全国各地の草の根で活動する「九条の会」に関するニュースをインターネットのなかから集めています。
憲法9条京都の会:思想信条超え 「発足の集い」に1000人超す参集/京都(毎日新聞 6/30)
東刈谷9条の会:ギター片手に憲法解説 名大法学部・本教授が講演/愛知(毎日新聞 6/30)
講演会:障害者から見た憲法9条とは 松本弁護士、手話で講演――和歌山/和歌山(毎日新聞 6/30)
井上ひさしさん「九条」の意義強調 ユーモア交え四日市で講演:三重(中日新聞 6/29)
特集ワイド:この国はどこへ行こうとしているのか 澤地久枝さん(毎日新聞 6/27)
九条の会:府内の団体が連携 29日に「京都の会」発足、下京でつどい/京都(毎日新聞 6/27)
伊勢崎賢治氏「紛争解決に9条生かして貢献する」(京都民報 6/27)
映画:「僧侶も戦争協力を反省」 住職ら制作の映画上映――長野/長野(毎日新聞 6/26)
「石の鐘」に誓う平和 宗教の戦争協力、問い掛ける象徴 信濃町称名寺/長野県(朝日新聞 6/25)
中立で和平交渉、日本の道/舞鶴で憲法9条テーマに講演(京都新聞 6/24)
戦争テーマ 短歌を詠む/敷田千枝子さん 「加賀九条の会」呼びかけ人(朝日新聞)
「憲法に則した現状改革が必要」 立命館大学で9条の会集会(京都民報 6/23)
九条の会・よっかいち:井上ひさしさんら講演――28日、3周年のつどい/三重(毎日新聞 6/22)
講演:井上ひさしさんと明珍記者、「報道と憲法」テーマに――岐阜/岐阜(毎日新聞 6/22)
憲法9条京都の会:思想信条超え 「発足の集い」に1000人超す参集/京都
[毎日新聞 2008年6月30日 地方版]◇「九条の会」の“結束”目指す 鶴見さん、瀬戸内さん語る――下京区
思想信条にかかわらず憲法9条の理念を守り広めるため連帯する「憲法9条京都の会」が29日、発足した。府内で活動する約340の「九条の会」の連絡会的役割を目指す。下京区のシルクホールで同日あった「発足の集い」には立ち見も含め1000人を超える参加者があり、代表世話人で哲学者の鶴見俊輔さん、作家の瀬戸内寂聴さんらの話に聴き入った。
代表世話人にはこの他、立命館大国際平和ミュージアム名誉館長の安斎育郎▽哲学者の梅原猛▽臨済宗相国寺派管長の有馬頼底▽狂言師の茂山千之丞の各氏も名を連ねた。
「集い」では鶴見さんが「9条に寄せる私の想い」と題して記念講演。戦前のアメリカ留学体験や軍隊体験を紹介しながら「みんな同じ方向に行こうとする日本人の感覚に、決して戦前のようにならないとは言い切れない恐怖を感じる」と前置きした後、「みんなで一斉に『9条を守ろう』なんて大声を上げるのは、ある意味いつか来た戦前の感覚と同じ。求められるのは、一人ひとりが自分の“タコつぼ”から離れず、等身大で世の中の動きを自分の感性でとらえながら行動すること。その行動を持ち寄ろう」などと説いた。
瀬戸内さんは「殺すなかれ、という仏教の戒律を守ることは、普通ならそう難しくはない。しかし、戦争などの極限状態になると、守るためには命を懸けなければならない。戦争ほど許されないことはない」と訴えた。
「集い」ではこの他、賛同者が265人68団体に及んでいることが報告され、事務局長に小笠原伸児弁護士を選出。今後の取り組みとして、毎月9日に三条河原町などで街頭署名を実施▽憲法公布日(11月3日)と施行日(5月3日)に憲法集会を実施▽1万人の賛同者を目指す――などを決めた。【藤田文亮】
東刈谷9条の会:ギター片手に憲法解説 名大法学部・本教授が講演/愛知
[毎日新聞 2008年6月30日 地方版]◇市民ら60人参加
堅苦しい憲法の話をギター片手に歌いながら語る憲法学者が29日、刈谷市南部生涯学習センターで講演した。人呼んで「歌う憲法学者」の本秀紀・名古屋大法学部教授(44)。東刈谷9条の会が主催した「憲法9条を守るつどい」で、会員や市民ら約60人が楽しく耳を傾けた。
本教授が講演で歌うようになったのは数年前。大学時代に合唱サークルに所属し、ギターと歌が得意だったため、頼まれて始めた。今では講演の半数以上で、1回3曲前後を歌うという。
