『資本論』第11分冊に突入しました。
最初は、第29章「銀行資本の構成諸部分」です。ここでは、貨幣資本(ゲルトカピタル)とは区別されたものとしての「マニード・キャピタル」が登場します。
「マニード・キャピタル」というのは、要するに利子生み資本のこと。それにたいして、貨幣資本とは、資本がその循環過程でとる一形態、商品資本や生産資本と並んでとる一形態のことをさしています(新日本新書版、802ページ)。ただし、現行版資本論では、マルクスが草稿で「マニード・キャピタル」と書いたものを、エンゲルスが「貨幣資本(ゲルトカピタル)」とか「貸付資本」、「貸付可能な貨幣資本」など、まちまちに直しているので、「マニード・キャピタル」の問題として何が論じられているか、読み取りにくくなっています。
次に、利子生み資本について。(1)一定の規則的な貨幣収入が、実際に資本から生じるものであろうとなかろうと、すべて資本の利子として現われることから、逆に、規則的な収入をうみだすもの(例えば国債)が資本と見なされるようになること(802?803ページ)、(2)しかし、そのような資本は「架空資本」であること、が明らかにされています。806ページでは、架空資本を形成する「資本還元」の説明が出てきます。
そして、国債のような純然たる架空資本にたいして、有価証券の場合は、「純然たる幻想的資本」を表わすわけではないが、その場合でも、「この証券の資本価値は、純粋に幻想的なものである」と、マルクスは書いています(同前、807ページ)。しかし、僕には、そのへんの区別がよく分かりません。(^_^;)
で、第29章では、そうした架空資本の独自の運動法則が問題になっているのですが、じゃあその運動法則って何? と聞かれると、これまたよく分かりません。(^_^;) ただ、「利子生み資本と信用制度との発展につれて、同じ資本が、2倍、3倍にもなるように見える」(813ページ)と書いているのが、マルクスの一番言いたかったことかな、と思うのですが……。
最後に、銀行の準備金も架空資本だという話が出てきますが、銀行のシステムもまだよく分かってないので、このあたりはさっぱりです…。
ということで、第30章に突入します。