1月刊の中公新書、脇田修・脇田晴子ご夫婦による『物語 京都の歴史』。戦国時代までを奥様の脇田晴子氏が、近世以降を修先生が書かれています。
本書の特徴の1つは、平安遷都からではなく、原始・古代の京都から始まっているところ。そして、最後は駆け足になっていますが、明治維新から戦前・戦後の京都まで、エピソード満載。文字通り京都の歴史が一望できる、という仕組みになっています。
そのなかでも、やっぱり平安時代から中世、戦国までの部分がもっとも充実しています。晴子氏が、能楽の話なども織り込みながら、中央政界をめぐる貴族の動きから、庶民の暮らしまで、多彩に描かれています。
修先生には、部落問題研究所の集まりなどでお世話になりましたが、太閤検地=封建「革命」説が圧倒的な日本近世史研究のなかにあって、太閤検地=封建反動・再編説をとられる修氏の立場は独特。
同時に、修氏は、たとえば「近世封建制の成立」(『講座日本史』4、1970年、東大出版)などで、「織田政権は本領地を認め、在地性を払拭しなかったため、兵農分離は前段階でとどまっていた」「その点で、豊臣政権との間に決定的な差があった」(26〜27ページ)と指摘されているように、織田政権を中世最後の政権と見 ((ちなみに、修氏には『織田信長 中世最後の覇者』(中公新書、1987年)という著作もあります。))、豊臣政権を最初の近世権力と見ておられます ((この点では、太閤検地に画期を置く佐々木潤之介先生と共通しています。))。
しかし、本書では、「織豊政権の検地による農民支配の本質は、まぎれもない領主反動」(同、39ページ)、「織豊政権の諸政策に触れてきたが、その特色は、中央権力によるいちじるしい権力集中であった。兵農分離・検地・改易転封・統一軍役等々、近世封建制の構造を規定するところのものは、いずれも中央権力による集権化の展開を示すもの」(同、52ページ)というふうに、織豊政権を一括する見地も述べられていて、同じ封建反動、同じ中央権力による集権化の中で、なにゆえ織田政権と豊臣政権の間に決定的な差を引きうるのか、私にはよく理解できませんでした。
【書誌情報】
書名:物語 京都の歴史―花の都の二千年/著者:脇田修・脇田晴子/出版社:中央公論新社(中公新書1928)/刊行:2008年1月25日/定価:本体940円+税/ISBN978-4-12-101928-8