この日のテーマは「今問われる9条の意味――歌を交えて憲法を語る」。日本国憲法をめぐる最近の動きに触れながら「一時に比べると改憲の動きが影を潜めたように見えるが、決して改憲をあきらめたわけではない。今の憲法が邪魔でやりたいことができない人たちは、あらゆる手段で改憲を目指すだろう」と強調した。
さらに、憲法9条に絡む政党の考え方や国会での法律制定、改憲手続きの諸問題などを説き、その合間に3曲を披露した。ベトナム戦争から作られた谷川俊太郎作詞、武満徹作曲の「死んだ男の残したものは」▽BEGIN作詞・作曲の「島人ぬ宝」▽沢田研二作詞の「我が窮状」。BEGINの歌は憲法にちなんだ替え歌にし、大きな拍手を浴びた。【安間教雄】
講演会:障害者から見た憲法9条とは 松本弁護士、手話で講演――和歌山/和歌山
[毎日新聞 2008年6月30日 地方版]◇「健康で文化的な生活」が重要――全日本ろうあ連盟副理事長・松本弁護士
障害者の暮らしやすい社会を考えようと、「和歌山障害者・患者九条の会」(玉木八重子代表)は29日、和歌山市木広町5の市ふれあいセンターで講演会「憲法九条とは何か?障害者の生活から見て」を開いた。ろうあ者や視覚障害者ら約50人が参加した。【山本芳博】
聴覚障害者でもある全日本ろうあ連盟副理事長の松本晶行弁護士(68)は手話で講演し「障害者にとって生きるためのお金があればいいのではなく、憲法25条の理念である『健康で文化的な生活を送れる』ことが重要」と主張。マンションの売買契約書や役所が発行する印鑑証明書、銀行のATM(現金自動受払機)などの日常生活を例に「点字や読み上げてくれる人もおらず、理解できない障害者は社会的にまだまだ差別されている」と現状を説明し、「行政が率先して制度を整えなければならない」と訴えた。
また、憲法9条との関わりでは「戦争が起こればすべてを犠牲にして、ゆとりのない社会となる。戦争がない状態でこそ、障害者に配慮したゆっくりとした社会を実現できる」と締めくくった。
井上ひさしさん「九条」の意義強調 ユーモア交え四日市で講演/三重
[中日新聞 2008年6月29日]九条の会・よっかいちの結成3周年を記念した集会が28日、四日市市文化会館であり、九条の会の呼び掛け人の1人で、日本ペンクラブ会長の作家井上ひさし氏が講演した。
井上氏は、1959(昭和34)年に締結された南極条約を作る過程で、当時の日本代表が憲法九条の精神を他国に訴え、「南極を軍事利用させない」とする条文を成立させたエピソードを披露。「南極条約が、ラテンアメリカや南太平洋諸国のほか、海底や宇宙の非核化につながった」と九条の意義を強調し、「もめ事を暴力でなく話し合いで解決するのは人類の悲願である」と訴えた。
井上氏のユーモアあふれる語り口に、約600人の聴衆からは笑いが絶えなかった。(土屋晴康)
特集ワイド:この国はどこへ行こうとしているのか 澤地久枝さん
[毎日新聞 2008年6月27日 東京夕刊]<おちおち死んではいられない>
◇多喜二が可哀そう――作家・77歳・澤地久枝さん
◇今も過酷な労働はあるが要求掲げて投獄されない もっと歴史を学びなさいインタビューの前日、作家の澤地久枝さんから速達で新著が届いた。本の帯には「いま、あなたに伝えたいことがある――」とあった。これを読んでから、いらっしゃいというメッセージと受け取った。
「希望と勇気、この一つのもの」(岩波ブックレット)と題された小冊子には、14歳のとき、旧満州(現中国東北部)で迎えた敗戦体験、「婦人公論」編集者時代の思い出、そして、「九条の会」呼びかけ人の一人としての決意が刻まれていた。
<わたしの立場は、自衛隊を憲法違反の存在とし、日米安全保障条約の平和条約への変更、全在日米軍の撤退。つまり憲法本来の原点へかえしたい、というもの。実現不能の理想論とか、女書生の夢などと言われることは覚悟の上だ。今や世界有数の強大な軍事力をもつ自衛隊は、有権者によって正当に認知されたことがあるのか。わたしたちは諾否を問われたことがあるのか。答は、否でしかない>
