坂本哲志総務政務次官殿
気にくわないからといって、印象でものを言っちゃダメですよ。それでは、政治家の役割をまじめに果たしたとはいえません。
派遣村、まじめに働こうという人なのか?と坂本総務政務官(読売新聞)
派遣村、まじめに働こうという人なのか?と坂本総務政務官
[2009年1月5日20時52分 読売新聞]
坂本哲志総務政務官(自民、衆院当選2回)は5日、総務省の仕事始め式のあいさつで、東京・日比谷公園の「年越し派遣村」について、「本当にまじめに働こうとしている人たちが集まっているのかな、という気もした」と述べた。
坂本氏はさらに、「『(厚生労働省の)講堂を開けろ』『もっといろんな人が出てこい』(と要求される)。学生紛争の時に『学内を開放しろ』『学長よ出てこい』(と学生が要求した)。そういう戦術、戦略がかいま見える気がした」と語った。
年越し派遣村には、失業と同時に住まいをなくした派遣労働者ら約500人が集まった。
坂本氏の発言には、野党などから批判が出ることが予想される。
「派遣村」にあつまった人のなかには、もちろん体をこわして生活保護を受ける人もいるが、まじめに働こうとしている人もいることは、以下↓の記事を読んでも分かると思います。思いつきで余計なことをいっている暇に、こういう人たちの後押しをするような施策をすすめてもらいたいものです。
生活危機:「年越し派遣村」撤収 再出発を目指す失業者「今日からが勝負」(毎日新聞)
仕事失った派遣社員の年越しに密着(TBS News-i)
派遣村 引っ越し 寝場所確保 かすかな希望(東京新聞)
派遣村終了、交錯する期待と不安の声(MSN産経ニュース)
生活危機:「年越し派遣村」撤収 再出発を目指す失業者「今日からが勝負」
[毎日新聞 2009年1月5日 東京夕刊]
東京・日比谷公園に昨年末出現した「年越し派遣村」には、約500人の労働者が入村し、1680人もの支援ボランティアが集まった。短期間で世間の注目を浴びた村の存在が浮き彫りにしたのは、底なしの雇用不安の実態と「働かされ方」の仕組みへの疑問だった。人災との指摘も出始めた「派遣切り」。村で同じ時間を共有した入村者やボランティアは何を感じたのか。【東海林智、工藤哲、町田徳丈】
実行委員会によると、5日も早朝から派遣村撤収の手伝いに100人を超えるボランティアが参加した。現場に寄せられた現金のカンパは5日までに2315万円に上った。
初日の先月31日から村に来た30代の男性は、11月中旬に電機部品の派遣労働を契約途中で切られ、仕事と寮を失った。その後、手元に残った約15万円でネットカフェを転々としたが、金も体力も限界にきていた。男性は「自殺を考えていた時にネットで派遣村を知り、最後の望みをかけてここにきた」と語る。
派遣切りされた人の多くが、ネットカフェや野宿でその日をしのぎ、体調を崩していた。村の医療相談に訪れた人は100人を超え、救急車で搬送された人もいた。突然、仕事を切られる厳しさに対応できず、孤独の中で行くあてを失っているケースが多かった。男性は「いい年にするには今日からが勝負」と表情を引き締めた。
静岡県内の自動車関連工場で派遣社員として11月末まで働いていた男性(40)は「なんとか生き延びたというのが素直な気持ち」と胸をなでおろした。失業後、所持金がゼロに近づき、2日に村に着いた。その夜は久しぶりに熟睡できたという。
一方で、仕事のあてがあるわけでもなく、今後の生活への不安はぬぐえない。「おれは絶対に立ち上がる」。男性は生活保護を申請し、自身の暮らしを再建するつもりだ。◇駆けつけた25歳ボランティア「同世代多くショック」
ボランティアは高齢者から高校生まで幅広い年齢層が集まった。年金などで暮らす千葉県在住の女性(70)は「若い人がなんでこんなふうに使い捨てられるのかと、かわいそうで駆けつけた。若者に道を示すのは政治の責任だ」と語った。
テレビで村の様子を見て参加したという西東京市の堤明日香さん(25)は「年末年始は時間がある。自分はぬくぬくしていていいのか」との思いにかられたという。自分と同じ世代の若者が予想以上に多いことにショックを受けたが、「ありがたいです」と感謝されたことがうれしかった。
入村者の再就職用履歴書の写真撮影をした河村直樹さん(49)は「ここでは写真代すら高いと感じる人も多い。少しでも再就職に役立ててもらえれば」と数百枚の写真を無料で提供し続けた。
