守屋前事務次官のゴルフだけでなく、当時、航空自衛隊幹部学校長(空将)だった田村秀昭元参院議員も山田洋行のカネでテニス旅行をしていたことが明らかに。
守屋氏の証人喚問の翌日に、産経新聞は「現場の自衛官が一生懸命やっているのに…」という記事を載せていましたが、制服組の幹部だって、ちゃんと接待されてました。ほかにも献金をもらっていたり、自分を役員待遇で採用せよと要求したり。要するに、防衛企業と自衛隊幹部OBとは“持ちつ持たれつ”のずぶずぶの関係だったということです。
- 田村元議員に宿泊テニス費負担 山田洋行元専務 (MSN産経ニュース)
- 田村元議員、山田洋行からの献金300万円が未記載(MSN産経ニュース)
- 山田洋行に採用要求 田村元参院議員「役員待遇で」(東京新聞)
田村元議員に宿泊テニス費負担 山田洋行元専務
[MSN産経ニュース 2007.11.2 02:07]防衛専門商社「山田洋行」の宮崎元伸元専務(69)による守屋武昌前防衛事務次官(63)のゴルフ接待問題で、同社が昭和61?62年ごろ、当時航空自衛隊幹部学校長(空将)だった田村秀昭元参院議員(75)のテニス旅行のホテル宿泊費などを少なくとも十数回負担していたことが1日、同社の社内調査で分かった。宮崎元専務の指示で社員が毎回テニスコート付きホテルを予約し、ホテルからの請求額を同社が全額支払っていた。これについて田村氏は秘書などを通じ「一切の取材に応じられない」と回答を拒否した。
複数の同社関係者によると、田村氏の宿泊テニスは昭和61年ごろから約2年間、月1、2回のペースで続いていた。宿泊先は毎回、テニスコートのある神奈川県箱根町の「仙石原プリンスホテル」(平成16年に事業譲渡)で、週末に1泊2日で滞在することが多かったという。
宮崎元専務が田村氏の予定を担当者に伝えるたび、担当者が同ホテルに宿泊やコート利用の予約をした。2人分の宿泊費やホテルでの食事代、テニス料金などが毎回、ホテルから山田洋行に請求され、同社が支払っていた。請求明細にテニス用品の購入代金などが含まれることもあったといい、負担額は1回数万円にのぼったとみられる。
宮崎元専務ら山田洋行の社員がテニスに同行したことはなく、往復交通費を同社が負担したことはなかった。
田村氏は平成元年1月に退官、同年7月の参院選に自民党から出馬し初当選した。山田洋行による宿泊テニスの費用負担は、政界進出を控えた昭和62年ごろからなくなったという。
山田洋行は現在、こうした過去の政界、官界との不透明な交際などについて社内調査を進めており、調査結果がまとまり次第公表する方針。ただ、政官界との交際などにかかわった社員の大半は昨年退社して、宮崎元専務が設立した「日本ミライズ」に移っているため、全容解明は難しいとみられる。
田村氏は防衛大1期生で空幕装備部長などを歴任。参院議員を3期務め、小沢一郎民主党代表らとともに自民から新生党、新進党、自由党、民主党へと移ったが、17年に民主を除名され国民新党の結党に参加。今年7月の参院選に出馬せず引退した。
山田洋行は平成2、3年ごろから空自機のエンジン調達などで業績を急拡大し、防衛専門商社に成長している。
田村元議員、山田洋行からの献金300万円が未記載
[MSN産経ニュース 2007.11.2 02:07]このニュースのトピックス:守屋前防衛次官問題
田村秀昭元参院議員(75)=7月に政界引退=が代表の政党支部が平成18年までの5年間に開いた政治資金パーティーに、防衛専門商社「山田洋行」(東京都港区)が計360万円を支出していたことが1日、同社の内部調査でわかった。同一法人から20万円を超えるパーティー収入があった場合は法人名などを報告する義務があり、このうち300万円はこれに該当するとみられるが、支部側の政治資金収支報告書には記載がなく、政治資金規正法に抵触する可能性がある。
田村元議員をめぐっては、現役空将時代の昭和61?62年ごろ、山田洋行に宿泊・テニスの費用を丸抱えされていたことが判明しているが、政界進出後も資金提供が続いていた可能性が浮上。制服組OB議員と空自機エンジン納入などで急成長した専門商社の不透明な関係が浮き彫りとなった。
山田洋行の支出記録によると、毎年1、2回開催された田村元議員の政治資金パーティー「田村秀昭政経セミナー」への寄付金として、同社は過去5年間に6回で計360万円を支出していた。
このうち16年2月、17年1月、18年2月に支出された100万円ずつ計300万円は収支報告書に記載義務があるが、いずれも田村元議員が代表を務めていた政党支部の収支報告書には山田洋行からの献金受領が記載されていなかった。
田村元議員は、15年9月に民主党と旧自由党の合流に伴い民主党に移り、17年8月には国民新党の結党に参加した。このため、16年と17年のパーティーは田村元議員が代表だった政党支部「民主党参議院比例区第6総支部」が主催。18年のパーティーは田村元議員が代表の「国民新党参議院東京第1総支部」が主催していた。
それぞれのパーティーの収入総額は900万?1000万円前後で推移していた。
田村元議員は防衛大学校を1期生として卒業した後、航空自衛隊入り。昭和63年に航空自衛隊幹部学校長(空将)で退官し、平成元年の参院選比例代表に自民党公認で出馬、初当選を果たした。 田村元議員は産経新聞の取材に応じていない。
山田洋行に採用要求 田村元参院議員「役員待遇で」
[東京新聞 2007年11月2日 15時02分]航空自衛隊OBで、7月に政界を引退した田村秀昭・元参院議員(75)=国民新党=が、防衛専門商社「山田洋行」(東京)の経営陣に対し、引退後に同社顧問として採用するよう働きかけていたことが、関係者の話で分かった。田村氏は専用ハイヤーや秘書など、役員待遇を要求したという。
同社をめぐっては、昨年6月に退職した宮崎元伸元専務(69)が、守屋武昌・前防衛事務次官(63)を200回以上ゴルフ接待し、頻繁に飲食接待を重ねたことも判明。防衛専門商社と防衛族議員との癒着ぶりがあらためて浮き彫りになった。
田村氏は防衛大1期生で1989年1月、航空自衛隊幹部学校長(空将)を退官。同年7月の参院選で自民党から出馬し初当選した。新進党や民主党などを経て今年7月に3期で引退した。現在も国民新党の副代表を務めている。
関係者によると、自民党元副総裁で防衛庁長官も務めた金丸信氏(故人)が、田村氏の政界転出を強く後押ししたとされる。山田洋行は当時、他の防衛メーカーとともに田村氏の選挙資金を負担したという。
田村氏が政界引退後の顧問就任を働き掛けた当時、山田洋行は、宮崎元専務が設立した防衛専門商社「日本ミライズ」(東京)との間で、航空自衛隊次期輸送機(CX)の代理店契約をめぐり激しい商権争いを展開。このため、山田洋行側は田村氏を受け入れる余裕がなく、事実上断ったという。
山田洋行は、10年ほど前、民主党の東祥三・元衆院議員(56)も同社顧問として採用。自衛隊の将官クラスを含む旧防衛庁幹部OBの天下りを受け入れていたことも判明している。OBは主に顧問として採用され、年収は700万?800万円だった。
田村氏側は2日、本紙に対し「取材には一切応じられない」と述べた。(中日新聞)
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