東京のFM放送局J-WAVEでも、『蟹工船』が取り上げられました。夜8時から放送されているJAM The WORLDという番組のなかのCASE FILEというコーナー(9時25分?30分放送)。今週の月曜日(26日)から3回連続で、女子美大の島村輝教授がインタビューに答えています。
1回目、2回目と聞き逃してしまって残念に思っていたのですが、ちゃんと番組のホームページに、その要旨が紹介されていました。
もしも、あなたが“蟹工船”を知らなかったら・・・
[J-WAVE JAM The WORLD 2008年5月26?28日放送]およそ80年前に出版された日本を代表するプロレタリア文学の名作『蟹工船』が、今、若者たちに支持され、異例の売れ行きをみせています。そこで、今週は「もしも、あなたが蟹工船を知らなかったら・・・」と題して詳しく紹介します。
月曜日の今日は「『蟹工船』とはどんな物語か?」です。女子美術大学芸術学部教授・島村輝さん
【第1回】『蟹工船』とはどんな物語か?
『蟹工船』はプロレタリア作家である小林多喜二の代表作です。
1929年、昭和4年に当時のプロレタリア文学運動の代表的雑誌であった『戦旗(せんき)』という雑誌に連載されたものでした。これは、北海、カムチャッカの海域で蟹の操業を工場と漁船が一体となった蟹工船と呼ばれる船でのお話です。この漁場には、当時の帝国海軍が出兵をしていまして、その援護のもとに操業をするという、そういう状態になっていました。この蟹工船、“博光丸”にたくさんの各地で鉱山の労働者、あるいは、学生を廃業してきたり、季節労働者をやってきたり、こういった人たちが雇われて、そして「国家のための産業だ」という名目のもとに働かされるわけなのだが、非常に過酷な労働をそこで強いられるわけです。命さえも奪われてしまう、そんなような状況の中で、当初はてんでんばらばらに組織性を持たなかった労働者達が次第に、あまりにも過酷な労働のため団結をしていく。そして、最後には、漁夫のサボタージュをきっかけにしてストライキに入るわけです。一旦は、監督たちを窮地に追い込んで成功するかに見えたこのストだったんですけれども、経営者側の通報によって、駆けつけてきた海軍の駆逐艦、そこから乗り込んできた水兵たちによって、いとも簡単に制圧をされてしまう。当初駆逐艦がやってきた時には「俺たち助かった」と涙を流して喜んだ労働者達は、この一件を通じて権力というものの構図を学び、やがて再び戦いに立ちあがって行くと、そういった内容の小説になっています。1929年にこの小説が出た時にヒットしたというのは、もちろん労働者の厳しさというのもあるのですが、小説自体が持っている表現の凄み、それまでの日本の文学が書いたことのないような表現というものを多喜二が実現したということで、文壇、いわゆる文学者たちの間の評価も非常に高かったわけですね。いきなり「おい、地獄さいくんだで」って始まっちゃう。それで、そこには、例えば「かたつむりが背伸びをしたように海を抱え込んでいる町」だとか、「南京虫のように船と船の間をせわしく縫っている」なんてちょっともう普通じゃないような比喩の表現がいっぱいあって、それから匂いとか音とかを感覚的なものをフル動員させるような表現があって、さらに映画仕立てでシーンが展開していく、そんな構成になっている…。時代を先取りした新しさ、今日までに通じる新しさ、全く時代に先駆けた表現というのを与えた作品だったと思います。
この『蟹工船』は、発売後すぐに出版禁止になりました。小説の中に、船で作る献上品の缶詰の中に石ころを入れておけという表現があり、これが当時、天皇制に対する不敬罪に当たると言われたためです。しかし、『蟹工船』は、独自のルートで多くの人の手に渡り、発売後半年で、異例の3万5000部を売り上げたということです。
【第2回】小林多喜二とはどんな人だったのか?
多喜二は1903年に秋田で生まれました。
その後、北海道の小樽に一家で移住、引っ越しをしていったという一家なんですね。
彼はおじさんの家であるパン屋さんで、そこの手伝いをしながら援助を受けて高等商業学校を卒業しまして、そして北海道拓殖銀行という北海道のビジネスを担う金融機関に幹部職員の候補職員として入社しました。
そういう中で彼は中学生高校生の頃から文学に目覚めまして、学生時代から同人雑誌を作ったり、そしてさまざまな文学活動を行っていました。で、彼が銀行に就職した頃、北海道、この小樽の近辺では、小作争議や労働争議というのが盛んにあり、で、彼は銀行員としてそういう争議を裏側から見ることになります。
その中で当時盛んであったプロレタリア解放の思想に触れて行き、マルクス主義を勉強するという中で、この蟹工船、あるいはその直前に書かれました初めての普通選挙の後の弾圧を描いた『1928年3月15日』という作品、こういった作品でプロレタリア作家としてブレイクしていきます。多喜二はプロレタリア文学の代表者ですから、まじめ一方の人というふうに思われがちだが、彼は、小樽で銀行員をしていたころは、非常に映画が大好きで、洋画、邦画を問わず必ずそれを見ては批評を書いています。そしてカフェに行って友達と遅くまでお酒を飲んでいる…とにかく彼が来るとその場がパッと周りが明るくなるような、そういう一種のオーラを放つようなキャラクターでした。
で、その後、プロレタリア文学を代表する小説家になっていきます。やがて、地下活動に移って最後は1933年、30歳になる前に最後は当時の特高警察という思想取り締まりの警察に逮捕されて、そしてその日のうちに留置所で拷問されて亡くなるという、そういう生涯をたどることになった人です。【第3回】蟹工船はなぜ今、ヒットしているのか?
