マルクスの『1857-58年草稿』を読み始めてみることにします。もちろん、以前にも読んだことはありますが、今回は少しずつでもノートをとりながら読んでゆくことにします。テキストは、大月書店の『資本論草稿集』の<1>と<2>。
まずは、目次の整理。
『1857-58年草稿』の目次
バスティアとケアリ
バスティア『経済的調和』
A 序説
I 生産、消費、分配、交換。(流通。)
1 生産
α ここでの対象はまず物質的生産。
2 生産の分配、交換、消費にたいする一般的関係
a1 生産は直接にまた消費でもある。
b1 分配は、自立的な領域として、生産とならび、また生産の外に位置するものであろうか?
c1 最後に交換と流通
3 経済学の方法
※この終わりに「篇別区分は、明らかに次のようになされるべきである」として篇別構成が書かれている。
4 生産。生産諸手段と生産諸関係。生産諸関係と交易諸関係。生産諸関係と交易諸関係とにたいする関係での国家諸形態と意識諸形態。法律諸関係。家族諸関係II 貨幣にかんする章
アルフレド・ダリモン『銀行の改革について』
I
[貨幣の成立と本質]
[貨幣関係の担い手としての貴金属]
a 他の金属との関係における金と銀
b 種々の金属の間の価値関係の変動
[貨幣の通流]
a [諸価値の尺度のとしての貨幣]
b [流通手段としての貨幣]
c 富の物質的代表物としての貨幣。(貨幣の蓄積。そのまえになお諸契約の一般的質料としての貨幣、その他)[III 資本にかんする章] ※「資本にかんする章」という表題はノート第3冊から用いられている。(新MEGA編集注)
[第1章 資本の生産過程]
資本としての貨幣にかんする章
[貨幣の資本への転化]
1 流通と流通から生じる交換価値が資本の前提
2 流通から生じる交換価値は自己を流通の前提とする、また流通の中で自己を保持するとともに、労働を介して自己を倍加させる
※ここに「プラン」が書かれている。〔草稿集<1>、310-311ページ〕
[資本と労働のあいだの交換]
※ここに第2の「プラン」が書き込まれている。〔草稿集<1>、329ページ〕
※このあたりから「ノート第3冊」が始まる。〔草稿集<1>、350ページ〕
[労働過程と価値増殖過程]
[絶対的剰余価値と相対的剰余価値]
[剰余価値と利潤]
[第2の項目 資本の流通過程]
[資本の再生産と蓄積]
1月(1858年) ※これは見出しではない。
[資本主義的生産に先行する諸形態]
[資本の循環]
[剰余価値および利潤についての諸学説]
[固定資本と流動資本]
[固定資本と社会の生産諸力の発展]
[固定資本および流動資本の流通ならびに再生産]
第3の項目 果実をもたらすものとしての資本。利子。利潤。(生産費用、等々)
[貨幣にかんする章と資本にかんする章とへの補足]
[価値の尺度としての貨幣]
[流通手段としての貨幣、および、自立した価値としての貨幣]
[機械装置と利潤]
[疎外]
[雑]
金貨計量機
[]でくくってあるのは、新MEGA編集者がつけたもの。こうやってみると、見出しのほとんどすべては編集者によるものだと言うことが分かる。見出しに立てるカテゴリーも『資本論』的に洗練されたものが使われている。『57-58年草稿』では実際どうなっていたのか調べてみる必要がありそうだ。しかし、何か区分がないと読みようがないのも事実。
◆「序説」「3、経済学の方法」の末尾に書かれている篇別構成
この序説自体が、まだ経済学についての叙述を始める前に書かれたものだが、この篇別構成は、明らかに、「経済学の方法」を書き進んできたところでの考えをまとめたもの。
<1>一般的抽象的規定。それらはしたがって多かれ少なかれすべての社会諸形態に通じるが、それも以上に説明した意味で。
<2>ブルジョア社会の内的編制をなし、また基本的諸階級がその上に存立している諸範疇。資本、賃労働、土地所有。それらの関連。都市と農村。三大社会階級。これら三階級のあいだの交換。流通。信用制度(私的)。
<3>ブルジョア社会の国家の形態での総括。自己自身にたいする関連での考察。「不生産的」諸階級。租税。国債。公信用。人口。植民地。移民。
<4>生産の国際的関係。国際的分業。国際的交換。輸出入。為替相場。
<5>世界市場と恐慌。
<3>で「自己自身にたいする関連での考察」といっているのは、<4>の対外関係との対比で言っていること。つまり、ブルジョア国家を考察するのだが、対外的諸関係は捨象するという意味。
信用について、<2>「信用制度(私的)」と<3>「公信用」が分かれていることに注意。
「序説」4について、「ここで述べなければならない諸点、そして忘れてはならない諸点に関連した注意書き」として列挙されている項目だけ拾っておく。(62?64ページ)