「自分の旗印をはっきりさせることになったわね」。東京・恵比寿の自宅で、さわやかな薄藍(うすあい)の琉球絣(がすり)に、宮古上布の帯を締めた澤地さんが、静かに語り始めた。「もうこの国は駄目だと投げてしまうのは簡単だけれども、投げて得るものは何かと考えたら、無理にも希望を持っていたいし、希望を持ち続けるには勇気がいるんです」。言葉の奥に、激しいものを感じた。■
「いざ、有事」となれば、いまや労働者全体の3分の1を超えるほどに増えた非正規雇用の人たちが狙われると指摘する。
「イラク戦争が膠着(こうちゃく)状態になって、米軍も必要人員が集まらない。そういう時、国民の教育水準が高く、国家としての体力を持ち、しかも、米国にべったりの国と言ったら、他にありますか。いざ、米国が戦争を始めた時、集団的自衛権などと言って、同盟国として一緒に戦うことになったら、誰が行くんですか。年老いた政治家なんか役に立たないから、今は『政治に関心がない』と言っている若い人たちが行くことになるんです。ボーナスも退職金もなく不安定な非正規雇用の人たちが、ちょっといい条件を示されたら、どうしますか。もうそういう社会状況ができちゃっているんです」。この国の近未来を想像し、身震いした。
しばらく原稿を書けない時期があったという。昨年7月30日、四十数年来のつきあいのあった作家、小田実さんが亡くなったからだ。しかし、遺志を継ごうと、九条の会の活動で地方行脚するうちに立ち直るきっかけをつかんだという。
「ベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)は、戦後の市民運動の原形です。小田さんは最後までよく頑張ったと思う。九条の会も全国に7000を超える組織ができて、子や孫のために、自分も声をあげたいという人の輪が広がってきた。やっと、日本に市民社会というものが、根づき始めた。希望があるとしたら、この人たちであって、政党ではないと思います」。声を弾ませ、目を輝かせた。小田さんが繰り返した言葉がある。
小さな人間には、小さな力がある。大きな人間は、大きな力を持っている。大きな人間は、政治や経済、戦争も含めて大きなことをやろうとする。しかし、それを実際にやらされるのは、誰か。小さな人間が「私は嫌だ」と言ってやらなかったら、大きな人間は何もできない。
「いつもデモの最前列を歩いている人でした。私にはそれだけの体力も気力もないけれど、自分ができることをやろう。志を持って、隣の小さな人間と手をつないでいく人間でいようという気持ちになれたんです」■
フリーターや派遣労働などで働く若者たちの間で今、小林多喜二が1929年に発表したプロレタリア文学の代表作「蟹工船」が共感をもって読まれているという。澤地さんにはこのブームにも一家言ある。
「あの時代は、人権なんてものが何もなかった。それでも、あまりの労働の過酷さに、死を覚悟して立ち上がった人たちの話です。今も過労死するほど残業させられたりする、ひどい労働条件はある。しかし、今は組合もストライキも会社側と交渉することも、すべて合法です。そういう権利を持っていながら、蟹工船にわが身をなぞらえるのは、矛盾なんです。読むことはいいことだけれど、かつて日本の歴史に何があったのか、今とどう違うのかは勉強しないと、小林多喜二が可哀そう。多喜二自身、警察で拷問を受け、獄中死しているんですよ。今は、ごく人間的な要求を掲げても、そのことで投獄されたり、殺されたりすることがないはずの社会に、私たちは生きている。それが、どれだけ日本の歴史の中で貴重な時代であるかということを、もっと若い人たちは知らなきゃいけないわね」
昭和史を掘り起こし、歴史の中に忘れ去られた人々の声を拾い上げてきたノンフィクション作家の言葉には、重みがある。■
長年、払い続けてきた年金の記録は「ない」と言われ、やっと手にした年金からは医療費が「天引き」される……。この国の「老後」は、どこへ行こうとしているのか?
