることは我々に課せられた重大な責務」とし、文科省に検定意見の撤回を求めている。
 大会後、仲井真知事は記者団に「ある種のマグマというかエネルギーが爆発寸前にあるのではないかと予感させるような大会だった」と述べた。
 29日には宮古島と石垣島でも郡民大会が同時開催され、計6000人(主催者発表)が集まった。
 文科省はこの教科書検定問題について「専門的な調査審議に基づいて実施された」として、検定意見は変更しないとの立場を貫いている。しかし、複数の教科書執筆者から訂正申請をめざす動きが出始めている。

検定撤回へ結集/宜野湾・宮古・八重山で県民大会
[沖縄タイムス 2007年9月29日(土) 夕刊 1面]

 高校歴史教科書の検定で、文部科学省が沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」から日本軍の強制を示す記述を削除させたことに抗議する「教科書検定意見撤回を求める県民大会」(主催・同実行委員会)が、29日午後3時すぎ、宜野湾海浜公園で開かれた。数万人が会場を埋め、実行委員長の仲里利信県議会議長らが登壇し、文科省に検定意見の撤回と記述回復を求めた。開会前、平和への思いを訴える読谷高校生の創作ダンスや渡嘉敷村の「集団自決」犠牲者を慰める鎮魂歌「白玉の塔」などがささげられた。宮古、八重山でも同時刻、郡民大会が開かれた。同日午前、沖縄戦終焉の地・糸満市摩文仁で「平和の火」が採火され、34キロ離れた会場まで100人以上が走り継いだ。
 実行委には県議会や県婦人連合会など22団体に247の共催団体が加わった。
 会場には家族連れや戦争体験者、学生などが詰め掛けた。那覇市の花城隆さん(74)、トヨさん(76)夫妻。共に沖縄戦の体験者として「政府は、なぜ『集団自決』の生き残りの証言を信じてくれないのか。『集団自決』の現場は見ていないが、同じ体験者として絶対許せない」と憤った。
 読谷村から来た山内昌善さん(71)=無職=は「私も戦争体験者。教科書が変えられたと聞き、居ても立ってもいられなかった」と話し、「日本軍は住民にいいことは何一つしてない。戦争の実相を正しく伝え、日本本土に強く訴えないと、沖縄は埋没してしまう」と訴えた。
 うるま市の伊保清一さん(72)=無職=は「最近の報道を見て、真実が伝えられていないと感じる。大会を通して、削除された部分を復活し、子どもや孫に真実を伝えてほしい」と語った。
 「平和の火」の採火式は、午前9時45分から行われ、県民大会実行委と糸満市、八重瀬町の関係者ら百人が参加した。
 糸満市の西平賀雄市長、玉城朗永市議会議長、市立米須小学校六年の玉城寿倫哉君の3人が、広場に設置された「平和の火」から採った火を仲里実行委員長の持つトーチに点火した。
 「平和の火」は、沖縄戦最初の米軍上陸地で、「集団自決」で多数の住民らが犠牲となった座間味村と被爆地広島の「平和の灯」、長崎の「誓いの火」から合火。
 平和を希求する火の前で、仲里実行委員長は「県民大会には、県内外から5万人以上が参加をいただき、史実を歪曲する文部科学省に検定意見の撤回を力強く求めていく」と決意を述べた。

島の惨劇 後世に/決意胸に撤回訴え
[沖縄タイムス 2007年9月29日(土) 夕刊 4・5面]

 「平和の火」が、人の波が、会場に押し寄せた。29日、「教科書検定意見撤回を求める県民大会」が開かれた宜野湾海浜公園。「集団自決(強制集団死)」が起きた座間味村と渡嘉敷村の住民らは船とバスを乗り継いで会場に着いた。愛する家族や親せきを失ったお年寄りらは「歴史を歪めさせない」「子どもたちに真実を伝える」と誓い合った。宮古、八重山を含む県内各地で、大勢の県民が決意と期待の声を上げた。大会前、小中高生らが燃えさかるトーチを手から手へつないだ。
 1945年3月26日に「集団自決(強制集団死)」が起きた座間味村の住民約50人は29日午後1時すぎ、船とバスを乗り継ぎ「教科書検定意見撤回を求める県民大会」が開かれる宜野湾海浜公園に到着した。「集団自決」の体験者らは「多くの人が参加し、県民の声が全国に届く大会にしたい」と気持ちを新たにした。
 一行は同日午前、座間味港や阿嘉港から本島向けの船に乗り込んだ。阿嘉港から乗船した元村議の中村武次郎さん(77)は慶留間島で、家族3人のうち姉が「集団自決」で亡くなった。「記述が削除されては、島で何が起きたのか教えられなくなる。大会を成功させようと思い、参加を決めた」と力を込めた。
 沖縄戦当時の村助役兼兵事主任の兄、宮里盛秀さんと家族を亡くした宮平春子さん(81)の「集団自決」体験を県民大会で代読する元役場職員、宮里芳和さん(59)は「兄家族を失った宮平さんには熱い思いがある。宮平さんの万感胸に迫る思いを訴えようと、燃える気持ちだ」と少し緊張した面持ちだった。
 村実行委員会副委員長の仲村三雄村長(64)は「大戦中の尊い命を犠牲に、戦後は平和な座間味島を築いてきた。全国に県民の声が届く大会にしたい」と話した。
 宮里順之村議(72)は45年3月、「集団自決」が起きた産業組合壕で、死ぬために「中に入れてほしい」と大人たちが押し問答したことを子ども心に覚えている。「『集団自決』があった座間味村から、多くの人が参加して大会を成功させたい」と力を込めた。
 四二年に徴兵され、「死んで座間味に帰ってくるはずだった」という宮里正太郎さん(87)。「会場に多くの人が集まっているが、これは問題の大きさを表している。今後の平和のためにも、真実を曲げてはいけない」と言い切った。