「仕事を決め、自分が支援する側に回りたい」。12月中旬に部品製造の仕事を切られ、住居を失った男性(36)は言った。日ごとに増えるボランティアに励まされてきた。「自分なんかもうダメだと思っていたけど、多くの人たちが自分たちのことを心配してくれていると感じ涙が出た」。男性はこの日、村に提供された食品関連の求人を頼りに面接に向かった。
仕事失った派遣社員の年越しに密着
[最終更新:2009年1月5日(月) 18時31分]
先行きが見えない不況。年末に仕事を失った、ある派遣社員の年越しに密着しました。
派遣村で迎えた新しい年。林貴行さん(38)は派遣先の会社を先月26日、解雇されました。派遣会社の寮には、いつまでいられるか分からず、次の仕事のあてもありません。
「(Q.年越しの心境は?)正直、まさかというのがありましたね。せめて来年の春くらい、今度の契約が終わるまでは普通にいってくれないかな、いってくれるだろうと思っていましたし」(三菱ふそう元派遣社員 林貴行さん)
年の瀬を襲った不況の波。5年勤めた派遣先を解雇された佐藤良則さん(49)は、この年末、家族の待つ札幌への帰省をあきらめました。
「(家族には)寂しい思いをさせてすまないですけど、今ふんばって頑張らないと、どうしようもない」(先月26日解雇された佐藤良則さん)
小5の長女(11)とは、半年以上会っていないといいます。
「もしもし、ハッピー・ニュー・イヤー!今年もパパ、一生懸命頑張るから」(佐藤良則さん)
初日の出を見ながら、佐藤さんは何を祈ったのでしょうか。
「自分の仕事もしっかり見つかって、安定した1年になりますように」(佐藤良則さん)
年始めの5日、佐藤さんは真っ先にハローワークに向かいました。しかし、そこには同じように仕事を探す人があふれていました。所持金は、もう4000円しかありません。
「製造業ひととおり見てみたけど、なかなか厳しい。(Q.何を重視する?)やっぱり収入、金額ですね。家族も北海道にいますし」(いすゞ自動車を解雇された佐藤良則さん)
一方、林さんは手応えがあったようです。
「自分としては希望した求人は何件かあるので、安心はできないけれど。なるべく早く、いい仕事先が見つかれば・・・」(三菱ふそうを解雇された林貴行さん)
仕事と住まいを、いっぺんに失った労働者たち。厳しい一年が始まりました。(05日16:58)
派遣村 引っ越し 寝場所確保 かすかな希望
[東京新聞 2009年1月5日 夕刊]
住居や仕事を失い「年越し派遣村」(東京・日比谷公園)のテントや厚生労働省の講堂で寝泊まりしていた派遣労働者らが5日、新たな受け入れ先に向けて引っ越しを始めた。派遣村ができた先月31日から5日間に登録した入村者は499人。厚労省講堂で開いた「大移動集会」には荷物を抱えた失業者ら約340人が集まった。
集会では、延べ約1700人のボランティアが参加し、約2300万円のカンパがあったことが報告された。
村長の「自立生活サポートセンター・もやい」の湯浅誠事務局長は「再就職やアパート探しなど、これからが大変。派遣村は解散するわけではなく、1人1人が避難所を出られるよう、できることをしていきたい」と支援を約束。「派遣ユニオン」の関根秀一郎書記長は「生きる権利を否定される今の事態はまさに災害。路頭に迷う人々の受け皿になる機関をつくり、派遣切りを出さない緊急立法を」と求めた。
この後、生活保護の希望者約230人のうち約80人が、ホールに面談会場が特設された千代田区役所へ電車で向かった。
その他の参加者は国会までデモ行進。「大企業は首切りをやめろ」「労働者派遣法を抜本改正しろ」とシュプレヒコールを上げた。同日午後にはチャーターしたバスで、都内の廃校跡など4カ所に移動する予定。入居期限は1週間で、ハローワークなどの臨時窓口が設けられ、職場や住居の相談を受ける。◆職探し 先見えず
「あと1週間は暖かい建物で寝ることができる」「次の仕事を早く見つけたい」――。年末年始を「年越し派遣村」で過ごした元派遣社員らは5日、当面の宿泊先が決まり安堵(あんど)の表情を浮かべる一方、新たな職探しに対する不安を口々に語った。
先月27日まで、愛知県内の自動車製造工場で働いていた男性(42)は「寮を退去させられて、行くあてもなくここに来た。今日から1週間ほどは別の施設で寝泊まりできるし、食べるのも困らない。頑張って次の仕事を見つけて、助けてくれたボランティアの人たちに恩返しをしたい」と涙ぐんだ。
