マルクスが『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』で、フランスの農民について次のように書いている。
ナポレオンの王政復古に絶望するとき、フランスの農民は自分の分割地にたいする信仰を捨てる。この分割地のうえに建てられた国家構築物全体が崩壊し、プロレタリア革命は合唱隊を受け取る。この合唱隊のいないプロレタリア革命の独唱は、あらゆる農民国で弔いの歌となるであろう。(『マルクス・エンゲルス全集』第8巻、200ページ)
この部分は、マルクスが、プロレタリアートと農民との階級的な同盟(いわゆる「労農同盟」)の必要を最初に指摘した箇所として有名なのだが、しかし、1852年にニューヨークで発行された初版にあったこの箇所を、1869年にドイツで第2版が出版されるとき、マルクスは削除している。マルクスは、第2版の出版に当たって、「誤植を訂正し、いまではもう通じなくなった暗示をけずるだけにとどめた」と第2版の序文で書いている(同前、543ページ)。事実、「合唱隊」とか「独唱」「弔いの歌」など、暗示めいた文章ではあるが、しかし、プロレタリアートと農民の同盟という問題は、その後もマルクス、エンゲルスが追究し続けた課題で、なぜ削除されたのか解せないところが残る。
そう思っていたときに、『フランスにおける階級闘争』を読んでいて、そこにも農民階級を指して「合唱隊」と呼んでいることを発見したのは、前にもここに書いた。
12月10日は、農民のクーデターであり、それは現存の政府を倒した。そして彼らがフランスから1つの政府を奪いとって、1つの政府を与えたこの日以後、彼らの目はじっとパリに向けられていた。一瞬間農民は革命劇の主役となったからには、もう以前のように、合唱隊の、行動も意志もない役に押しもどされはしなかった。(全集第7巻41ページ下段?42ページ上段)
ここでは、「合唱隊」というのは、「行動も意志もない役」、他の階級の後ろを着いていくだけの存在という否定的な意味で使われている。もし「合唱隊」(ドイツ語では das Chor )という言葉の使用に、そうした否定的・非主体的なニュアンスがあるとしたら、マルクスが『ブリュメール18日』の再版にあたって、そうした表現を削った理由になるのではないだろうか。そう思って、他に「合唱隊」 das Chor の用法はないか、調べてみた。