ふたたびリカードウの『経済学および課税の原理』を読んでいます。しかし、リカードウがどういうことを想定して、彼の理論を展開しているのか、よ?分かりまへん。(^_^;)
第1章「価値について」の第3節で、リカードウは、こんな議論を展開しています。
諸商品の相対価値の変動は、それらの物の生産に要する労働の増減によってひき起こされるばかりではない。その相対価値は、使用される固定資本の価値が不等であるか、あるいは、その耐久力が不等である場合には、賃金の騰貴およびその結果である利潤の下落によって変動することを免れない。(岩波文庫、上、45ページ)
このとき、リカードウは、150ポンドの固定資本(マルクス流にいうと不変資本)と50ポンドの流動資本(同じく可変資本)を使用する狩猟業者と、50ポンドの固定資本と150ポンドの流動資本を使用する漁撈業者を例にして、利潤率10%として、この固定資本が10年で1回転する場合の商品の価格を次のように計算している。
10%の利潤をあげて50ポンドの流動資本を更新するの要する価値……55ポンド
金利10%の時には、10年間にわたる24。4ポンドの年金の現在価値が150ポンドであるから、10%の利潤をあげて、固定資本を償却するのに……24.4ポンド
計 79.4ポンド
これに対して、漁撈業者の場合は
10%の利潤をあげて150ポンドの流動資本を更新するのに……165ポンド
10%の利潤をあげて、10年間で50ポンドの固定資本を償却するのに……8.13ポンド
計 173.13ポンド
こういう計算を示した後、リカードウは、賃金(流動資本)が6%高騰したらどうなるか、という問題を提起する。で、リカードウの場合、利潤と賃金はバーターだから、賃金が6%上がれば、利潤率は10%から4%に下落する。
そうすると、先ほど10%でやった複利計算を4%で計算することになり、結果として、狩猟業者の商品は73.61ポンドに、漁猟業者の商品は171.523ポンドになる。
つまり、獣にたいして魚の相対価値が上がることになる。
さて問題は、ここでのリカードウの議論の前提になっている世界は、どんな世界か、ということ。
もちろん、正確には、150ポンドを年10%の利率で10年賦で均等割りにすると、22.2ポンドになると思うのですが、それはともかく、固定資本と流動資本について、平均利潤率が成立した状態で、不変資本と可変資本の比率(つまりは有機的構成)によって、単位当たり商品の価値が79.4ポンド対173.13ポンドになるというのは、マルクス的にいうと、どういう事態なんでしょうか?
マルクス的にいうと、剰余価値率20%だとして、狩猟業者は150C+50M+10V=210、漁猟業者は50C+150M+30V=230になる。で、この場合、平均利潤率は10%になり、獣は価値210のところ生産価格は220に、魚は価値230のところ生産価格220になる。
なんにせよ、マルクスの場合、平均利潤率が成立した段階では、投下資本(C+V)が等しい場合、CとVの割合がどうであれ、生産された商品の生産価格は等しい。ところが、リカードウの場合、平均利潤率を前提にしながら、生産された商品の価値は大きく違ってくる。どうして?
マルクスの場合、たとえば1500Cを10年で償却するとすれば、1年あたり150Cという計算をしている。リカードウは減価償却を複利で考えているので、計算が複雑になっている。しかし、それだけだろうか?
こういう計算をするときに、リカードウは、どういうことを念頭に置いているのでしょうか。どなたか、ぜひこのリカードウの考え方を、マルクス的生産価格論とのからみで説明してもらえないでしょうか? よろしくお願いします。m(_’_)m