底流にある反貧困、反格差社会というものへの共感とそこからなんとか一歩抜け出したい、希望を見出したいという望みが今、多くの人に読まれる状況というのを作り出していると思います。今日では政府自体がワーキングプアの人たち、ネットカフェ難民の実態を調査して、報告しなければならない、つまり、隠せない時代になったということ。そのことが、特に今この小説のリアリティを世間に対して与えている要因ではないかなと思います。
蟹工船の場合はひどい暴力を振るわれると、病気になっても治療してもらえないとか、あるいは、体の具合が悪くて休んでいるとさぼっていると言われ、ぶん殴られる状況が一つあります。今のワーキングプアと言われている人たち、不安定な雇用の中で生活している人たちも直接にぶん殴られるということは、今の世の中だからそうはないかもしれませんが、酷い言葉の暴力、パワーハラスメント、特に女性の場合は、セクハラも含めたいろんな嫌がらせ、そういうものの中で、消耗しています。なので、この酷い労働状況は自分たちにそっくりだ、自分たちの方がもっとひどいかもしれないという共感は多くの人がすると思います。
ただ、『蟹工船』の場合は、それだけでは終わらずに最後にストライキで立ちあがり、一回つぶされても、もう一回立ち上がる。ここは今、現実に立ちあがれる人は少ないと思います。でも、そういう中で、細々ながらも、かなり目に立った形でワーキングプアの人たちの個人で入れる組合や非正規雇用者の人たちと一緒に加入すると交渉に行く組合の活動が表に出てきています。これは、まだまだ小さい活動だと思いますし、『蟹工船』を読んだ人たちがみんなそう思い立ち上がれば、世の中は変わってしまいますし、そうはなかなかいきません。しかし、今までは全くどこに手をつけたらいいのか分からなかった状態の人たちも、仲間がいる、その力を頼ってそこから、なんとか抜け出したいというその足掛かりへの希望みたいなものをこの『蟹工船』から得ているのではないかと思います。
(※引用にあたり、明白な誤字は訂正しました。)
キャスターの女性(八塩圭子さん)は、「私も、内容は習ったかなと思いますが、ちゃんと読んだことがない」「80年前の小説で、労働者の話っていわれて、読みたいと思いますか?」と率直な感想を語っていましたが、同時に、「労働環境について、前向きな話だけではすまない。ひどい状態から抜け出して、何とかにして普通の状態になりたい、そういう時代なんだということにショックを受けました」「(新潮文庫の『蟹工船』が)昭和28年に出版されて、97刷を数えているということは、普遍的な作品であることは間違いありません」と結んでいました。
ところで、『蟹工船』といえば、こんな記事が、昨日の読売新聞に出ていました。
【永田町フィールドノート】「蟹工船」ブームだけど…
[読売新聞 2008年5月27日付朝刊4面]衆院内の文研堂書店が26日、小林多喜二著『蟹工船・党生活者』(新潮文庫)を目立つように並べる平積み販売を始めた。
過酷な労働現場を描いた昭和初期の作品が、働いても生活費を賄えない「ワーキングプア」の若者らを中心にブームを呼び、「この3か月間で14万部超増刷、例年の約10倍の勢い」(同文庫編集部)で売れている。
(中略)
ただ、26日は、8冊置いて売れたのは1冊。参院内の五車堂書房は「この数年は注文がないため、扱っていない」という。
政府の労働政策を批判する民主党の若手も、「共産主義を目指す『蟹工船』を読んだことはないし、読むつもりもない」と、ブームとは程遠い反応だった。
『蟹工船』を共産主義の宣伝だと言い切る発想も貧困ですが、それよりも、“いまの若者たちが、なぜ『蟹工船』に共感するんだろうか”という興味さえ示さないというのが情けないですね。自民党と競って雇用の「規制緩和」をすすめてきた民主党の正体が現われた、というところでしょうか。
ちなみに、今日見たところでは、紀伊國屋書店新宿南店では、文庫本売り上げ第1位になっていました。(^_^)v
上記J?WAVEのJAM The World出演者です。ご紹介ありがとうございました。
取材にこられた記者さんは若い女性でしたが、よく勉強されており、適確なインタビューでぼくの解説を上手に引き出してくれました。書店で最初に「蟹工船」に手書きpopをつけて販売をはじめたのも女性の店員さん、「感想エッセーコンテスト」のグランプリ、ネットカフェ部門の最高賞も女性。この現象の底流にあるものも考えてみたいと思います。