     ◇     ◇     ◇

史実きちんと継承して/怒り 期待の声あふれ

 教科書検定撤回を求める県民大会の29日、県内各地で、史実歪曲への怒りと大会に寄せる期待の声が聞かれた。
 大宜味村の宮城光一さん(25)=公務員=は「戦前・戦中に軍を優先させる教育があって『集団自決(強制集団死)』は起きた。村内でも白浜事件という旧日本兵による住民虐殺があった。検定結果がそのままになると、自分たちのおじいさん、おばあさんの世代が亡くなった時に、そうしたことまで、すべてなかったことにされてしまうかもしれない」と危惧。「歴史をきちんと継承しないと戦争が再び起きてしまう」と意義を語った。
 宜野湾市真栄原の木村美乃さん(33)=主婦=は「集団自決」の体験を読み「危機感が、つらい体験者の重い口を開かせたのだろう」と感じるようになった。3年前、沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事故後に開かれた市民大会に足を運んだ。「参加することで抗議の気持ちを体で表せた」。今回は3歳の長男を含む家族3人で参加する。
 石垣市登野城の宮良洋子さん(65)は、家族と一緒に市総合体育館の八重山郡民大会に足を運ぶ。この問題を聞いたとき、「歴史をゆがめるようなことを絶対に許してはいけない」と強く思った。「子どもたちに真実を伝えるために一人一人が立ち上がり、県全体、本土にも広がり、検定意見の撤回につながってほしい」と期待している。
 宮古島市平良の与儀一夫さん(70)は「『集団自決』の問題が今出てくるのは、戦争の反省をしっかりしてこなかったからだと思う。(日本軍の強制を示す記述の)削除には怒りを感じる。戦争のことをしっかり整理しなければならない」と話す。
 戦争中は小学校低学年。宮古島でも「軍命」の名の下に飛行場建設や食料の調達がなされたことを肌で感じており、検定意見撤回のため同市内で開かれる郡民大会にも参加する。「一人一人の市民が積極的に参加して多くの人で宮古郡民大会を成功させたい」と話している。

悲惨な思いつなぐ/平和の火リレー
[沖縄タイムス 2007年9月29日(土) 夕刊 4面]

 【糸満・豊見城】教科書検定意見の撤回と平和希求の思いを託し29日午前、県民大会会場の宜野湾海浜公園に向け出発した「平和の火リレー」。小中高生らが“平和のシンボル”を次々とつないだ。燃え上がるトーチを掲げ、力強く歩を進める走者に、沿道から温かい声援が送られた。
 糸満市の西平賀雄市長と玉城朗永市議会議長に交じり、リレー出発前に採火した同市立米須小6年の玉城寿倫哉君。「大人たちの話を聞いて沖縄戦の歴史を正しく教科書に残してほしいと思った」と話した。
 第1走者は、同市立高嶺中3年の生徒会メンバー5人。大会実行委員長の仲里利信県議会議長から「はい、どうぞ。お願いします」と声を掛けられトーチを手渡され、笑顔でスタートした。
 夏場を思わせる強い日差し。玉城寛之君を先頭に、行き交う車の声援に手を振り応えながら、軽い足取りで約1キロを走った。
 第2走者の市立兼城中学校3年のイラバニ・ロクサナさんら8人の生徒に「がんばれ」と声を掛け、トーチをつないだ玉城君。
 「気持ちよく走れた。大事なものを託されているということを胸に、平和な世の中になってほしいという思いで走った」と話し、額の汗をぬぐった。
 豊見城市役所から名嘉地交差点までの1.6キロの区間では、市議会全議員や市職員、豊見城高校野球部など約100人がリレーをつないだ。
 糸満市の子ども会からトーチを受け取った豊見城市議会の大城英和議長は「62年前の沖縄戦で起こった悲惨な出来事を胸に刻みながら、しっかりと走ってほしい」と走者らに呼び掛けた。
 豊見城高校野球部の屋我伸也さん(17)は「これから歴史を勉強する子どもたちのためにも真実を伝えてほしい」と話した。

【速報】検定意見撤回を 県民大会で総意訴え
[琉球新報 9/29 15:13]

