もうすでに1週間以上たってしまいましたが、2月26日に、杉並公会堂で開かれた小林多喜二没後75年の多喜二祭に行ってきました。
第1部は、俳優の鈴木瑞穂さんが「蟹工船」の最後のところを朗読し、ピアニスト村上弦一郎氏がショパンの「革命」「英雄」などを演奏しました。多喜二没後75年の記念の集いで、マルクスらと同じ時代に生きたショパンの「革命」を聞くというのは、なかなか趣のあるものでした。
第2部では、共産党の不破哲三氏が「時代に挑戦した5年間」と題して、記念講演。小林多喜二が本格的にプロレタリア小説を書き始めたのは、1928年の『一九二八年三月十五日』から。それから逮捕され虐殺されるまでは、実はわずか5年間しかなかったのです。
しかし、その5年間に多喜二は大きな飛躍をとげたと、不破さんは紹介したあと、満州侵略戦争が始まった1931年後半以降、実は多喜二は大長編を書こうとしていたが、はたしてそれはどんな小説だったのか、その大きな“謎”にせまります。ここではその種明かしを紹介することはできませんが、東京での活動で体を壊し北海道にもどってきた青年が主人公の「沼尻村」、「私」の視点から語られる「党生活者」、そして最後にようやく党とのつながりを回復する「地区の人々」――これらの作品を1つにつなげた不破さんの“謎解き”は見事。僕の周りのお客さんたちも、みなさん、うんうんとうなずいていました。
多喜二が構想したのは、たんなる1つの事件や運動を描くのではなく、戦時体制の強まる日本社会の姿を全体として描きながら、そのなかで、さまざまな苦難とたたかい、曲折を経ながら運動が発展していく様子、そして登場人物たちもその中で成長し発展していく――そんな大長編だったというのです。
僕が初めて多喜二の小説を読んだのは、社会科学に目覚めた高校生のころでした。多喜二の刻みつけるような文章の強い印象が残りましたが、弾圧のすさまじさや活動の厳しさが先にたって、それからあと、多喜二を読み返すことはありませんでした。立派な作品かもしれないが“暗い”イメージで敬遠してきた、というのが正直な気持ちです。
しかし、この日の不破さんの講演で、そうした僕の多喜二像はすっかり変わりました。講演までに小林多喜二の小説を読み返そうという計画は、結局、「不在地主」に到達したところで時間切れになってしまいましたが、あらためて最後の作品までぜひ読み通したいと思いました。