「黙っていたら、破滅への道しかないわね。一生懸命働いて、ある年齢に達したら、穏やかな老後があるというのが、本来の国のあり方だと思う。なのに、年金も医療制度も、すでにぶっ壊れている。これは国家的詐欺ですよ。しかも、誰も責任をとらない。年寄りは死んだら、永田町に化けて出たらいいわ。それぐらいひどいことをされてきたんだもの。私は怒りのために生きているんです。堕落して、小泉(純一郎元首相)さんもなかなかいいんじゃない、なんて思うようになったら、私は死ぬわね」。そう言い切ってから、「たぶんね」と付け加え、笑った。【大槻英二】■人物略歴
◇さわち・ひさえ
1930年、東京生まれ。中央公論社に勤務しながら、早稲田大第二文学部を卒業。同社退社後、作家、五味川純平氏の助手となる。独立後、「妻たちの二・二六事件」などを発表。「滄海(うみ)よ眠れ」「記録ミッドウェー海戦」で菊池寛賞。
九条の会:府内の団体が連携 29日に「京都の会」発足、下京でつどい/京都
[毎日新聞 2008年6月27日 地方版]党派や宗派、所属団体にこだわらず平和憲法への思いを深めようと、「憲法9条京都の会」の発足のつどいが29日、下京区四条通室町東入のきらっ都プラザ京都産業会館で開かれる。府内の「九条の会」と冠する約340団体の連絡会の役割を目指し、代表世話人には作家の瀬戸内寂聴さんら6人が就く予定。
他の就任予定は金閣寺・銀閣寺住職の有馬頼底▽立命館大学国際平和ミュージアム名誉館長の安斎育郎▽哲学者の梅原猛▽狂言師の茂山千之丞▽哲学者の鶴見俊輔――の5氏。
「九条の会」は04年6月、改憲の動きに反対し、作家の大江健三郎さんらが呼び掛け人となって設立。これに呼応し各地で同様の団体が作られている。だが団体間の連携や情報交換は少なく、関係者が1年前から設立に向けて準備していた。この「憲法9条京都の会」には25日までに235人と52団体が賛同。学習会や交流会を計画している。
発足のつどいでは、「九条の会」呼び掛け人でもある鶴見さんの記念講演「9条に寄せる私の想い」や、鶴見さん・瀬戸内さん・安斎さんのてい談がある。午後2時開会、参加費無料。問い合わせは京都の会準備会へファクス(075・231・4327)で。【熊谷豪】
伊勢崎賢治氏「紛争解決に9条生かして貢献する」
[京都民報 2008年06月27日 16:38]「南舞鶴9条の会」は22日、NGO・国際連合職員として世界各地の紛争解決に奔走している伊勢崎賢治さんを迎えた講演会を行い、200人を超える参加がありました。
伊勢崎さんは、9つの軍閥が群雄割拠するアフガニスタンでの武装解除の活動に参加した経験を踏まえ、戦争は絶対にしてはいけないこと、起こってしまった戦争・紛争を早く終わらせるためには、国連などのイニシアチブで武装解除をはじめ安定した政府を確立することが不可欠だと指摘。武装解除では“戦争はしない”“戦力を保持しない”憲法を持つ日本が、最も大きな役割を果たしていると強調しました。
また、「護憲」の運動について、自衛隊の海外派兵の対案としての「9条を守る」にとどめず、現実に起こっている紛争解決に9条を生かして貢献する、という“覚悟”(観点)が必要なのではないか、と問題提起しました。
参加者からは「紛争解決の現場を経験している人の話で重みがあった」「アフガニスタンの現状がよく分かった」「紛争解決の武装解除に憲法9条をもつ日本が大きく貢献していることがよく分かった」などの感想が寄せられました。講演に先立ち、南舞鶴9条の会の佐藤紀夫さんがあいさつしました。(常塚和夫)
映画:「僧侶も戦争協力を反省」 住職ら制作の映画上映――長野/長野
