『資本論』第30章を読み始めました

第30章?第32章は、前にも紹介したとおり、マルクスが「III)」として一まとめに書いた部分。したがって、エンゲルスの章節区分にこだわらず読んでゆくことが必要です。

で、第30章の冒頭、マルクスは「信用制度に関連してわれわれがいま取り組もうとする比類なく困難な問題」として、次の2つの問題をあげています(822ページ)。

  1. 本来の貨幣資本の蓄積は、どの程度まで、現実の資本蓄積を表わしているのか? あるいは現実の資本蓄積を表わしていないのか?
  2. 貨幣の逼迫、貨幣資本の欠乏は、現実の資本の欠乏をどの程度まで表現しているのか?

これが要するに第30章?32章の共通のテーマ。第31章の冒頭でも、「貸付可能な資本の形態での資本の蓄積が、どの程度まで現実的蓄積……と一致するかという問題については、われわれは、まだ結末に達していない」と書かれているので、話はまだ続いています。

それから、1の問題とかかわって、「資本の過多」という問題が登場します。「資本の過多」というのは、「貨幣資本(マニード・キャピタル)の過剰供給」のことですが、マルクスは、「資本の過多」は「過剰生産の特殊な表現方法」なのか、「それとも別の特殊な現象なのか」、はたまた、大量の貨幣の停滞は「資本の過多」の「表現」「現象形態」なのか、と問題を投げかけています(822ページ)

ところで、2の問題はというと、どうやら第32までかかっても結局検討されないで終わってしまっているようです。

前置きはこれくらいにして、第30章から読みすすめたいと思います。

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