『蟹工船』は名古屋や京都の書店でも売れているらしい。「中日新聞」6月5日付夕刊が、名古屋、三重、岐阜などの書店の動きを紹介している。
売り上げを伸ばしている小林多喜二の小説「蟹工船」=5日午前、名古屋市中村区の三省堂書店名古屋高島屋店で(「中日新聞」6月5日付夕刊)
東海でも「蟹工船」ブーム 低賃金で過酷労働する男たち描く(中日新聞)
「蟹工船」京都でもバカ売れ!(京都民報)
東海でも「蟹工船」ブーム 低賃金で過酷労働する男たち描く
[中日新聞 2008年6月5日 夕刊]◆ワーキングプアの若者ら共感
貧しい人々の過酷な労働と団結を描いたプロレタリア文学「蟹工船(かにこうせん)」がブームだ。没後75年の小林多喜二(1903?33年)の代表作で、東海地区でも火がつき、先週あたりから各店の売り上げ上位に登場。昭和初期の作品としては異例で、格差社会を背景に、“ワーキングプア”のリアルな闘争が若者をはじめ幅広い関心を集めているようだ。
「この1カ月で1000冊近く売れた。爆発的です」。三省堂書店名古屋高島屋店(名古屋市中村区)の担当者は新潮文庫「蟹工船・党生活者」の勢いに驚く。
北の海で低賃金の男たちが搾取に耐えながらカニ漁に従事し、階級闘争に目覚める名作。同店は「他店で人気が出ている」と意外な話を聞き、今年4月ごろ平積みを始めた。
テレビなどで本が紹介されて人気が高まり、先週は文庫本ランキングで堂々2位に。「購入者の3?4割が20代では」という。
新潮社編集部によると4?5月の2カ月で25万部余を増刷。例年の300倍のペースで、佐々木勉副部長は「正社員に比べ悪い待遇を強いられている若い人などの共感を得たのでは」と分析する。
先週は丸善名古屋栄店(名古屋市中区)でも売り上げ3位。他店も「人気作家の新刊並み」(岐阜市のカルコス本店)、「反響に驚いた」(三重県四日市市のシェトワ白揚書籍館)といい、品切れを心配する声もある。
東海地区は、有効求人倍率の水準は高い。しかし、派遣労働者らが参加する「名古屋ふれあいユニオン」の委員長、酒井徹さん(24)は、不安定な雇用状況を蟹工船に重ねる。
「同じ工場で正社員、派遣社員、日系ブラジル人、研修生が働き、しかも待遇が異なる。今や誰でも格差は身近な関心事で、幅広い層がブームを支えているのでは」という。
蟹工船では労働者が団結し、経営者側に立ち向かう。しかし、自身も派遣やホームレスの経験がある酒井さんはこうも指摘する。
「現代はむしろ団結が難しく、希望を見いだしにくい。だからこそ、蟹工船があこがれの対象になっているのではないか」【蟹工船】 荒れるオホーツク海で長期間、カニ漁をし船内で缶詰をつくる「蟹工船」。各地から集められた貧しい労働者が、不衛生な船内に住み込み、低賃金で死と隣り合わせの過酷な仕事に従事する。経営者側の意向をくむ現場の「監督」は、悪天候での危険な漁や無理な労働を強制。従うだけだった労働者らは、やがて力を合わせストライキを起こす。しかし、国民の味方と思っていた駆逐艦の水兵らが現れ、代表らは連行されてしまう。小林多喜二が、1929(昭和4)年に発表した。小林はプロレタリア作家として活躍したが、特高警察の拷問を受けて死亡した。
京都の様子は、こちら↓。しかし、「バカ売れ」の見出しは品がない。
「蟹工船」京都でもバカ売れ!