[毎日新聞 2008年6月26日 地方版]◇平和の大切さ伝えたい
長野市西後町の本願寺長野別院で、住職らが制作した平和祈願の映画「夕焼けこやけで?石の鐘のこだまは?」がこのほど上映された。23日の「沖縄慰霊の日」に合わせ、全国の住職や門徒で構成する「念仏者九条の会」の全国集会の中で開かれた。企画した定専寺住職の松島澄雄さん(57)は「僧侶が戦争に協力した面もあり反省する。これから平和の大切さを伝えたい」と話した。
映画「夕焼けこやけで」の舞台となった信濃町富野の称名寺は、戦時中に鉄の鐘を供出し、今も代わりに石の鐘をつるす。66年間、鐘の音が鳴り響かない風景を通じて平和を訴えている。亡き住職の娘佐々木五七子さん(79)は「戦争で多くの人が帰らなかった。平和が保障されるまで、この鐘は降ろしたくない」と語る。一行は石の鐘のほか、長野市松代の象山地下壕(ごう)も見学した。象山地下壕は、第2次世界大戦末期、本土決戦最後の拠点として造られた。ガイドの原山茂夫さんが「この工事で、朝鮮人強制労働者や戦争が長引いて沖縄で余計に多くの人が亡くなった」と説明。映画を企画した松島さんは「松代、沖縄、朝鮮を絡めてまた映画を作りたい。会のメンバーだけでなく、子供たちにも広めたい」と話した。
映画は注文販売で購入可。送料込みで2600円。問い合わせはスコブル社026・221・0639まで。【大島英吾】
「石の鐘」に誓う平和 宗教の戦争協力、問い掛ける象徴 信濃町称名寺/長野県
[朝日新聞 長野版 2008年6月25日付]信濃町富濃の称名寺の鐘堂には、「石の釣り鐘」がある。戦時中、国の金属類回収令で供出した鐘の代わりが、今も残る。この石の鐘を「戦争に協力した宗教の悲劇の原点」と考え、浄土真宗本願寺派(西本願寺)の住職らが24日、この寺で憲法9条を守ろうと全国集会を開いた。参会者は物言わぬままぶら下がる石の鐘を目の当たりにし、「戦争は根こそぎ動員し、協力させる様子がわかる」と平和への思いを新たにした。(渡辺圭司)
全国集会を開いたのは、「念仏者九条の会」(代表=信楽峻麿・元龍谷大学長、1169人)。憲法9条(戦争の放棄)を守ろうと、集会には14都道府県から約70人が参加した。23日の沖縄慰霊の日に合わせて集った。
信濃町誌によると、称名寺は1597年(慶長2年)には建立が確認されている。「石の鐘」は縦約1メートル、幅約80センチの庭石に穴を開け、「梵鐘(ぼんしょう)記念 昭和十七年十月」と刻まれている。
堂守を務める佐々木五七子さん(79)によると、1942年(昭和17)10月1日、同町内の寺院は一斉に鐘を供出した。当時13歳だった佐々木さんが「なぜ、出すのか」と反対すると、住職だった父親は「国のために出す。今は戦争に勝つか、負けるかの大事な時だ」と答えたという。
集会で、佐々木さんは「平和が続くと思える日まで石のままです」と説明した。
「県念仏者九条の会」の呼びかけ人の一人、松嶌澄雄さんは「石の鐘を今もつるしている寺は余り知られていないが、長野市内にはドラム缶をつるす寺があり、戦争の傷跡はまだ残っている」と話す。
会の全国事務局を務める小武正教さん=広島県三次市=は「太平洋戦争で宗教が戦争に協力した戦争責任を念仏者がどう担うか。石の鐘を(それを考える)出発点としたい」と話し、「石の鐘」を9条を守る象徴にしたい、との考えを示した。
今回の全国集会開催のために「石の鐘」を“主人公”にした憲法9条を考えるDVD「夕焼けこやけで?石の鐘のこだまは…?」(カラー35分)を県念仏者九条の会などが作った。2千円、送料600円。問い合わせは、制作したスコブル社(026・221・0639)へ。
中立で和平交渉、日本の道/舞鶴で憲法9条テーマに講演
