7日に、群馬県伊勢崎市で開かれた「伊勢崎・多喜二祭」の記事が、「朝日新聞」地方版に掲載されたようです。
多喜二を奪還 民衆の力に光
[asahi.com マイタウン群馬 2008年09月08日]代表作「蟹工船」がブームとなっている小林多喜二が昭和初期に滞在した伊勢崎市で7日、「伊勢崎・多喜二祭」が開かれた。伊勢崎署に拘束された多喜二が民衆の抗議で釈放された「伊勢崎署占拠・多喜二奪還事件」に光を当てようと、多喜二に関心を持つ市民らでつくる実行委員会(委員長=八田利重・元同市議)が主催した。会場の市文化会館には、県内外から230人が集まった。
集会では、この事件で多喜二とともに拘束された地元関係者の娘にあたる弁護士の平山知子さん、多喜二に関する著作がある藤田廣登さん、蛎崎澄子さんがそれぞれ講演した。
藤田さんによると、多喜二が来県したのは、1931(昭和6)年9月6日。同25日に行われる県議選に向け、伊勢崎町(現伊勢崎市)で予定されていた講演会に招かれていた。この講演会の前に、地元の活動家らを対象に「茶話会」を開いたところ、「無届け集会」とされ、他の講師や地元関係者とともに警官によって拘束された。
講演会の聴衆らはこれを知り、激怒。数百人が伊勢崎署を囲み、乱闘の末、警官を追い出し、署を占拠するに至った。結局、石井繁丸弁護士(後の前橋市長)らが警察側と交渉し、翌7日未明に多喜二らは釈放された。
この時、警察側は、署を占拠されたという失態を隠すため、民衆側に「新聞発表しない」ことを約束させたという。
しかし、同8日の東京朝日新聞夕刊には「ナップ系文士 奪還で乱闘 伊勢崎署内で警官と」などと報じられた。
結果的に多喜二らが釈放されたことについて、蛎崎さんは「講演会を中止させたことで、思想弾圧という警察の目的は達せられたとも言える。だが、逆に民衆の結束を強めてしまった」と指摘した。
今年は多喜二没後75年になるが、この多喜二奪還事件はほとんど知られていないという。実行委事務局の長谷田直之さんは「警察に拘束された多喜二らを民衆の力で解放したことは、戦前の治安維持法下において重要な意義がある。伊勢崎でこうした事件があったことを、多くの人に知らせていきたい」と話した。