さて、今日の防衛省…ですが、もうボロボロ。読売新聞の報道によれば、事故直後の航海長の事情聴取で、レーダーでは清徳丸を探知していなかったことを認めていた! ところが、そのあとで防衛省が発表したのは、「2分前に発見」という情報だけで、「レーダーでは探知していなかった」ことは伏せられていた。
一般論においても、個別論においても、こういうものを「情報隠蔽」というのだということを申し上げなければならないと思います。(←石破大臣風に読め)
大臣室、謎の1時間 防衛相・次官、説明食い違い(朝日新聞)
「清徳丸」をレーダー探知せず…イージス艦航海長が供述(読売新聞)
大臣室、謎の1時間 防衛相・次官、説明食い違い
[asahi.com 2008年02月29日15時18分]海上自衛隊のイージス艦「あたご」と漁船清徳丸の衝突事故の発生当日、石破防衛相自らあたごの航海長から1時間にわたって事情を聴いた際、一体何が語られたのか。発生間もない混乱状態の当日、防衛省側が公表したのは、「衝突2分前に右前方に緑の灯火」といった断片的な情報だけ。不確かな情報が独り歩きし、その後の混乱を招く一因ともなった。国会や記者会見での石破氏と増田好平事務次官の説明も微妙に食い違っている。
石破氏や防衛省の説明では、航海長の聴取が行われたのは事故発生から8時間後の19日正午から。東京・市谷の防衛省11階にある大臣室に、国会から急きょ戻った石破氏のほかに増田次官、斎藤隆統合幕僚長や海上幕僚監部の幹部ら10人以上が顔をそろえた。航海長の3佐は手書きのメモを手に、緊張した様子だったという。
これに先立ち、午前10時から海幕幹部3人が約1時間、航海長から事故状況を聞き取っていた。
「海幕で(航海長から)聞き取り、報告は海幕幹部からあった」(石破氏)
「航海長がずっと話をしていた。海幕でのヒアリング内容は(大臣室で)報告されなかった」(増田次官)。両者の話は食い違いを見せる。共通するのは、同夕に石破氏が自民党合同部会で、初めて明らかにした「衝突の2分前に緑色の灯火に気づいた」ことを、2回の聴取で知った点だ。
だが、同夜の会見で、自民党合同部会の内容を問われた海幕防衛部長は「2分前の緑色は漁船かどうかわからない」と強調。清徳丸はあたごから見て右から左に進んでおり、右舷にある緑灯が見えるのは不自然だったからだ。
捜査の初期段階での供述は、ほかの供述や物証と照らし合わせると矛盾点も少なくない。「発生直後で流動的だった情報が、外部に出ることで既成事実化し、防衛省が引きずられたのでは」とみる防衛省関係者もいる。
実際は19日、あたごに乗り込んだ護衛艦隊幕僚長が乗組員から状況を聞き取り、午後4時18分に海幕に「最初の確認は(衝突2分前である)午前4時5分より前」とファクス送信。夜には石破氏もこの情報を把握した。海幕があたごに戻った航海長らに電話で再度聴取した末、翌20日午前8時半、「12分前に灯火を視認」の報告を受けた、としている。
石破氏は28日の参院外交防衛委員会で、「12分前」などの話は航海長からの聴取では「出て参りませんでした」と答弁した。
だが、航海長は3時55分ごろに交代する前の当直責任者。航海長が当直だった時間帯について尋ねなかったのかと質問された石破氏は、「これだけですか、と聞いた記憶はあるが、詳細をギリギリ聞かなかった」と答弁した。
航海長からの聴取内容は文書にまとめられ、19日午後3時59分に、同省運用企画局長が海上保安庁の警備救難部管理課長あてに、ファクスした。
増田次官は27日夜の会見で議事録の存在を否定。28日に大臣室での聞き取りのメモの存在を認めたが、内容は「捜査に影響を与える部分は控えさせていただく」と、公表していない。
「清徳丸」をレーダー探知せず…イージス艦航海長が供述
[2008年2月29日14時37分 読売新聞]海上自衛隊のイージス艦「あたご」と漁船「清徳丸」の衝突事故で、防衛省が事故発生当日の19日に事情聴取したあたごの航海長(交代前の当直士官)の供述内容が、関係者の話で明らかになった。
航海長は、「清徳丸とは別の漁船を数キロ先でレーダーで探知したが、清徳丸については探知していなかった」などと説明したという。レーダー員が清徳丸を見落としたことが、事故の一因になった可能性が強まり、第3管区海上保安本部(3管)が乗組員らに詳しく事情を聞いている。
航海長は事故当日、あたごからヘリコプターで防衛省に呼び戻され、海上幕僚監部の幹部や石破防衛相らに事故の状況を説明した。
その際の航海長の説明によると、あたごの艦橋内では、数キロ先の前方右手に清徳丸とは別の漁船1隻をレーダーで探知。その後、見張り員らが前方2キロ付近で目視し、衝突発生2分前の19日午前4時5分ごろ、前方1・5キロ付近で右から左に横切ったという。この漁船は、僚船の「幸運丸」とみられる。
これとほぼ同じころ、見張り員は右側に「緑色の光」を視認。航海長はこの光について、「これが清徳丸で、操舵(そうだ)室内に何かの光を見た」と話したという。この光は、清徳丸の舷灯ではなかったことになる。
聴取内容は海上保安庁にファクスで送られたことが判明しているが、断片的な情報が多く、3管では、当時の当直員らからさらに詳しく事情を聞いている。
↓これが19日の夜の段階での防衛省の発表。
イージス艦事故:レーダー担当の異変認識は不明 防衛部長(毎日新聞)
イージス艦事故:レーダー担当の異変認識は不明 防衛部長
[毎日新聞 2008年2月20日 1時32分 (最終更新時間 2月20日 2時01分)]19日午後11時から会見した河野克俊・海上幕僚監部防衛部長によると、「あたご」は「清徳丸」の緑色の明かりに気づく前まで、約10ノットで航行していた。
通常の航行速度の28ノットで航行した場合、全力の後進をかけて停止するまでの距離は約800メートル。今回の10ノットであれば数百メートルで止まるとみられる。
河野部長は、「(緑の明かりが)船の右舷灯だったのか、計器類などの明かりだったのかは不明」と、断定を避けた。船の左右の舷灯は2マイル(約3700メートル)、マスト灯は5マイル(約9300メートル)先でも見える程度の明るさと定められており、目視で十分避けられる距離とみられている。
また、目視担当が異変に気づけば水上レーダーの担当と情報交換するのが通例だが、河野部長は「今回、レーダー担当が(異変を)認識していたかどうかの情報はない」と話した。