[京都新聞 2008年6月24日]東ティモールなど紛争地域で武装解除を続ける東京外国語大の伊勢崎賢治教授(平和構築・紛争予防)がこのほど、京都府舞鶴市南田辺の府立舞鶴勤労者福祉会館で憲法九条と国際貢献について講演した。
南舞鶴九条の会などでつくる実行委主催。約200人が参加した。
アフガニスタンで同教授は、日本の出資で兵から武器を取り上げて軍閥を解体。手に職を付ける「武装解除」の責任者を務めた。
冒頭、「非武装による仲介は必ず犠牲者を出す。自衛隊派遣より危険」と世界の厳しい現実を指摘。「中立の仲介者は格好の標的。残虐に殺せば世界は驚き、和平支援を止めるから」と説明した。
シエラレオネで50万人虐殺の責任者を恩赦。副大統領に据えた経験から「被害者の強い怒りもある。正義と平和、どちらを取るのか」と苦悩を吐露。教育、医療など人道援助も「破たん国家では不正に利用され腐敗を固定化する」と述べた。
そのうえで「憲法九条でこれまで軍を派遣しなかった結果、紛争国でも日本は『戦争をしない唯一の国』として信頼されている。危険は大だが、中立で和平交渉を担うのが日本にできる道だ」と結んだ。
戦争テーマ 短歌を詠む
[朝日新聞 マイタウン石川 2008年06月24日]◆反戦・平和 もっと訴えたい◆
≡≡「加賀九条の会」呼びかけ人 敷田千枝子さん(72)≡≡
「加賀九条の会」の呼びかけ人で、主婦の敷田千枝子さん=加賀市大聖寺永町=が、会の3周年集会でこのほど、海軍のあった広島県・江田島に住んでいた国民学校(現在の小学校)での体験や、戦争をテーマにうたった昭和万葉集の短歌を紹介。「憲法9条を守ろう」と訴えた。敷田さんに反戦・平和への思いを聞いた。
――国民学校のころの戦争の印象は
2年生で江田島に引っ越した時、島には多くの軍艦が停泊し、空から見えないよう網をかぶせ、枯れ枝を置いていました。海軍兵学校の生徒にあこがれ「大きくなったら兵学校の人のお嫁さんになろう」と思う、おませな軍国少女でした。
――当時はどんな暮らしでしたか
江田島の学校はほとんどが軍人の子ども。そのせいかチョコレートやキャラメルもあって、敗戦まで食べ物に困ったことはありませんでした。でも、軍属だった父は「軍隊がこんなぜいたくをしていると戦争に負ける」と話していました。
――怖いと思ったことは
空襲を受けた巡洋艦が戻ってきた時、たくさんけが人がいて、病院だけでは足りず、学校の校舎にも運ばれるのを遠くから見ていました。血だらけで、動かない人がたくさんいました。「戦争をしたらあんなになる」と初めて知りました。
――原爆投下の時はどうしていましたか
学校でピカッと光ったあと、きのこ雲が見え、米軍機が飛んでいるのが見えただけでした。敗戦直後、「米軍が上陸したら、女と子どもは連れて行かれる」とのうわさに、軍のトラックで広島市を通って山奥に逃げました。一面焼け野原で茶色一色、まだ所々に煙が上がっていました。
2カ月ほどでふる里の金沢に戻りました。金沢は空襲がなく、友だちの記憶では米軍機が飛んでいるのを見たというのがほとんど。だから、私の体験が少しでも参考になるのでは。
――夫の志郎さん(76)と共に、会の呼びかけ人になったきっかけは
ノンフィクション作家の澤地久枝さんとエッセーを読んだのがきっかけで、手紙をやりとりしていました。澤地さんが「憲法9条を守ろう」と呼びかけられたことから、夫婦で会の呼びかけ人になりました。
――集会で昭和万葉集を紹介されましたが、短歌を始めたのはいつから
金沢に戻って初めての雪の朝、父が百人一首の「朝ぼらけ」の一首はこんな景色だと話してくれ、かるた取りを始めました。