[京都民報 2008年06月04日 18:42]格差・貧困問題が深刻になる中、テレビや新聞でプロレタリア文学の代表作、小林多喜二の「蟹工船・党生活者」(新潮文庫)が紹介され、話題になっています。京都市内の書店でも異例の売れ行きを見せています。各書店の売れ行きを4日、聞いていきました。
京都市南区の「アバンティブックセンター京都」は、「蟹工船」約60冊を平積みで置いていました。文庫本の売り上げランキングは7位。
同店の店員の男性は、「ワーキングプアの本などといっしょに置いています。テレビで紹介されてた影響か、ここ1、2週間ですごく売り上げが伸びてますよ」と言います。
京都市下京区の「ジュンク堂書店京都店」では、「蟹工船」が見当たりません。店員に聞くと、今朝2冊あったものが午後には売り切れたとのこと。「すぐに入荷したいんですが、在庫が少ないのか、入ってこないんですよ」と嘆きます。
京都市下京区の「くまざわ書店 四条烏丸店」では、文庫本ランキング2位。同店の女性店員は「幅広い世代の方が買っていかれますね」と言います。
「これは現代だ―今の労働者にも共感が…」という大きなポップを作って紹介しているのは、下京区の「ブックファースト京都店」。1、2週間前から「蟹工船」コーナーを設置しています。同店の女性店員は「先週くらいから売れ行きが上っています。うちは若い人が半分くらい買っていきますね」と話します。
「大垣書店烏丸三条店」では、6月に入ってから大量に入荷。女性店員は「毎日4、5冊は売れていきます。テレビでも紹介されたり、ワーキングプアの問題が話題になっているからだと思います。先週のランキングには入りませんでしたが、来週には上位になると思いますよ」と話します。
岡本唐貴と小林多喜二 ブームの中で関係に注目/岡山(毎日新聞)
岡本唐貴と小林多喜二 ブームの中で関係に注目/岡山
[毎日新聞 2008年6月4日 地方版]◇倉敷出身の洋画家・岡本唐貴と小説「蟹工船」の小林多喜二
◇東京ではご近所同士、ともに生誕105年――多喜二のデスマスク描く日本のプロレタリア文学を代表する小林多喜二(1903?33)の小説「蟹工船(かにこうせん)」の文庫本(新潮社)が異例の大ヒットになっている(5月15日や同31日の本紙記事)。その背景には、ワーキングプア問題があるとも。ところで、岡山で多喜二といえば、やはり岡本唐貴(とうき)(1903?86)だ。倉敷市出身の洋画家で、「カムイ伝」などで知られる著名漫画家、白土三平氏の父親であり、多喜二のデスマスク(現在、北海道・市立小樽文学館蔵)を描いた人物だ。2人ともに生誕105年の今年、ブームの渦中?の多喜二と唐貴の関係に注目した。【小林一彦】
■前衛的芸術家
唐貴の故郷の倉敷市立美術館が01年に「尖端(せんたん)に立つ男・岡本唐貴とその時代・1920?45」を開催した。唐貴の戦前・戦中の作品を中心に、同時代の青年作家たちによる前衛的美術運動にスポットを当てていた。
唐貴は16歳の時に画家を目指して神戸に行き、さらに同年上京。神戸で出会った彫刻家の影響で前衛的美術運動に加わった。同展を見ると、唐貴の作風は短期間にめまぐるしく変化していた。20代前半は欧州発の美術潮流に敏感に反応してシュールレアリスムやキュービスム風のものがあったり、ダダイズム風であったり、今でいう舞台パフォーマンスもやった。
しかし、革命後の旧ソ連から同国の最新美術として印象派風作品が紹介されると、影響を受けて具象画に変わり、さらに社会主義思想に共感してプロレタリア芸術運動にのめり込んだ。労働争議を題材とし、当時の特高警察に検挙されて拷問を受けた。
プロレタリア芸術運動が弾圧され、戦時色が強くなると、セザンヌやゴッホなどの後期印象派を研究、戦時中に大変明るい色彩の風景画を描いた。また、戦後は松川事件や三鷹事件などの被告らを支援し、絵手紙で交流した。
唐貴が人生を振り返り、記憶している情景を描いたり、記述した「岡本唐貴自伝的回想画集」(83年)によると、多喜二とは、運動の同志というだけでなく、東京・杉並で狭い路地を挟んで住んでいた時期があり、多喜二の母親から北海道産ジャガイモを分けてもらうこともあったという。
多喜二の弟がバイオリンの練習をすることがあり、その音が聞こえてきた。多喜二は「(弟の)上達をたのしみにしていた」。また、唐貴がストライキをテーマにした作品を制作していた時、多喜二は「時々見に来て何かと気のついたことを指示」したことも。