神奈川県内の自動車製造工場で期間従業員として働いていて年末に解雇された男性(36)は、先月31日に派遣村に来るまで都内のインターネットカフェで寝泊まりした。「派遣会社から次の仕事も来ない。生活保護を受けるのは恥ずかしいけど、背に腹は代えられない。派遣村に来て、ちょっとだけ希望が見えてきました」と話した。 (小川慎一)◆肝硬変寿命宣告の男性感謝の涙
「ここには4日に来た。今日はこれから、図書館で本を読もうかな」。埼玉県出身の男性(47)は、支給されたパンをほおばりながら口を開いた。生活保護の申請には行かないという。
半年前まで派遣契約の重機オペレーターをしていたが、2年前に患った肝硬変が悪化し解雇された。「医者から寿命宣告された。働ける状態じゃないし。今のうちに見たいところを見ておこうかと思う。イスラエル大使館とか。ガザ地区への空爆はズルいよ」
男性は発病後も、無理して働き続けたという。結婚はせず、家族もいないが、以前働いていた長野県内に家を買いローンが残っている。「支払いは終わってない。行き詰まっている」と声を震わせた。
「大酒を飲んで死のうと思ったけど死ねなかった」と言い、続けた。「体はしんどいけど、もう1回やり直したい。ここに来て、何とか仕事を見つけようと頑張っている皆の姿に勇気をもらった」
木漏れ日が差す日比谷公園の一角、布団などをあわただしく片付けるボランティアが声をかけると、男性は黄色がかった目から落ちた涙をぬぐっていた。「優しい言葉が心に染みちゃった」
(越守丈太郎)
派遣村終了、交錯する期待と不安の声
[MSN産経ニュース 2009.1.5 13:32]
日比谷公園(東京都千代田区)に開設された「年越し派遣村」が5日朝に「閉村」した。厚生労働省や都の支援策の一環で都内4カ所に用意された旧学校施設などへ移る元派遣社員らからは「光が見えてきた」「不安はある」など、今後の生活に不安と期待の声が漏れた。
集まった人は国会周辺のデモ行進にも参加。生活保護の申請も随時していくという。
厚労省近くの日比谷公園では、ボランティアらが朝からごみ回収などの後片づけを開始。園内に設営されたテントの解体も行い、撤去作業を行った。国会議員らが激励に駆けつける姿も見られた。
最後に出された朝食は、おにぎりとけんちん汁。寒風が吹く中、元派遣社員らは湯気が立ち上る汁をすすっていた。いすゞ自動車藤沢工場(神奈川県藤沢市)で派遣として働いていた男性(47)は寮の退去日前日の今月4日に寮を出て、派遣村のテントで一夜を過ごしたという。
「オーディオなど金に換わるものはすべて換えてきた。とにかく住む所を確保しないと」と男性。3つの大きなバッグを抱えながら、「移動する都内の施設では仕事の紹介もしてくれると聞いた。光が見えてきた。年齢面で不安はあるが、いい仕事に巡りあえば」と期待を示した。
一方、使用期限が5日午前9時までとなっていた臨時宿泊先の厚労省講堂では、午前8時ごろからボランティアらが講堂内から布団など寝具を搬出した。
閉村集会では、派遣ユニオンの関根秀一郎書記長が約340人を前に、「仕事を失い、住まいを奪われた人の受け皿となるような機関が必要。村は閉じるが、今後も支援は続けていく」と訴えると、会場から拍手がわき上がった。
北海道出身で製造メーカーの元派遣社員の男性(43)は、「別の施設で暮らせるということで、とりあえずは安心した。でも期限が1週間なので、その後は分からない。仕事はきっちりと探したい」とうつむきながら話した。
建築現場で日雇いとして働いていた男性(26)は、「まだ若いので、仕事は、探せば何とかなると思うが…。不安は残る」と表情を曇らせた。
実行委によると、同公園がある千代田区に対し、派遣村にいた約230人が生活保護を事前申請。うち80人が同日に区役所に行き、手続きをするという。
正午過ぎからは、実行委員会メンバーや一部の元派遣社員らが、日比谷公園から国会議事堂前までデモ行進。救済を訴えた。
いろいろなブログを読んでいても、「年越し派遣村」にボランティアで参加したとか、支援物資を届けてきたという記事を目にします。「毎日新聞」の記事に登場した堤明日香さんのことばを借りれば、僕は、年末年始「ぬくぬく」としていた訳で、「年越し派遣村」を開くために努力した主催団体のみなさんやボランティアに参加されたみなさんは、本当にえらいと思います。ご苦労さまでした。m(_’_)m
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