父は県職員の建設技術者で、軍属になって大阪、呉、江田島と転勤。戦後は高校の教師をしました。戦争が大きく人生を変えたと思います。
短歌は40歳を過ぎて子育てが一段落してから始めました。31文字の短歌は多くのことを含んでいます。季節や風景は詠みやすいけど、反戦や平和など時事問題は難しい。でも、これからはもっと反戦を訴える作品を作りたいですね。(聞き手・竹中千広)☆ ☆
しきだ・ちえこ
金沢市生まれ。結婚して59年から加賀市に住む。89年の歌会始に入選したが、昭和天皇が亡くなり中止された。90年に開かれた「昭和天皇をしのぶ歌会」に招かれた。
「憲法に則した現状改革が必要」 立命館大学で9条の会集会
[京都民報 2008年06月23日 19:41]立命館大学教職員組合と立命九条の会、衣笠・金閣九条の会は22日、立命館大衣笠キャンパス(京都市北区)で「広げよう憲法のこころ?学生・地域・世代を超えて学びあう九条」を開き、56人が参加しました。
「憲法をめぐる情勢と九条の生かし方」と題して福山和人弁護士が講演し、イラク戦争の現状や、自民党が99条に国民の憲法尊重擁護義務を含めようとしていることなど、九条以外の改憲論の問題点も指摘した上で、「現状をよくするために大事なことは、憲法を変えるのではなく、現状を憲法に則して改革することだ」と述べました。
また、地域の戦争経験者から学徒動員や特攻部隊に関する話や「戦死せる友に」という詩の朗読、学生からの発言もありました。
終了後、学生・地域の枠を超えて議論を行い、参加者からは「解釈改憲で何でもできる現状では、条文を守ればよいのではなく、九条の意味を守ることが重要ではないか」「日米安保によって自衛隊が外へ出て行くことで、日本の平和が破壊されるのではないのか」などの意見が出されました。(椥原正)
九条の会・よっかいち:井上ひさしさんら講演――28日、3周年のつどい/三重
[毎日新聞 2008年6月22日 地方版]四日市市の市民団体「九条の会・よっかいち」は今月28日、結成3周年のつどいを、同市の市文化会館で開く。活動を一層広げる機会にする考えだ。
同会は05年5月、憲法九条擁護を目的に教員、宗教者ら多様な分野の300人余りで結成した。年2回の大規模な集会と、数回の地区集会を開いている。
だが、認知度が上がらず、会員もあまり増えていない。このため3周年を区切りに、大学教授、男女共同参画NPO代表、商店街役員など市内各界の12人に「代表呼びかけ人」に就任してもらった。事務局の伊藤一幸さんは「運動を広げる機会にしたい」と話す。
集会では、作家で全国規模の九条の会呼びかけ人の一人、井上ひさしさんと、一橋大大学院の渡辺治教授が講演する。参加費500円。問い合わせは伊藤さん。【清藤天】
講演:井上ひさしさんと明珍記者、「報道と憲法」テーマに――岐阜/岐阜
[毎日新聞 2008年6月22日 地方版]憲法9条を守る活動をしている「九条の会」の呼びかけ人の1人、作家の井上ひさしさんと、毎日新聞の明珍美紀記者が21日、岐阜市橋本町のじゅうろくプラザで「9条で平和をつくる――メディア報道と憲法問題」と題して講演した。
井上さんは、集まった約650人の笑いを誘いながら、「平和は国民の悲願で、憲法はその本家本元に当たる。他国からもまねされる憲法を守らなければいけない」と訴えた。明珍記者は、サハリンの残留日本人の一時帰国を取材したときのエピソードなどを披露しながら、「9条を書くことは平和と戦争について書くということ。私たちメディアも9条が掲げる理想に近づけるようにしていかなければならない」と話した。その後、明珍記者が井上さんに「活字メディアに求めること」などをインタビューした。【鈴木敬子】