昨日は、都響の定期演奏会。いつもはサントリーホールのBシリーズですが、3年間常任指揮者を務めたデプリースト氏が、いよいよ今月で任期満了。ということで、今月はAシリーズも聴いてきました。デプリーストのショスタコーヴィチも、いよいよ聴き納めです。
- ハイドン:交響曲第44番 ホ短調 「悲しみ」 Hob.I-44
- モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番 イ長調 K.488
- 休憩
- ショスタコーヴィチ:交響曲第12番 ニ短調 「1917年」 op.112
それにしても、このプログラム。ハイドンからショスタコーヴィチまでとは…。
前半2曲は、12-10-8-6-4の小振りな編成。ハイドンは滅多に聴かない作曲家ですが、交響曲「悲しみ」は、なかなかロマン主義的な――もっと分かりやすく言えば、モーツァルトちっくな作品でした。それにたいして、モーツァルトのピアノ・コンチェルト23番は、「モーツァルトの作品の中でもとくに美しいメロディーにあふれ」(プログラム・ノーツ)ているということですが、ハイドンほどの変化もなく、つい寝こけてしまいました。(^_^;)
さて、後半。お目当てのショスタコ12番。金管の迫力がいまいちだったこともあって、いわゆるショスタコーヴィチらしい諧謔さには欠けるものの、弦が厚みのある音を響かせ、作品の重厚さが伝わってくる演奏でした。楽章の間をおかずに演奏することになっていますが、デプリーストは、指揮棒をかざし直すわずかな休止もおかずに、次々と楽章をすすんでいったのも印象的でした。しかし、だからといって中だるみにはならず、緊張感を持続させ、最後は長〜〜〜いエンディングを見事に盛り上げてくれました。
これまで、デプリーストのショスタコーヴィチは、1番、5番、8番と聴いてきましたが、その特徴は、今月の『月刊都響』で松本學氏が書かれているとおり、「この作曲家らしいシニカルさが前面に出された演奏とは言い難いものの、均整の取れた古典的な造形ははやり特別な才能を感じさせる」というもの。この日の演奏も、そのまま当てはまる評だと思います。したがって、好みは分かれるでしょう。僕も、自分の好みから言えば、もう少し、冷たく硬い感じがほしかったというのが正直なところですが、ショスタコーヴィチがどんな思いを込めたかというところに深入りせず、作品を作品としてしっかり聴かせる、というのは、それはそれで大事な考え方だと思います。
それにしても、常任指揮者に迎えた時は、都響も「ショスタコーヴィチ・チクルス」と言っていたのに、結局、交響曲は4曲でお終い。4番や11番、13番?15番など、デプリーストがどんなふうに振るのか、聴いてみたかったのですが…。残念。
【演奏会情報】
指揮:ジェイムズ・デプリースト/ピアノ:児玉桃/ソロ・コンサートマスター:矢部達哉/会場:東京文化会館/開演:2008年3月17日 午後7時
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