山口県光市での母子殺害事件の差し戻し高裁判決で、被告に死刑の判決。
僕は、制度としての死刑には反対だが、もちろん、死刑を廃止しさえすれば問題が解決するとは思っていない。それは別にして、「毎日」4/23付に載った佐木隆三氏のコメントはポイントを突いていたと思う。
他方、被害者の夫・父親である本村洋氏が、記者会見で「遺族としては当然、応報感情を満たされた」と言いながら、被告が死刑となることについて「社会にとって不利益なこと」と述べ、「どうすればこういう死刑という残虐な、残酷な判決を下さない社会ができるのか」考える必要があると指摘していることは注目される。
この間、各種メディアはひどい事件が起こるたびに被告の「感情」にべったりよりかかる報道を繰り返してきた。しかし、法律は「遺族の応報感情」のためにあるわけではない。そのことを何人も揺るがせることは出来ないと言うことだろう。
光母子殺害:【本村洋さん会見詳細】<1>「裁判所の見解は極めて真っ当」(毎日新聞)
光母子殺害:【本村洋さん会見詳細】<1>「裁判所の見解は極めて真っ当」
[毎日.jp 2008年4月22日]山口県光市で99年4月、母子を殺害したとして殺人と強姦(ごうかん)致死罪などに問われた当時18歳の元少年(27)に対する差し戻し控訴審で、広島高裁は22日、元少年に死刑判決を言い渡した。遺族の本村洋さん(32)は判決を受けて会見した。会見の詳細は次の通り。
――今の心境を。
本村 これまで9年の歳月がかかってきましたけど、遺族が求めてきた死刑判決が下ったことに関しまして、判決を下して下さった広島高裁には感謝しております。今回の裁判の判決の内容を全部聞いておりましたけど、裁判所の見解は極めて真っ当だと思いますし、正しい判決が下されたと思います。被害者遺族は司法に感謝して、被告人はおのれの犯した罪を後悔して、社会が正義を再認識し、司法が威厳を保つことで、民主主義、法治国家は維持されると思いますので、そういった判決が出たことを心から感謝しております。
――5月11日の夕夏ちゃんの誕生日にお墓参りをされるとお話しされていたが、予定通りお墓参りをされるのか? また墓前にはどんな言葉を。
本村 できれば早く墓前に報告してあげたいと思いますので、5月11日の娘の誕生日を待つ前にお墓の前に行く時間があれば行きたいと思っています。墓前にかける言葉っていうのは、まだ自分の気持ちも整理できていないので、まだありませんが、ただ一つのけじめがついたことは間違いないと思っているので、この判決の内容については報告してあげたいと思います。
――常に葛藤し続けてきたという思いを述べられていましたが、今の気持ちを。
本村 決して喜ばしいことではないと思っています。厳粛な気持ちでこの裁判所の判決を受け止めています。遺族としては当然、応報感情を満たされたわけですから、報われる思いはありますが、社会にとってみれば、私の妻と娘、そして被告人の3人の命が奪われる結果となったわけです。これは社会にとって不利益なことです。
私はこの事件にあってからいろいろ考えておりますけれど、やはり刑法っていうものは社会秩序を維持するための目的を達するための手段だと思っています。死刑という大変重い判断が下されましたが、これで終わるのではなくて、私たち遺族もこの重い判決を受けて真っ当に生きていかなければいけないと思いますし、社会のみなさまにも、どうすれば犯罪の被害者も加害者も生まない社会を作るのか、どうすればこういう死刑という残虐な、残酷な判決を下さない社会ができるのかを考える契機にならなければ、私の妻と娘も、そして被告人も犬死だと思っています。死刑の存廃等の問題が騒がれるようになるかもしれませんけど、刑罰はどうすれば私たちが安全な環境を作れるかということを考える契機にならなくてはいけないと思いますので、そういった方に社会が向いていくことを望みます。
佐木隆三氏のコメントはインターネットには流されていないので、紹介しておく。
判決を傍聴して――作家 佐木隆三さん寄稿
[「毎日新聞」2008年4月23日付朝刊]最高裁が広島高裁へ差し戻したのは、「死刑を回避するに足りるとくに酌量すべき事情があるかどうかにつき、更に慎重な心理を尽くさせるため」であった。そうであればこそ4審で、6回にわたる被告人質問がおこなわれ、延べ17時間にも及んだ。
しかし、「弁護団と合作」の新主張は、「死刑を回避するための虚偽の弁明」と退けられた。被告人は死姦について、山田風太郎の小説「魔界転生」に死んだ女性に精液を注入すれば生き返るとあったからと述べた。
これに対して判決は、小説では「瀕死の状態にある男性が、女性と性交することにより、その女性の胎内に生まれ変わり、この世に出る」内容であると説明した。裁判所が小説のストーリーに言及するようなことは、きわめて珍しい。
今にして思えば左陪席裁判官が、「そのあと胸の鼓動とか脈拍を確かめたか」と念を押し、被告人は「わかりません」と答えた。私は馬脚をあらわしたと受け止めたが、やはり裁判所は重視していたのである。
それにしても大弁護団は、いかなる展望があって、新主張をしたのだろうか。1・2・3審について「司法の懈怠」とまで総否定したのは、まさに“自爆”に等しい。新主張の柱だった法医学鑑定も、ことごとく否定されている。
わたしは情状面について、弁護側が踏み込んだ弁論をすべきだったと思う。その上で被告人が、「生きて償いたい」と心の底から湧いてくる言葉を明かすべきだった。
被告人の斜め後ろから、その横顔を見つめていた。まばたきを繰り返しながら、真っ直ぐ正面を向いて、かつてない真剣な態度だった。そうして主文が言い渡されると、裁判官席にきちんとお辞儀し、退廷するとき配属に頭を下げた。
その姿を見て、私の胸は痛んだ。もっと早くこういう態度をとっていれば、異なる展開になったかもしれないものをと、悔やまれてならない。
いろいろ話題になった新弁護団の弁論だけれども、やはり最高裁が「死刑を回避するに足りる特に酌量すべき事情があるかどうか」について審理を尽くすように求めたのだから、差し戻し裁判での弁論はその点を中心におこなわれるべきだったのではないだろうか。その点を指摘したコメントが少なかったので、佐木隆三氏の指摘はなるほどと思われた。