(一)戦争は平和よりも早くから発達している。
(二)従来の観念的な歴史記述の現実的な歴史記述との関係。とりわけ、いわゆる文化史――それはすべて宗教史と国家史である――のそれ。
(三)第二次的なものと第三次的なもの。一般に、派生的な、移植された、本源的でない生産諸関係。ここでの国際的諸関係の影響。
(四)この見解の唯物論についての諸々の非難。自然主義的唯物論との関係。
(五)生産力(生産手段)と生産関係という諸概念の弁証法。その限界が規定されるべきであるところの、そして実在的区別を止揚しないところの一つの弁証法。
(六)物質的生産の発展の、たとえば芸術的発展との不均等な関係。
(七)この把握は必然的展開として現われる。だが、偶然の権利を認めること。どのように認めるか。
(八)出発点は当然に自然的規定性にかんして。主体的に、また客体的に。諸種族、諸人種など。
それよりも、4の見出しの項目そのものの方が、『経済学批判』序言での史的唯物論の定式との関連で、面白いかもしれない。同時に、ここでは生産関係と交易関係を区別して使っていることに注意。
4 生産。生産諸手段と生産諸関係。生産諸関係と交易諸関係。生産諸関係と交易諸関係とにたいする関係での国家諸形態と意識諸形態。法律諸関係。家族諸関係
最初のプランは以下のとおり。〔草稿集<1>、310-311ページ〕
I.(一)資本の一般的概念
(二)資本の特殊性。すなわち、流動資本。固定資本。(生活手段としての、原料としての、労働用具としての資本)
(三)貨幣としての資本。
II.(一)資本の量。蓄積。
(二)それ自身で測られた資本。利潤。利子。資本の価値。すなわち利子および利潤としてのそれ自身から区別された資本。
(三)諸資本の流通。
(α)資本と資本との交換。資本と所有との交換。資本と諸価格。
(β)諸資本の競争。
(γ)諸資本の集積。
III.信用としての資本。
IV.株式会社としての資本。
V.金融市場としての資本。
VI.富の源泉としての資本。資本家。
土地所有
賃労働
その内的総体性において規定された流通として、諸価格の運動。
生産がその3つの基本諸形態と流通の諸前提のかたちで措定されたものとしての、3つの階級。
国家
国家とブルジョア社会、――租税、または不生産的諸階級の存在。――国債。――人口。
――外側にむかっての国家、すなわち、植民地、外国貿易、為替相場、国際的鋳貨としての貨幣。
世界市場。ブルジョア社会が国家を乗り越えて押し広がること。
恐慌。
交換価値の上にうちたてられた生産様式と社会形態の解体。個人的労働を社会的労働として、またはその反対に、社会的労働を個人的労働として実在的に措定すること)
原文は改行無し。「VI、富の源泉としての資本」のあとは、どれがどのレベルの見出し・項目になるのか不明。「国家」以下の項目は()でくくられているので、「国家」の中の区分だということが分かる。
二つめのプラン。〔草稿集<1>、329ページ〕
資本。
I、一般性
(一)
(a)貨幣からの資本の生成。
(b)資本と労働(他人の労働によって媒介された)。
(c)資本の諸要素、それが労働にたいしてもつ関係にしたがって分解されたもの(生産物。原料。労働用具)。
(二)資本の特殊化。
(a)流動資本。
[(b)]固定資本。
[(c)]資本の通流
(三)資本の個別性。
[(a)]資本と利潤。
[(b)]資本と利子。
[(c)]利子および利潤としてのそれ自身から区別された、価値としての資本。
II、特殊性
(一)諸資本の蓄積。
(二)諸資本の競争。
(三)諸資本の集積(同時に質的な区別でもあり、また資本の大きさと作用の尺度でもある、資本の量的な区別)。
III、個別性
(一)信用としての資本。
(二)株式資本としての資本。
(三)金融市場としての資本。
これについては、[]でくくったのは僕の補足。このプラン↑をみると、マルクスが、まだ経済学の体系全体の見通しがつかめていないもとで、ヘーゲル的な概念的展開の助けを借りて、なんとか全体的な展開をはかろうとしていたのが分かる。
実は、この始まりにはマルクスのくくり記号({)がある。それが閉じられるのは、334ページ下段4行目「賃労働。}」の部分。さらに、続いて「{市場、それは経済学の初めの方では抽象的規定として現われるものであるが、それは相対的な諸姿態をとっている。…」として、市場論に続いている。これに対応するくくり記号は338ページ上段5行目「いずれわかるであろう。}」。
したがって、329ページ上段本文3行目からここまでが、一括りの部分(この段階でのプランとその説明)だと思われる。