『資本論』第30章(最後)

第30章のメモ。最後です。

853ページ後ろから5行目から――
恐慌のときには、商品資本は潜在的には貨幣資本であるという性質をほとんど失う。(つまり、商品を持っていても貨幣には変えられなくなるということ)。
架空資本である利子生み証券も同じである。恐慌のときには利子率が上がり、それにつれて有価証券の価格は下落する。さらに、全般的な信用欠乏のために、所有者は有価証券の投げ売りを余儀なくされるので、有価証券の価格はもっと下落する。
株式の価格は、企業の収益が減少するために、あるいはその株式が表わしている企業が実はインチキ企業だったということによって、下落する。
恐慌のときには、架空資本の価値は大きく減少する。それとともにそれを担保に調達できる貨幣の量も小さくなる。だから、有価証券の相場の下落は、それらが表わしている現実資本とは何の関係もないが、その所有者の支払い能力を大きく減らすことになる。

以上で、第30章は終わり。

引き続き、第31章ですが、その冒頭に“貸付可能な貨幣資本の形態での資本の蓄積が、どの程度まで現実の蓄積と一致するかという問題は、まだ結末に達していない”と書かれているとおり、話は続いています。

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