これは必読文献! 豊下楢彦『昭和天皇・マッカーサー会見』

豊下楢彦『昭和天皇・マッカーサー会見』(岩波現代文庫)

1945年9月27日、昭和天皇が初めてマッカーサーを訪問する。このとき、天皇が「私は、国民が戦争遂行にあたって政治、軍事両面で行なったすべての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の採決にゆだねるためにおたずねした」と発言したとされる。しかし、この記述の元になったマッカーサーの『回想記』には、事実関係と矛盾した記述が多いという。

それでは、実際には、昭和天皇はマッカーサーとの会見で何をしゃべったのか? 第1回会見の記録は、2002年10月に初めて公開された。さらに、2002年8月に、朝日新聞が、1949年7月の第8回会見から通訳を務めた故松井明氏の記録(写し)を入手し、その概要が公表された(ただし、同写しの全文はなお公表されていない)。

本書は、こうした資料にもとづいて、占領下あるいはサンフランシスコ講和条約締結前後の時期に、昭和天皇が主体的・能動的にはたした政治的役割を探究している。

テーマは2つ。1つは、冒頭に述べた昭和天皇・マッカーサー会見で何が話されたのか、という問題。豊下氏は、マッカーサーとの会見に先だって行なわれた「ニューヨーク・タイムズ」紙のインタビュー(書面による)に注目し、実は、天皇は、東条にたいする個人的非難を口にしたことを推測する。そして、当時はマッカーサーの地位も不安定であったことを踏まえ、「天皇によるマッカーサーの『占領権力』への全面協力とマッカーサーによる天皇の『権威』の利用を相互確認する」(60ページ)ものだったと指摘している。

2つめは、講和条約と、それと同時に締結された安保条約にかかわる問題。世間では、再軍備を迫るアメリカの圧力をかわした「吉田外交」の功績ということが言われているが、豊下氏は、それがまったくの虚構であることを指摘する。そして、昭和天皇が、主体的・能動的に、講和条約締結後も日本の安全保障をアメリカにゆだねるために、日本からすすんで米軍の駐留を求めるべきだとして、アメリカ政府に働きかけたことを明らかにし、それが、天皇は「政治的権能を有しない」という新憲法の規定に違反した一種の「二元外交」だったことを指摘している。

戦後史のなかでの昭和天皇のはたした役割を理解するうえで、必読の文献といえよう。

【目次】
第1章 「昭和天皇・マッカーサー会見」の歴史的位置*
第2章 昭和天皇と「東条非難」
第3章 「松井文書」の会見記録を読み解く*
第4章 戦後体制の形成と昭和天皇

*第1章は『世界』1990年2、3月号、第3章は『論座』2002年11、12月号初出。

【書誌情報】
著者:豊下楢彦(とよした・ならひこ)/書名:昭和天皇・マッカーサー会見/出版社:岩波書店(岩波現代文庫G193)/発行:2008年7月/定価:本体1000円+税/ISBN978-4-00-600193-3

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