 文部科学省の高校歴史教科書検定で沖縄戦における集団自決強制集団死の日本軍強制の記述が削除修正された問題で、教科書検定意見撤回を求める県民大会(同実行委員会主催)が29日午後3時から、宜野湾市の宜野湾海浜公園で始まった。
 一般市民や団体、労働組合、経済界など県内外から数万人が集まり、会場を埋め尽くした。八重山、宮古でもこれと連動した大会が同時刻に開かれた。大会では、日本軍による命令強制誘導などの記述を削除修正する教科書検定意見の撤回と、記述回復を求める大会決議を採択する。

手榴弾配り自決命令/住民が初めて証言
検定撤回きょう県民大会
[沖縄タイムス 2007年9月29日(土) 朝刊 1・27面]

 1945年3月25日、座間味村の忠魂碑前に軍命で集まった住民に対し、日本兵が「米軍に捕まる前にこれで死になさい」と手榴弾を渡していたことが28日、同村在住の宮川スミ子さん(74)の証言で分かった。長年、座間味村の「集団自決(強制集団死)」について聞き取りをしてきた宮城晴美さん(沖縄女性史家)は「単純に忠魂碑前へ集まれでなく、そこに日本軍の存在があったことが初めて分かった」と指摘している。一方、「教科書検定意見撤回を求める県民大会」(主催・同実行委員会)が29日午後3時から、宜野湾海浜公園で開かれる。(又吉健次)
 忠魂碑前で日本兵が手榴弾を配ったとする証言は初めて。
 宮川さんは当時、座間味国民学校5年生。米軍が座間味島を空襲した45年3月23日に、母のマカさんとともに家族で造った内川山の壕に避難していた。25日夜、マカさんが「忠魂碑の前に集まりなさいと言われた」とスミ子さんの手を引き壕を出た。
 2人は、米軍の砲弾を避けながら20?30分かけ、忠魂碑前に着いた。その際、住民に囲まれていた日本兵1人がマカさんに「米軍に捕まる前にこれで死になさい」と言い、手榴弾を差し出したという。スミ子さんは「手榴弾を左手で抱え、右手で住民に差し出していた」と話す。
 マカさんは「家族がみんな一緒でないと死ねない」と受け取りを拒んだ。スミ子さんはすぐそばで日本兵とマカさんのやりとりを聞いた。2人はその後、米軍の猛攻撃から逃れるため、あてもなく山中へと逃げた。
 聞き取りが当時の大人中心だったため、これまで証言する機会がなかった。スミ子さんは「戦前の誤った教育が『集団自決』を生んだ。戦争をなくすため、教科書には真実を記してほしい」と力を込めた。
 宮城さんは「日本軍が手榴弾を配ったことが、さらに住民に絶望感を与え、『集団自決』に住民を追い込んでいった」と話している。
 一方、県民大会の実行委員会は5万人以上の参加を呼び掛けており、95年10月21日に開かれた米兵暴行事件に抗議の意思を示した県民大会以来12年ぶりの規模となる。県議会や県婦人連合会、県遺族連合会など22団体の実行委員会と約250(28日現在)の共催団体が超党派で加わっている。
 大会では実行委員長の仲里利信県議会議長や仲井真弘多県知事、「集団自決」の体験者、女性、子ども、青年団体などが文部科学省に抗議の意思を示す。文科省が高校歴史教科書から沖縄戦の「集団自決」への日本軍の強制を削除させた検定意見の撤回を要求する。

     ◇     ◇     ◇

市民広場利用 米軍が認めず/大会関係者怒り

 【宜野湾】29日の「教科書検定意見撤回を求める県民大会」で、大会実行委員会(委員長・仲里利信県議会議長)が大会当日に宜野湾市役所向かいの「市民広場」を駐車場として利用することについて、米軍が「中立の立場を維持する」として許可しないことが28日、分かった。同広場は普天間飛行場の提供施設内で、市に無償開放されている。超党派の県民大会での駐車場使用を米軍が許可しないことに同実行委からは「県民の思いを理解できない」など反発している。
 同広場は約200台の駐車場があり、通常は市民らが野球やゲートボールなどを楽しんでいる。大会当日は会場までバスでピストン輸送する予定だった。
 同飛行場のリオ・ファルカム司令官(大佐)は「日本国内の重要かつ慎重を期する問題について、中立の立場を維持する必要性がある」と強調。「論争となっている日本国内の政策については、支持あるいは不支持と受け取られることを避けるというのが私たちの方針」と説明している。
 宜野湾市の伊波洋一市長は「あえてゲートを閉めれば不支持と受け止められる。県民感情を逆なでする行為だ」と憤慨。「直接、基地に関係するものでもなく、納得できない。通常通り開門するべきだ。閉鎖すれば大会の怒りは基地に向かうだろう」と話した。
 県民大会実行委員会の玉寄哲永副実行委員長は「大会は超党派で日本軍強制の事実が削除されたことに対し、記述の回復を求めるもの。政府の顔色をうかがい、県民の思いを理解できない米軍人の思考回路はまったく理解できない」と批判。小渡ハル子副実行委員長も「県民の土地を奪い取り使っているのに米軍は恥を知らないのか。だから米軍は県民に嫌われる。言語道断の話であり、県民をばかにしている」と憤った。

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