アントニオ・ネグリの『マルチチュード』上(NHKブックス、2005年)をつらつら ((「〔今まで、よくは考えなかった事の真意義や、見過ごして来た事どもを〕改めて考えたり、見つめたりして、真の価値は、どこに在るかについて認識を新たにすることを表わす。」(三省堂『新明解 国語辞典』第4版)))読んでみた。『〈帝国〉』が情勢論だとしたら、『マルチチュード』はネグリの革命論。彼の議論には、「議会の多数を得ての革命」という立場がまったくない。
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アントニオ・ネグリの『マルチチュード』上(NHKブックス、2005年)をつらつら ((「〔今まで、よくは考えなかった事の真意義や、見過ごして来た事どもを〕改めて考えたり、見つめたりして、真の価値は、どこに在るかについて認識を新たにすることを表わす。」(三省堂『新明解 国語辞典』第4版)))読んでみた。『〈帝国〉』が情勢論だとしたら、『マルチチュード』はネグリの革命論。彼の議論には、「議会の多数を得ての革命」という立場がまったくない。
アメリカ政府解禁公文書によって、1959年3月、砂川事件の裁判で、東京地裁が「日米安保条約にもとづく米軍の駐留は憲法9条違反」として、全員無罪の判決を下した直後に、米政府が、日本政府だけでなく、日本の司法にも露骨に介入していたことが明らかに。
マッカーサー駐日米大使は、判決翌日に藤山外相に会い、高裁をとばして最高裁への跳躍上告するように進言。それにしたがって、検察が最高裁に上告すると、こんどは田中耕太郎・最高裁長官と密談。田中長官の発言どおり、数カ月後に、最高裁は、合憲判断による差し戻しを決定。この最高裁決定にしたがって、61年3月に、地裁で有罪の逆転判決が降りています。
また、我部さんが指摘しているとおり、東京地裁判決は、日米安保条約の改定交渉がちょうど山場を迎えた時期に出されたもの。だから、この判決の影響は、それだけさらに大きかったはずであり、日米支配層の衝撃も、いま想像するよりもずっと深刻だったに違いありません。
砂川裁判:米大使、最高裁長官と密談 1959年、1審「日米安保違憲」破棄判決前に(毎日新聞)
砂川裁判:密談文書 「司法の独立、どこへ」 元被告、怒りあらわ(毎日新聞)
「米軍違憲」破棄へ米圧力/59年の砂川裁判 一審判決直後 解禁文書で判明/駐日大使 最高裁長官と密談(しんぶん赤旗)
59年の砂川事件・伊達判決/米軍違憲判決後の米の圧力/最高裁にまで手をのばす/解説(しんぶん赤旗)