多喜二が東京・築地署で拷問を受けて死んだ時は、唐貴が住んでいた東京・目黒に知人が「多喜二が殺された。遺体は自宅に帰った」と知らせ、すぐにデスマスクを描くため多喜二宅に行ってイーゼルを立てた。多くの作家や演劇人の同志が集まる中、約3時間で10号キャンバスに写生した。その場に唐貴夫妻と交流のあった若い女性が訪れ、さめざめ泣いているのを見て、多喜二がつきあっていた女性が彼女だったと気付いたエピソードも記している。また、「多喜二虐殺」を知らせるチラシ「多喜二略傳(りゃくでん)」に印刷された多喜二の肖像も手がけ、その原画が倉敷市立美術館に唐貴の遺族から寄贈された資料から見つかったことは、2人の生誕100年の03年に本紙岡山面で紹介した。■ブームの次に来るものは
「蟹工船」(29年)では、カニを捕って缶詰に加工する船の過酷な労働に怒った労働者がストライキに立ち上がる。
先の本紙記事によると、今年1月に毎日新聞東京本社版の文化面に掲載された作家の高橋源一郎さんと雨宮処凛(かりん)さんの対談で、自らの体験を踏まえてワーキングプア問題で積極的に発言する雨宮さんが「今のフリーターと状況が似ている」「法律の網をくぐった船で、命が捨てられる」などと小説に触れ、高橋さんも「(船は)今でいう偽装請負」などと応じたのがブームのきっかけという。
元フリーターだったという東京・上野の書店員が、この対談をヒントに「この現状、もしや『蟹工船』じゃないか?」となどと書いたミニ広告を店頭に置き、文庫本を平積みにしたところ、それまで週1冊ペースの売れ行きが突然、数十冊になり、さらに他店にも広がって社会現象のようになった。
約80年前の小説に今の若い世代が共感している。多喜二の生誕100年・没後70年だった03年には無かった現象で、この5年でそれだけ問題が深刻化したことを反映している。労働現場で若者が使い捨てにされ、その次に何が来るか?
多喜二が拷問で死んだのは、「蟹工船」発表からたった4年後、30歳になる前だ。同時期に唐貴も拷問を受けた。権力が思想や言論、表現の自由を“堂々”と踏みつぶし、“尖端”の若者たちを犠牲にして戦争に突入した時代は、そんなに遠い過去ではない。2人の生誕105年で「蟹工船」ブームの今、その点も思い起こしておきたい。
こちら↓は、「Net-IB:九州企業特報」という福岡県の企業情報会社のホームページで紹介されていた記事。
共産党の志位和夫委員長の名前が「志井和男」になっていたりするが、ブームの根底には、「人間らしい労働が破壊されつつある現代の派遣労働が重ね合わされている」とか、「最近のサブプライムローン現象など、マルクスの予言は的中しつつあるようだ」など、内容はいたって真面目なもの。筆者は、北九州市にあるマネージメントの会社の経営者、公認会計士でもあるらしい。そういう方が、一方で階級闘争の時代は終わったと言われながら、「ルールなき資本主義」は批判・修正されるべきだし、大事なことは世界の困難な諸問題を変えていくことだと訴えておられるのが興味深い。
【連載】今、歴史から元気をもらおう(7)今、マルクスが(Net-IB:九州企業特報)
【連載】今、歴史から元気をもらおう(7)今、マルクスが
[Net-IB:九州企業特報 2008年06月02日 13:29 更新]日本共産党の志井和男委員長が、2月の国会で取り上げた派遣労働への質問が反響を呼んでいます。『(志井さん自身は)「反響が起こったのはうれしいけれど、非常に重い責任を感じます。解決まで一緒に戦わなければ」と語っていて浮かれたところは全くない。(5月21日、毎日新聞夕刊)』と報じられています。ワーキングプアに代表される当今の格差問題の中核に派遣労働があります。志井さんのブログには、「(質問は)よくやった」という意見のほかにも、「共産党の名前を変えたら支持する」という書き込みもあったそうです。しかし、伝統ある「共産党」の名はとても捨てられないでしょう。
1848年2月末、ロンドンでマルクスとエンゲルスが共著の形で「共産党宣言」を公刊しました。このとき「共産党」という名が初めて世に出ました。この本の前文に「ヨーロッパに幽霊がでるー共産主義という幽霊である」という有名な言葉があります。マルクスは「政府党は、自分より進歩的な反対党を「共産主義」と決め付けて罵っていた」と皮肉っています。かくて共産主義の幽霊物語に終止符を打たんとするマルクスの主導により、各国の共産主義者がロンドンに集まり「共産党宣言」を採択しました。その後の「共産主義」は、思想的には「マルクス主義」として展開されることになります。
最近、小林多喜二の「蟹工船」が若者を中心にブームを呼んでいるそうです。「蟹工船」は過酷な労働条件のもとで酷使される乗組員の悲劇を描いたプロレタリア文学の代表作ですが、小説のストーリーに、人間らしい労働が破壊されつつある現代の派遣労働が重ね合わされているのでしょうか。最近では欧米でもマルクスが見直され「共産党宣言」などもさかんに読まれているそうですが、その底辺には全世界的な社会格差問題があると思われます。「共産党宣言」の第一章の書き出しは「今日まであらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である。」となっています。マルクスはブルジョア階級とプロレタリア階級の階級闘争によって、最後はプロレタリア階級が勝利すると言っています。
現代では、ブルジョア階級は資本家であり、プロレタリアは労働者と言えるでしょう。マルクスは、資本家が利益を獲得するための仕組みが資本主義で、その際限なき利潤追求がやがて社会を破壊するだろうと予言しましたが、最近のサブプライムローン現象など、マルクスの予言は的中しつつあるようです。資本主義の行き着くところは自己責任を強く追及する市場原理主義ですが、それでは誰もが幸福になれる健全な社会は実現しないでしょう。「勝ちさえすれいい」という弱肉強食のルールは社会制度を破壊します。マルクスを俟つまでもなく、ルールなき資本主義は批判・修正されるべきです。資本主義にこそ倫理が必要なのです。
階級闘争理論を一貫して唱えたマルクスは、「共産党宣言」の最後で「万国のプロレタリア団結せよ!」とブルジョア階級とのあくなき闘争を呼びかけました。しかしながら、現代におけるブルジョアとプロレタリアの階級的対立は当時ほど尖鋭ではありません。庶民が株式投資などで資本市場に進出するようになると資本家と労働者の利害は一致します。また、中国ではすでに共産党の一党独裁となっていて制度的な階級は存在していません。これからの全人類的な課題は環境や飢餓・貧困などの困難な問題を解決し世界を変えていくことです。もはや階級闘争の時代は終わりを告げたと言ってよいでしょう。
しかし、世界を変えなければならないとして、革命運動に生涯を捧げたマルクスの情熱は現代にも生きています。ロンドン・ハイゲート墓地にあるマルクスの墓には、「哲学者は世界をいろいろな方法で解釈してきただけだ。大切なことは世界を変えることである」と刻まれています。小宮 徹
(株)オリオン会計社 http://www.orionnet.jp/
ところで、あの『正論』7月号でも、『蟹工船』を取り上げている、というので読んでみた(桑原聡「なぜ今『蟹工船』なのか 小林多喜二にすがる危うき現代社会」)。筆者は、「産経新聞」で『蟹工船』ブームの記事を書いた記者らしい。中味は、『蟹工船』ブームを引っ張ってきたのは日本共産党や左派だという、いかにも「産経」「正論」というもので、どうということはないのだが、その最後で、こんなふうに↓書いていたのだけはおもしろかった。
われわれは、殊に保守を自負する陣営は、左派が完全に時流に乗るよりも前にワーキングプアの実態を正確に把握したうえで、彼らを救済する方策を考え実行する時期にきている。多喜二没後75年の年に起こった『蟹工船』ブームを甘く見てはならない。政府与党と財界は本気で慌てるべきだ。(同誌、272ページ)
【追記】
と思っていたら、今日の「毎日新聞」夕刊で、中曽根康弘氏も、「ちまたでは小林多喜二のプロレタリア小説『蟹工船』がベストセラーになっている」と言われ、こんなふうに語っている。
特集ワイド:この国はどこへ行こうとしているのか 中曽根康弘さん(毎日新聞)
「ブームらしいね。フリーターなんかの境涯におる青年たちだろうね。全共闘みたいに反政府運動を起こす力はないが、心に時代や世の中に対する不満がうずまいておる。『蟹工船』を読むことで、仲間意識を持ち、癒されるかもしれないな。これは自民党も民主党もない、政治家は考えないといかんよ」
しかし、『蟹工船』に共感を覚える「境涯」の青年たちを生み出してきたのは、自民党だし、民主党もそれを一緒になっておしすすめてきた。政治家は、まずそれを考えないといかんよ。
ピンバック: 酒井徹の日々改善